生命力

2013年07月10日 13:30

告知を含めて新たな記事に編集しました

私は今、郷里のネットカフェでこの記事を書いている。

ブログを更新した直後の先月23日の夜、実家の母の容態が急変し救急車で病院へ搬送された。
そのことを知らされた私は、翌24日重い体を引きずるようにして列車に乗り、7時間あまりを要して深夜近くに母の入院した病院へ辿りついた。

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母は一時、危篤状態に陥ったという。しかし私が病室へ着いたときは鼻から酸素吸入されていたが、症状は持ち直していた。

私は母の耳元で名を呼んだが、目を開けているものの、焦点はどこにも合っておらず、病室の虚空を凝視している状態で、私のことも認識しない。


翌日母の意識は混濁し、寝息を立てて眠っている状態で、いくら声をかけても何の反応も示さなくなった。

担当医に母の症状を訊くと、罹患した病名を次々に挙げていく。
「骨髄異形成症候群、腎不全,尿路感染症、敗血症、肺炎」去年発症した疾病もあるが、難病を含む病名の増加に、私は言葉を失った。


そして担当医は私の気持ちを慮ってか、婉曲に無感情な事務的口調で言った。
「お母様が回復する見込みはありません。正直いって余命がどれくらいか分かりませんが、週単位ではなく日単位で考えてください」


それから一週間あまりが過ぎたが、母は時折目を開けるものの、私の呼びかけには殆ど無反応だ。目が呼応していると感じることもあるが、言葉は一切発せず、体も首から下は指一本動かせない状態が続いている。

回復する見込みのない母に面会に行くのは辛く気が滅入るが、自分の体調が優れなかった日を除いて毎日面会に行っている。
医者の見立てが間違うときもあるし、奇跡が起こることもあると期待して‥‥。



母の入院している病院と実家の間に、今年の1月に足繁く通った『山門前エリア』がある。
が、母の重篤な病状を知り沈うつな状態に陥っていた私は、なかなか訪れる気にならなかった。



そんなある日、午前中に母に面会行った帰路、思い立って参道に自転車で乗り入れた。
この日は梅雨の晴れ間で、朝から気温が上昇し真夏日を記録していた。こんな日盛りの時刻に猫は姿を見せないだろうと思い、そのまま通り過ぎようとしたときだった。

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民家の軒先の日陰で涼をとっていた1匹の白猫の姿が目に入った。


よく見ると、それは5カ月前にはまだ仔猫の面影を残していた“オッドアイ”の白猫だった。
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体も大きくなり、凛々しいオス猫に成長していた。
「生きていたのか‥‥」それが、私の第一声だった。



あの時猫風邪に罹っていて、その後どうなったか気に掛かっていたので、元気な姿を見て沈んでいた気持ちが少し癒された。
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野良猫の寿命は、家猫に比べて著しく短い。
3~4歳とも4~6歳ともいわれているが、正確なことは分からない。その年齢もある程度成長した野良の話。野良の母猫から生まれた仔猫の場合生存率は低く、殆どが乳児期に死んでしまう。



そこで試されるのが“生命力”だ。運もあるが、生きようとする強い意志があるかないかで生き残れるかかどうかが決まる。
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ちなみに、イヌワシのヒナは自分が生き残るためにほかの兄弟を殺してしまう。そして親もそれを黙認して丈夫に育つ見込みのある一羽だけに餌を与えるのだ。


野生動物の場合、生まれた瞬間から生きるか死ぬかの淘汰が始まる。たとえその相手が同じ血を分けた兄弟であっても例外ではない。
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野良猫は飽くまでもニンゲンが作り出したもので、野生動物ではないが、生存競争は厳しいと想像できる。


このオッドアイの白猫もまだ1歳を迎えていない幼い猫だ。野良猫の平均寿命まで生きられるかどうか、それはひとえにこの子の生命力にかかっている。
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ただこのエリアの劣悪な環境では長生き出来る可能性は低いと思われる。だがそれも、この子の運命だ。


その運命から救い出せるのは、野良猫を生み出した我々ニンゲンしかいない。
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自分の存在理由も分からないこの子には何ら罪はない。
罪深いニンゲンはそ知らぬ顔で嘯く。「だからエサをやっているじゃないか」と。



私に言わせれば、そんなことは最低限のことだ。自己満足でエサを与えていないというなら、これ以上不幸な子が増えないよう不妊手術を受けさせるのが人としての道義だろう。
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そういえば、目ぢからの強い兄弟が見当たらないが‥‥。


視界の隅に動くものがあったので、視線を巡らせると、表通りに近い飲食店の店先に2匹の猫がいた。
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缶詰に顔を突っ込んでいる茶トラははじめて見る猫だ。


何処からか流れてきたのか、それとも食事時だけほかのエリアからやってくるのか‥‥。
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前足まで使って食べるのに専念している。私の接近にもまるで気づいていない。


黒猫はそんな茶トラをただ見つめているだけだ。
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黒猫の識別は難しい。前回2匹の黒猫を確認しているが、この黒猫がそのときの猫かどうか、私には見分けられない。


茶トラに視線を戻した私は愕然とした。
猫缶だと思っていたが、茶トラが貪っているのはニンゲン用のツナ缶だ。

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ニンゲン用のツナ缶には猫に必要なビタミンが添加されていないうえ、猫には害となる塩分や油分が多く含まれているので、与えるべきではない。


しかