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2010年10月27日 23:37
AM06:15
ふと東の空に目をやると、朝陽を浴びた雲が銀色に輝きはじめていた。

その朝焼けを見ているこの場所の正確な位置を、私は知らない。
何せこの地区に足を踏み入れたのは、昨夜が初めてだからそれも致し方ない。

私は見知らぬ住宅街を、昨夜に引き続きゆっくりと歩いた。

そして横道があれば注意深く窺い‥‥

さらに人も通らぬ狭い隙間に目を凝らした。
駐車場があれば隅から隅まで調べ‥‥

住宅のガレージに止められた車の下も覗いた。
気配を感じ顔を上げると、飼猫か野良猫か定かではないが、一匹の猫がマンションの廊下から私を見下ろしていた。

読者の方も既に察していると思うが、私は昨日の夕刻に行方不明となった一匹の猫を捜している。
行方不明になった場所の側には、交通量の多い道路が走っている。
ここで事故に遭わないよう、できるだけ早くその猫を捜し出したかった。

その猫がこの地区に連れられてきたのは昨日が初めてで、自分が今どこにいるのかさえ分からないはずである。
私が捜しているのは『マッシュ』だ。

2週間前に引き取ったばかりのマッシュが逃げてしまったというメールを里親さんから受け取ったのは、昨日の夕刻だった。
そのメールには、検査のため動物病院へマッシュを連れて行く途中、ファスナー式のキャリーバッグから飛び出し、そのまま逃げてしまったとあった。
家猫になったマッシュが、里親夫妻にすっかり懐いたと人伝に聞いたばかりだったので、私のショックも大きかった。

里親夫妻は昨日の夕刻からほとんど不眠不休でマッシュを捜し続けている。
私は、憔悴しきったその二人の顔を正視できない。
そして昨夜から急に下った気温に震えているマッシュのことを想うと、辛くなるばかりだ。
どうか、みなさんも祈ってほしい。マッシュが一刻も早く暖かい暮らしに戻れるように‥‥
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ふと東の空に目をやると、朝陽を浴びた雲が銀色に輝きはじめていた。

その朝焼けを見ているこの場所の正確な位置を、私は知らない。
何せこの地区に足を踏み入れたのは、昨夜が初めてだからそれも致し方ない。

私は見知らぬ住宅街を、昨夜に引き続きゆっくりと歩いた。

そして横道があれば注意深く窺い‥‥

さらに人も通らぬ狭い隙間に目を凝らした。
駐車場があれば隅から隅まで調べ‥‥

住宅のガレージに止められた車の下も覗いた。
気配を感じ顔を上げると、飼猫か野良猫か定かではないが、一匹の猫がマンションの廊下から私を見下ろしていた。

読者の方も既に察していると思うが、私は昨日の夕刻に行方不明となった一匹の猫を捜している。
行方不明になった場所の側には、交通量の多い道路が走っている。
ここで事故に遭わないよう、できるだけ早くその猫を捜し出したかった。

その猫がこの地区に連れられてきたのは昨日が初めてで、自分が今どこにいるのかさえ分からないはずである。
私が捜しているのは『マッシュ』だ。

2週間前に引き取ったばかりのマッシュが逃げてしまったというメールを里親さんから受け取ったのは、昨日の夕刻だった。
そのメールには、検査のため動物病院へマッシュを連れて行く途中、ファスナー式のキャリーバッグから飛び出し、そのまま逃げてしまったとあった。
家猫になったマッシュが、里親夫妻にすっかり懐いたと人伝に聞いたばかりだったので、私のショックも大きかった。

里親夫妻は昨日の夕刻からほとんど不眠不休でマッシュを捜し続けている。
私は、憔悴しきったその二人の顔を正視できない。
そして昨夜から急に下った気温に震えているマッシュのことを想うと、辛くなるばかりだ。
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2010年10月29日 23:58
2010年10月31日 20:21
2010年11月03日 18:35
マッシュの里親さんから写メールが届いた。
里親さんの膝で寛ぐマッシュ‥‥いかにも幸せそうで、私には笑っているように見えて仕方がない。

「良かったな、マッシュ。そこが世界中で一番暖かい場所だということを憶えておけよ」
お知らせ
PCが復旧するまでにあと10日から2週間かかりそうだという知らせがありました。
(今日の記事はネットカフェで書いています)
皆様からのコメントやメールへ迅速な対応ができないことを、たいへん申し訳なく思っています。
ご訪問いただいているブロガーの皆様へ
上記のような状況ですので、こちらから訪問することがしばらくできません。
事情お察しのうえ、なにとぞご理解のほどお願いいたします。
管理人:wabi
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里親さんの膝で寛ぐマッシュ‥‥いかにも幸せそうで、私には笑っているように見えて仕方がない。

「良かったな、マッシュ。そこが世界中で一番暖かい場所だということを憶えておけよ」
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2010年11月05日 17:43
サンマの近況
私の都合で発表が遅れたが、先週あらしさんからサンマの写真が添付されたメールを受けとった。
あらしさん曰く「サンマは無事カマオになりました」とのこと。
予定通り先月16日にサンマは去勢手術を受けたようだ。
同じオス(男)としては複雑な心境になるが、家猫になるなら仕方ないことだ。

この妙に艶かしいポーズも去勢手術の成せる業なのか‥‥?
また手術の際に咽の奥にポリープが見つかったが、今のところ体調に問題はないという。
食欲も旺盛で、ただ今の体重は4.9kg‥‥ほぼ5kgだ。

急に寒くなった最近は、ご主人の毛布で寝ているという。
思えば、海岸にいた頃のサンマは、寒いと鼻水を垂らして悲惨な状態だった。

それが今は暖かいマンションに住み、寒風に凍えることも二度とない。
まして、保温効果があるダンボール箱の中にいるならなお更だ。
それもアイロンが梱包されていたモノときている‥‥
「サンマ、ミケの分まで長生きしろよ。慌てなくても、ミケは虹の橋の向こうでお前が来るのをのんびりと日向ぼっこしながら待っているよ‥‥きっと」
以前、あらしさんとご主人は私にこう言った。
「サンマが逝ったときは、ミケの側に埋葬します」と。
ついでに私の近況報告も‥‥
今日の記事もネットカフェで書いています。
以前違う店を何度か利用したことがありますが、そこはコの字型の仕切りがあるだけで後ろを人が通り落ち着けませんでしたが、今いるトコロは高さ160cmほどのパーティションが四方を囲み、椅子も我が家のモノよりずっと座り心地が良くなかなか快適な空間です。
閑話休題。
私の身辺もやや落ち着き、睡眠障害にも改善の兆しが表れてきたので、そろそろ海岸へ行こうと思っています。
それにゆきママさんから海岸に新たな仔猫が現れたという報告を受けているので、まずその子らに逢いたい気持ちもあります。
でも私の本心は、優しい人に保護され海岸から去っていて欲しいのですが‥‥
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私の都合で発表が遅れたが、先週あらしさんからサンマの写真が添付されたメールを受けとった。
あらしさん曰く「サンマは無事カマオになりました」とのこと。
予定通り先月16日にサンマは去勢手術を受けたようだ。
同じオス(男)としては複雑な心境になるが、家猫になるなら仕方ないことだ。

この妙に艶かしいポーズも去勢手術の成せる業なのか‥‥?
また手術の際に咽の奥にポリープが見つかったが、今のところ体調に問題はないという。
食欲も旺盛で、ただ今の体重は4.9kg‥‥ほぼ5kgだ。

急に寒くなった最近は、ご主人の毛布で寝ているという。
思えば、海岸にいた頃のサンマは、寒いと鼻水を垂らして悲惨な状態だった。

それが今は暖かいマンションに住み、寒風に凍えることも二度とない。
まして、保温効果があるダンボール箱の中にいるならなお更だ。
それもアイロンが梱包されていたモノときている‥‥
「サンマ、ミケの分まで長生きしろよ。慌てなくても、ミケは虹の橋の向こうでお前が来るのをのんびりと日向ぼっこしながら待っているよ‥‥きっと」
以前、あらしさんとご主人は私にこう言った。
「サンマが逝ったときは、ミケの側に埋葬します」と。
ついでに私の近況報告も‥‥
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以前違う店を何度か利用したことがありますが、そこはコの字型の仕切りがあるだけで後ろを人が通り落ち着けませんでしたが、今いるトコロは高さ160cmほどのパーティションが四方を囲み、椅子も我が家のモノよりずっと座り心地が良くなかなか快適な空間です。
閑話休題。
私の身辺もやや落ち着き、睡眠障害にも改善の兆しが表れてきたので、そろそろ海岸へ行こうと思っています。
それにゆきママさんから海岸に新たな仔猫が現れたという報告を受けているので、まずその子らに逢いたい気持ちもあります。
でも私の本心は、優しい人に保護され海岸から去っていて欲しいのですが‥‥
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2012年06月15日 06:00
娘の膝の上で寛いでいる猫‥‥、元海岸猫で名を風(ふう)という。我が家の愛猫だ。
ゴールデンウィークの初日4月28日に行方不明になり、そして10日目に入った5月7日夕刻に無事保護した。これは、その直後のスナップだ。

失踪時より少し痩せていたが、健康状態は良好だ。
行方不明期間は9日と3時間、その間どこで何を食べていたのか‥‥今もなお謎のままだ。
さて、先述したとおり、この猫は“海岸猫”だった。
そして私とこの猫との出会いは、2008年の秋に遡る‥‥。
2008年11月3日、1匹の茶シロの海岸猫が姿を現すと、長い尻尾をくゆらせながら、ゆっくりと近づいてきた。

その頃、私もこの海岸猫を2、3度目撃したことがあったが、いずれも何者かに追われて、防砂林の中を脱兎のごとく疾走しているのを垣間見ただけなので、まともに対面したのはこの時が初めてだった。
その後も1週間に1度くらいの頻度で顔を合わせるうちに、警戒心も解けたのか、茶シロは徐々に私との距離を縮めてきた。

そのうちに、眼の前でこんな仕草を見せるようになった。
仄聞したところによると、この年に海岸へ姿を見せるようになった新参者だという。
つまり、この茶シロは人の手により遺棄された“捨て猫”だったのだ。
それなのに、人を慕うボディランゲ-ジで愛嬌を振りまく茶シロが、私は愛しく思えてきた。
当時この猫に魅了されていたのは私だけではなかった‥‥。あるブロガーが、每日のようにこの海岸猫の写真をブログに掲載していたのだ。

そのブロガーの名はdodoさん。
私がこのブログを始める際に範として倣った『SURF RESEARCH』の管理人だ。
その頃の茶シロの様子を紹介しているページはこちらとこちら。
私は、今でもはっきりと憶えている。

2008年12月6日の夕刻の海岸は寒風が吹き荒ぶ、凍えるほどの寒さだったことを。
寒風に逆らって海岸沿いの道を西へ向かっていた私は、路傍の枯れ草の中で体を縮め、寒さに耐えている茶シロの姿を発見した。

私は足早に歩み寄ると、躊躇うことなく茶シロを上着で包み込むように抱きしめた。しばらくそうしていたら、腕の中からゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえてきた。
その時、私の心は決まった。
私は、茶シロを上着の内側に抱いたまま、自宅に連れ帰った。
風の強い日に保護したので、“風(ふう)”と名付け、そして家族の一員にした。

海岸に遺棄されるまでは飼猫だったと推察される風も、すんなり我が家に融けこんだ。
猫トイレや爪研ぎ器の使い方などを、完璧に体得していたので、受け入れる家族の心証も良かった。
しかし、何の前触れもなく風が姿を消したことで、dodoさんのように心を痛める人たちがいたことを、その時の私には知る由もなかった。

海岸散策を夕刻から早朝に変更してdodoさんと知り合い、風のことを報せるまでには、その後1年近くを要した。
このように、ある人たちからすれば、海岸猫が理由もなく、突然姿を消したように見える。
船宿エリアに限っても、カポネ、クロベエ、シズク、マサムネ、コユキが行方知れずになっている。
かつては10匹以上の野良猫が暮らしていた“西のエサ場”などは、徐々にその数を減らし、ついには1匹を残すだけになった。

最近このような出来事に関して、妙な噂が私の耳に入るようになった。
「悪意ある人の手により捕らえられた」とか「猫盗り業者が駆除した」とか「関西の業者が三味線用に捕獲した」等々‥‥。
が、よく訊いてみると、目撃情報を得たわけでもなく、ただ“可能性”をいっているだけに過ぎないようだ。
本人がどう思おうと勝手だが、根も葉もないことを吹聴するのは止めたほうがいい。
そんな裏付けもないことをいう度に、自身がいかに皮相的で短絡的な人間であると喧伝しているようなものだからだ。

原則的に、私は実証される事柄だけを、記事にしているつもりだ。
ちなみに、私が風を保護したように、海岸猫の世話をしているボランティアの人たちが複数匹の海岸猫を引き取っているのは、事実だ。
さらに、私は会っていないが、実はタビにはソックスとタイツのほかにもう1匹娘がいる。
その海岸猫は、私も知るOさんという男性に保護され、その後、家の引っ越しに伴い、今は関西で暮らしているのも事実である。

このエリアを担当するボランティアのA夫妻は、私が伝えるまで事の顛末をまったく知らなかった。
最近、防砂林に住まう人からも、キャリーバッグ持参で海岸猫を保護している場面の目撃談を聞いたばかりである。
‥‥思えば、ミケやサンマの場合も、実情を知らない人からすれば、いきなり行方不明になったと感じたことだろう。
かといって、消息不明の猫たちの多くが幸福になっていると思うほど、私は楽観論者ではない。
(自他共に認める、悲観論者だ)
要するに、海岸猫が行方不明になる理由は一様ではなく、最悪な結果ばかりを考えるのはあまりに狷介だと言いたいのだ。
“石橋を叩いて渡らない”
これは、周りの人が私の性格を婉曲にいい表すときに使う言葉だ。むろん褒め言葉ではなく、多分に揶揄が含まれている。
直接的にいうと、物事に対して、弱腰とか煮えきらないとか、とにかく思いきりが悪いのだ。

最大限良くいって、用心深く無理をしない“慎重派”、ということらしい。
そんな私が、ゴールデンウィークの初日に、愛猫を散歩させようと思い立ったのだ。
慎重派の私は、万が一にも逃げないよう、愛猫にリード付きのハーネス‥‥所謂ハーネスリードなる物を装着させ、コースも人通りの少ない住宅街を選んだ。

元海岸猫の風が、ハーネスリードを付けるのは今回が3回目。
過去2回もそうだったが、今回もハーネスリードに慣れないのか、風はそわそわと落ち着かない。
前から杖をついた老女が近づいてきたので、私は歩みを止めると、リードをたぐり寄せて、風を足許に座らせた。その際、それまで手首に通していたリードの輪を、つい外してしまった。

そして‥‥、老女が我々の眼の前を通り過ぎた瞬間だった。風が渾身の力を込めてダッシュしたのは。
リードは私の手から、いとも簡単にもぎ取られた。
私は心の中で舌打ちした。「猫の瞬発力の凄さは知っていたはずなのに‥‥!」

風は闇雲に疾走した。私は急いで後を追ったが、時速70キロで走れる能力を持つ猫に追いつけるとは思っていなかった。
それでも私は、高をくくっていた。
リードをしたままだし、私と風との信頼関係に自信を持っていたからだ。

風は民家の門扉の下から中に潜り込むと、建物の陰に隠れてしまった。
庭にいた住人に尋ねると、門と反対側のフェンスを越えて隣家へ行ったと言う。
私は踵を返すと、いったん表通りに出てから、その隣家へと急いだ。

そして見当をつけた路地に入って、風が越えたというフェンスを目指した。
私は、目当ての民家が近づくと、風がいつ現れても対応できるように歩度を緩めた。

風が越えたのは、おそらくあのフェンスだ。
と、その時、駐車場の車の下にうずくまる茶シロの猫を発見した。

私は、てっきりそれが風だと思い、車の下から出てくるように促した。ところが、やがて出てきたのは、同じ毛色の違う猫だった。
自分の勘違いで無駄な時間を費やしてしまい、私は大きく嘆息した。

私は再び踵を返すと、表通りへと目を遣った。
時間的には、この道路を横断していても不思議ではない。

しかし、比較的交通量の多いこの道路を、リードを引きずったまま渡るだろうか?
ましてこの地区は、風にとって土地勘がないところ‥‥。
私はその道路を渡らず、最後の目撃地点を中心にして、猫が隠れそうな場所を捜すことにした。

だが、目にするのは違う猫ばかりで、肝心の風の姿を見つけることが出来ない。
この時点で、私は完全に風を見失ってしまった。そして、すぐに捕獲できるだろうと高をくくっていた自信はすでに雲散していた。
次に、パニックに陥った猫が安心して身を潜めるようなところ‥‥つまり、人があまりいない場所を、範囲を広げて入念に見て回った。

そして、住人らしい人を見かけると、「黄色いリードを付けた猫を見ませんでしたか?」と訊いてみたが、目撃情報を得ることは出来なかった。
物陰に隠れていたとしても、長さ1メートルほどのリードなら目立つはずだが‥‥。
風は、最初に侵入した家の住人に目撃されてから、まるで蒸発したように姿を消してしまった。

結局、この日は捕獲するどころか、姿を見ることも出来ず、また有力な目撃情報も一切得られなかった。
次の日からは早朝から深夜まで数回、捜索範囲を広げて風を捜しつづけた。

ところが3日経っても、目撃情報すら得られず、やむなく市役所、警察署、保健所、保護センターと、考えられる全ての機関に猫失踪の届け出をした。
黄色いリードを付けたままなので、すでに保護されているのでは、と期待したが、どこからもそのような情報は寄せられていなかった。
家族も時間が空いた時に捜索に加わってくれたが、やはり数人での捜索には限界がある。そこでチラシを作ってポスティングすることにした。

次の日から、捜索と並行して迷い猫捜索のチラシをポスティングしていった。

私としては、藁にも縋る気持ちで、一軒一軒ポスティングをつづけた。
失踪現場近くの『下山動物病院』、『そば処久月』、『サークルK』は人目につく場所へチラシを掲示してくれた。

この3枚の貼紙に、どれほどの効果があるのか、その時は分からなかったが、悲観に傾きかけた私の心を立ち直らせる効果は大いにあった。
さらに失踪現場を中心にして、目立つ場所へ数枚のチラシを自ら貼り付けた。

逃走のキッカケを作った当人として、風と再会するためなら、出来ることは何でもやろう、という気持ちだった。
すると3、4日経った頃、ポスティングされたチラシを見たSさんという男性から、風らしき猫を近隣の駐車場で目撃したという電話をもらった。

時間帯を変えて、何度かその目撃場所付近を捜索したが、発見には至らなかった。
その電話を最後に、風の目撃情報が入らない日がつづいた。
もしかしたら、私が考えているより遠くへ行ってしまったのかもしれない‥‥。

これは、ポスティング済みの家を印した地図。
ともあれ、私はこの地図を真っ赤に塗り潰すまでは捜索をつづけるつもりでいた。
にしても、いったい何枚のチラシを印刷したのだろう‥‥?

具体的な枚数を調べる気などないが、カラーインク3個とブラックインク1個のカートリッジを使い切ったことは分かっている。(この直後に、ブラックインクを交換)
ランニングコストが安い古いプリンターで助かったが、そうでなければインク代で破産するところだ。
それからも、範囲を少しずつ広げながら、連日捜索をつづけた。

捜索途中で住人とおぼしき人を見ると、チラシを手渡しながら、風のことを尋ねた。
だが、リードを付けた茶シロの猫を見たという人と遭遇することはなかった。

そうして、あと1時間で失踪から10日目に突入しようとした時だった‥‥1本の電話がかかってきたのは。
それは、私がポスティングしたチラシを見た女性からの電話だった。
「たった今、この猫ちゃんが近所の空家の庭にいるのを見ました。チラシを持っていって確認しましたから、間違いないと思います」

私は電話を切ると、現場へ急行した。
すると、雑草が繁茂した庭に、見覚えのある縞模様の尻尾が揺れているのが見えた。
その瞬間、風に間違いないと、私は確信した。
ところが、近づこうとすると、風は身を翻して空家の床下へ潜り込んでしまった。

エサを置いて離れると、床下から出てきてそれを口にするのだが、距離を縮めようとすると、すぐに身を隠す。
そこで、風の気持ちを落ち着かせるために、しばらく離れたところから様子を見ることにした。
そこへ、電話をくれた女性、Iさんが様子を見に来てくれた。
話を訊くと、チラシを見る数日前に、やはりこの空家の庭で目撃したときの風は、途方に暮れた様子で、「私は、これからどうすればいいのかしら、という感じでしたよ」とIさんは言った。

Iさんは、風を目撃した後、わざわざ貼紙のあるサークルKを訪れ、風が保護されたかどうかを確認してから、私に電話をしてくれたのだ。
この空家‥‥、猫が身を隠すには絶好の場所だと思ったので、当初は何度か覗いていたが、三毛の野良猫を一度見ただけだったので、やがて捜索対象から外していた。

風は床下から時々顔を覗かせるものの、私が名を呼んでも外へ出てこようとしない。
3年半で培った、風との信頼関係は、私の一方的な思い込みだったのか‥‥。
「そんなはずは、ない!」
私は疑心を振り払うように、床下の通気口へ足早に近づいていった。

そして今度は、エサで誘う姑息なことはせず、床下にいる風に声をかけた。
「風、ゴメンな‥‥、辛い思いをさせて」私はとにかく、風に謝りたかった。
慣れないハーネスリードを装着させたこと、土地勘のない場所に連れ出したこと、さらに風の考えを察することが出来なかったことを。

しばらくすると、風は床下から出てきて、私から5メートルほど離れた場所に端座した。
それからも、私はただひたすら風に謝りつづけた。
すると、今度は風が、まるで喋るように鳴きはじめた。
9日間自分がどんなに寂しく辛かったか、そしてどうして、もっと早くココへ来てくれなかったのかと、私を諌めるような抑えた口調で、風は話しつづけた。

風の言うことは、もっともだと、私も自責の念を覚えていた。
一般論として‥‥、
山で遭難したら、闇雲に動くことは愚挙である。徒に体力を消耗し、滑落などの危難に遭う可能性も高くなるからだ。助かりたければ、一所にじっとしていることだ。
そして、救助隊が来るのを信じて待つのが最良の選択である。
風は動物の勘で、その最良の行動をとっていたのだ。
何故かって‥‥、
空家の前、ここが私がリードを離してしまった、正にその現場だからだ。

風は待っていたのだ。私が現場に戻ってくることを信じて‥‥9日間ずっと独りで。
土地勘のない風にとって、それが最良で唯一の方策なのに、私はそれを察してやることが出来なかった。
いったい、風と向い合ってどれくらいの時間が経ったのか‥‥?
やがて、風のほうから徐々に近づいて来ると‥‥、ついには私の脚に体をすり寄せてきた。

私は、その体を両の手でしっかり抱きながら言った。「風、おかえり」と。
結局、発見から保護まで4時間を費やしたが、私は充足感と虚脱感がない交ぜになった妙な気分だった。冷めた興奮状態といえば分かってもらえるだろうか。

それにしても、簡単に外れる首輪はまだしも、ハーネスリードも無くしているとは‥‥。
これでまた、謎が一つ増えてしまった。
私が海岸で保護するまでの環境がそうさせるのか、元海岸猫の風は猫缶などのウェットフードを口にしない。

カリカリ以外の好物は、かつぶしとシラスである。
日頃は身体のことを考えて、少し与えるだけだが、今日は特別、いつもより多めに奢ってやった。
私を振り切って失踪してから9日と3時間、風はやっと安息の場所に戻ってきた。

どんな柔らかなクッションやどんな厚い絨毯より、猫が一番心安らぐ場所は愛する人の膝の上である。
帰宅してから数日後‥‥。
失踪事件などなかったように、風は以前と同じ風情で窓の外を眺めている。

その面持ちは穏やかで、空家の庭で見せた切迫した相貌とは明らかに違っていた。
私はそんな元海岸猫を見て、改めて思い知らされた。
猫はやはり、信頼し合っている人の側で暮らすのが一番幸せなんだ、と。

今回の出来事を経験して、私はまた、猫に学ばせてもらった。
気ままですげなく見える猫は、犬に比べて飼い主への情愛が薄いと考えるのは誤っている。
表現が違うだけで、猫だって、飼い主への思いは強いのだ。

ここにも、飼い主が迎えに来てくれるのを辛抱強く待っている猫がいる。
この赤トラは、おそらくこの場所で飼い主と別れたのだろう。
でないと、人目につくこんなところに身を晒している理由は、ほかに考えられない。

私は前回口ごもったことを、はっきりと言い切った。
「赤トラよ、お前の願いは叶わないぞ。お前は、信じていたニンゲンに、ゴミのように捨てられたんだ」
「そんな血も涙もない極悪非道なヤツをいつまで待っているつもりなんだ?いい加減に諦めて、安全な防砂林の中で暮らしたほうがいいぞ」

私は、この猫に会うたびにやるせない気持ちになる。そして、心の中で涙を流し、同じニンゲンとして謝りつづけている。
波音を子守唄にして眠っている赤トラは、どんな夢を見ているのだろう?

願わくば、夢の中では愛する人の側で安らかにしている赤トラであってほしい‥‥。
付記
保護当日以外の写真は、記事制作のために、後日撮影しました。
(黒枠の写真を除く)
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ゴールデンウィークの初日4月28日に行方不明になり、そして10日目に入った5月7日夕刻に無事保護した。これは、その直後のスナップだ。

失踪時より少し痩せていたが、健康状態は良好だ。
行方不明期間は9日と3時間、その間どこで何を食べていたのか‥‥今もなお謎のままだ。
さて、先述したとおり、この猫は“海岸猫”だった。
そして私とこの猫との出会いは、2008年の秋に遡る‥‥。
2008年11月3日、1匹の茶シロの海岸猫が姿を現すと、長い尻尾をくゆらせながら、ゆっくりと近づいてきた。

その頃、私もこの海岸猫を2、3度目撃したことがあったが、いずれも何者かに追われて、防砂林の中を脱兎のごとく疾走しているのを垣間見ただけなので、まともに対面したのはこの時が初めてだった。
その後も1週間に1度くらいの頻度で顔を合わせるうちに、警戒心も解けたのか、茶シロは徐々に私との距離を縮めてきた。

そのうちに、眼の前でこんな仕草を見せるようになった。
仄聞したところによると、この年に海岸へ姿を見せるようになった新参者だという。
つまり、この茶シロは人の手により遺棄された“捨て猫”だったのだ。
それなのに、人を慕うボディランゲ-ジで愛嬌を振りまく茶シロが、私は愛しく思えてきた。
当時この猫に魅了されていたのは私だけではなかった‥‥。あるブロガーが、每日のようにこの海岸猫の写真をブログに掲載していたのだ。

そのブロガーの名はdodoさん。
私がこのブログを始める際に範として倣った『SURF RESEARCH』の管理人だ。
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私は、今でもはっきりと憶えている。

2008年12月6日の夕刻の海岸は寒風が吹き荒ぶ、凍えるほどの寒さだったことを。
寒風に逆らって海岸沿いの道を西へ向かっていた私は、路傍の枯れ草の中で体を縮め、寒さに耐えている茶シロの姿を発見した。

私は足早に歩み寄ると、躊躇うことなく茶シロを上着で包み込むように抱きしめた。しばらくそうしていたら、腕の中からゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえてきた。
その時、私の心は決まった。
私は、茶シロを上着の内側に抱いたまま、自宅に連れ帰った。
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海岸に遺棄されるまでは飼猫だったと推察される風も、すんなり我が家に融けこんだ。
猫トイレや爪研ぎ器の使い方などを、完璧に体得していたので、受け入れる家族の心証も良かった。
しかし、何の前触れもなく風が姿を消したことで、dodoさんのように心を痛める人たちがいたことを、その時の私には知る由もなかった。

海岸散策を夕刻から早朝に変更してdodoさんと知り合い、風のことを報せるまでには、その後1年近くを要した。
このように、ある人たちからすれば、海岸猫が理由もなく、突然姿を消したように見える。
船宿エリアに限っても、カポネ、クロベエ、シズク、マサムネ、コユキが行方知れずになっている。
かつては10匹以上の野良猫が暮らしていた“西のエサ場”などは、徐々にその数を減らし、ついには1匹を残すだけになった。

最近このような出来事に関して、妙な噂が私の耳に入るようになった。
「悪意ある人の手により捕らえられた」とか「猫盗り業者が駆除した」とか「関西の業者が三味線用に捕獲した」等々‥‥。
が、よく訊いてみると、目撃情報を得たわけでもなく、ただ“可能性”をいっているだけに過ぎないようだ。
本人がどう思おうと勝手だが、根も葉もないことを吹聴するのは止めたほうがいい。
そんな裏付けもないことをいう度に、自身がいかに皮相的で短絡的な人間であると喧伝しているようなものだからだ。

原則的に、私は実証される事柄だけを、記事にしているつもりだ。
ちなみに、私が風を保護したように、海岸猫の世話をしているボランティアの人たちが複数匹の海岸猫を引き取っているのは、事実だ。
さらに、私は会っていないが、実はタビにはソックスとタイツのほかにもう1匹娘がいる。
その海岸猫は、私も知るOさんという男性に保護され、その後、家の引っ越しに伴い、今は関西で暮らしているのも事実である。

このエリアを担当するボランティアのA夫妻は、私が伝えるまで事の顛末をまったく知らなかった。
最近、防砂林に住まう人からも、キャリーバッグ持参で海岸猫を保護している場面の目撃談を聞いたばかりである。
‥‥思えば、ミケやサンマの場合も、実情を知らない人からすれば、いきなり行方不明になったと感じたことだろう。
かといって、消息不明の猫たちの多くが幸福になっていると思うほど、私は楽観論者ではない。
(自他共に認める、悲観論者だ)
要するに、海岸猫が行方不明になる理由は一様ではなく、最悪な結果ばかりを考えるのはあまりに狷介だと言いたいのだ。
“石橋を叩いて渡らない”
これは、周りの人が私の性格を婉曲にいい表すときに使う言葉だ。むろん褒め言葉ではなく、多分に揶揄が含まれている。
直接的にいうと、物事に対して、弱腰とか煮えきらないとか、とにかく思いきりが悪いのだ。

最大限良くいって、用心深く無理をしない“慎重派”、ということらしい。
そんな私が、ゴールデンウィークの初日に、愛猫を散歩させようと思い立ったのだ。
慎重派の私は、万が一にも逃げないよう、愛猫にリード付きのハーネス‥‥所謂ハーネスリードなる物を装着させ、コースも人通りの少ない住宅街を選んだ。

元海岸猫の風が、ハーネスリードを付けるのは今回が3回目。
過去2回もそうだったが、今回もハーネスリードに慣れないのか、風はそわそわと落ち着かない。
前から杖をついた老女が近づいてきたので、私は歩みを止めると、リードをたぐり寄せて、風を足許に座らせた。その際、それまで手首に通していたリードの輪を、つい外してしまった。

そして‥‥、老女が我々の眼の前を通り過ぎた瞬間だった。風が渾身の力を込めてダッシュしたのは。
リードは私の手から、いとも簡単にもぎ取られた。
私は心の中で舌打ちした。「猫の瞬発力の凄さは知っていたはずなのに‥‥!」

風は闇雲に疾走した。私は急いで後を追ったが、時速70キロで走れる能力を持つ猫に追いつけるとは思っていなかった。
それでも私は、高をくくっていた。
リードをしたままだし、私と風との信頼関係に自信を持っていたからだ。

風は民家の門扉の下から中に潜り込むと、建物の陰に隠れてしまった。
庭にいた住人に尋ねると、門と反対側のフェンスを越えて隣家へ行ったと言う。
私は踵を返すと、いったん表通りに出てから、その隣家へと急いだ。

そして見当をつけた路地に入って、風が越えたというフェンスを目指した。
私は、目当ての民家が近づくと、風がいつ現れても対応できるように歩度を緩めた。

風が越えたのは、おそらくあのフェンスだ。
と、その時、駐車場の車の下にうずくまる茶シロの猫を発見した。

私は、てっきりそれが風だと思い、車の下から出てくるように促した。ところが、やがて出てきたのは、同じ毛色の違う猫だった。
自分の勘違いで無駄な時間を費やしてしまい、私は大きく嘆息した。

私は再び踵を返すと、表通りへと目を遣った。
時間的には、この道路を横断していても不思議ではない。

しかし、比較的交通量の多いこの道路を、リードを引きずったまま渡るだろうか?
ましてこの地区は、風にとって土地勘がないところ‥‥。
私はその道路を渡らず、最後の目撃地点を中心にして、猫が隠れそうな場所を捜すことにした。

だが、目にするのは違う猫ばかりで、肝心の風の姿を見つけることが出来ない。
この時点で、私は完全に風を見失ってしまった。そして、すぐに捕獲できるだろうと高をくくっていた自信はすでに雲散していた。
次に、パニックに陥った猫が安心して身を潜めるようなところ‥‥つまり、人があまりいない場所を、範囲を広げて入念に見て回った。

そして、住人らしい人を見かけると、「黄色いリードを付けた猫を見ませんでしたか?」と訊いてみたが、目撃情報を得ることは出来なかった。
物陰に隠れていたとしても、長さ1メートルほどのリードなら目立つはずだが‥‥。
風は、最初に侵入した家の住人に目撃されてから、まるで蒸発したように姿を消してしまった。

結局、この日は捕獲するどころか、姿を見ることも出来ず、また有力な目撃情報も一切得られなかった。
次の日からは早朝から深夜まで数回、捜索範囲を広げて風を捜しつづけた。

ところが3日経っても、目撃情報すら得られず、やむなく市役所、警察署、保健所、保護センターと、考えられる全ての機関に猫失踪の届け出をした。
黄色いリードを付けたままなので、すでに保護されているのでは、と期待したが、どこからもそのような情報は寄せられていなかった。
家族も時間が空いた時に捜索に加わってくれたが、やはり数人での捜索には限界がある。そこでチラシを作ってポスティングすることにした。

次の日から、捜索と並行して迷い猫捜索のチラシをポスティングしていった。

私としては、藁にも縋る気持ちで、一軒一軒ポスティングをつづけた。
失踪現場近くの『下山動物病院』、『そば処久月』、『サークルK』は人目につく場所へチラシを掲示してくれた。

この3枚の貼紙に、どれほどの効果があるのか、その時は分からなかったが、悲観に傾きかけた私の心を立ち直らせる効果は大いにあった。
さらに失踪現場を中心にして、目立つ場所へ数枚のチラシを自ら貼り付けた。

逃走のキッカケを作った当人として、風と再会するためなら、出来ることは何でもやろう、という気持ちだった。
すると3、4日経った頃、ポスティングされたチラシを見たSさんという男性から、風らしき猫を近隣の駐車場で目撃したという電話をもらった。

時間帯を変えて、何度かその目撃場所付近を捜索したが、発見には至らなかった。
その電話を最後に、風の目撃情報が入らない日がつづいた。
もしかしたら、私が考えているより遠くへ行ってしまったのかもしれない‥‥。

これは、ポスティング済みの家を印した地図。
ともあれ、私はこの地図を真っ赤に塗り潰すまでは捜索をつづけるつもりでいた。
にしても、いったい何枚のチラシを印刷したのだろう‥‥?

具体的な枚数を調べる気などないが、カラーインク3個とブラックインク1個のカートリッジを使い切ったことは分かっている。(この直後に、ブラックインクを交換)
ランニングコストが安い古いプリンターで助かったが、そうでなければインク代で破産するところだ。
それからも、範囲を少しずつ広げながら、連日捜索をつづけた。

捜索途中で住人とおぼしき人を見ると、チラシを手渡しながら、風のことを尋ねた。
だが、リードを付けた茶シロの猫を見たという人と遭遇することはなかった。

そうして、あと1時間で失踪から10日目に突入しようとした時だった‥‥1本の電話がかかってきたのは。
それは、私がポスティングしたチラシを見た女性からの電話だった。
「たった今、この猫ちゃんが近所の空家の庭にいるのを見ました。チラシを持っていって確認しましたから、間違いないと思います」

私は電話を切ると、現場へ急行した。
すると、雑草が繁茂した庭に、見覚えのある縞模様の尻尾が揺れているのが見えた。
その瞬間、風に間違いないと、私は確信した。
ところが、近づこうとすると、風は身を翻して空家の床下へ潜り込んでしまった。

エサを置いて離れると、床下から出てきてそれを口にするのだが、距離を縮めようとすると、すぐに身を隠す。
そこで、風の気持ちを落ち着かせるために、しばらく離れたところから様子を見ることにした。
そこへ、電話をくれた女性、Iさんが様子を見に来てくれた。
話を訊くと、チラシを見る数日前に、やはりこの空家の庭で目撃したときの風は、途方に暮れた様子で、「私は、これからどうすればいいのかしら、という感じでしたよ」とIさんは言った。

Iさんは、風を目撃した後、わざわざ貼紙のあるサークルKを訪れ、風が保護されたかどうかを確認してから、私に電話をしてくれたのだ。
この空家‥‥、猫が身を隠すには絶好の場所だと思ったので、当初は何度か覗いていたが、三毛の野良猫を一度見ただけだったので、やがて捜索対象から外していた。

風は床下から時々顔を覗かせるものの、私が名を呼んでも外へ出てこようとしない。
3年半で培った、風との信頼関係は、私の一方的な思い込みだったのか‥‥。
「そんなはずは、ない!」
私は疑心を振り払うように、床下の通気口へ足早に近づいていった。

そして今度は、エサで誘う姑息なことはせず、床下にいる風に声をかけた。
「風、ゴメンな‥‥、辛い思いをさせて」私はとにかく、風に謝りたかった。
慣れないハーネスリードを装着させたこと、土地勘のない場所に連れ出したこと、さらに風の考えを察することが出来なかったことを。

しばらくすると、風は床下から出てきて、私から5メートルほど離れた場所に端座した。
それからも、私はただひたすら風に謝りつづけた。
すると、今度は風が、まるで喋るように鳴きはじめた。
9日間自分がどんなに寂しく辛かったか、そしてどうして、もっと早くココへ来てくれなかったのかと、私を諌めるような抑えた口調で、風は話しつづけた。

風の言うことは、もっともだと、私も自責の念を覚えていた。
一般論として‥‥、
山で遭難したら、闇雲に動くことは愚挙である。徒に体力を消耗し、滑落などの危難に遭う可能性も高くなるからだ。助かりたければ、一所にじっとしていることだ。
そして、救助隊が来るのを信じて待つのが最良の選択である。
風は動物の勘で、その最良の行動をとっていたのだ。
何故かって‥‥、
空家の前、ここが私がリードを離してしまった、正にその現場だからだ。

風は待っていたのだ。私が現場に戻ってくることを信じて‥‥9日間ずっと独りで。
土地勘のない風にとって、それが最良で唯一の方策なのに、私はそれを察してやることが出来なかった。
いったい、風と向い合ってどれくらいの時間が経ったのか‥‥?
やがて、風のほうから徐々に近づいて来ると‥‥、ついには私の脚に体をすり寄せてきた。

私は、その体を両の手でしっかり抱きながら言った。「風、おかえり」と。
結局、発見から保護まで4時間を費やしたが、私は充足感と虚脱感がない交ぜになった妙な気分だった。冷めた興奮状態といえば分かってもらえるだろうか。

それにしても、簡単に外れる首輪はまだしも、ハーネスリードも無くしているとは‥‥。
これでまた、謎が一つ増えてしまった。
私が海岸で保護するまでの環境がそうさせるのか、元海岸猫の風は猫缶などのウェットフードを口にしない。

カリカリ以外の好物は、かつぶしとシラスである。
日頃は身体のことを考えて、少し与えるだけだが、今日は特別、いつもより多めに奢ってやった。
私を振り切って失踪してから9日と3時間、風はやっと安息の場所に戻ってきた。

どんな柔らかなクッションやどんな厚い絨毯より、猫が一番心安らぐ場所は愛する人の膝の上である。
帰宅してから数日後‥‥。
失踪事件などなかったように、風は以前と同じ風情で窓の外を眺めている。

その面持ちは穏やかで、空家の庭で見せた切迫した相貌とは明らかに違っていた。
私はそんな元海岸猫を見て、改めて思い知らされた。
猫はやはり、信頼し合っている人の側で暮らすのが一番幸せなんだ、と。

今回の出来事を経験して、私はまた、猫に学ばせてもらった。
気ままですげなく見える猫は、犬に比べて飼い主への情愛が薄いと考えるのは誤っている。
表現が違うだけで、猫だって、飼い主への思いは強いのだ。

ここにも、飼い主が迎えに来てくれるのを辛抱強く待っている猫がいる。
この赤トラは、おそらくこの場所で飼い主と別れたのだろう。
でないと、人目につくこんなところに身を晒している理由は、ほかに考えられない。

私は前回口ごもったことを、はっきりと言い切った。
「赤トラよ、お前の願いは叶わないぞ。お前は、信じていたニンゲンに、ゴミのように捨てられたんだ」
「そんな血も涙もない極悪非道なヤツをいつまで待っているつもりなんだ?いい加減に諦めて、安全な防砂林の中で暮らしたほうがいいぞ」

私は、この猫に会うたびにやるせない気持ちになる。そして、心の中で涙を流し、同じニンゲンとして謝りつづけている。
波音を子守唄にして眠っている赤トラは、どんな夢を見ているのだろう?

願わくば、夢の中では愛する人の側で安らかにしている赤トラであってほしい‥‥。
付記
保護当日以外の写真は、記事制作のために、後日撮影しました。
(黒枠の写真を除く)
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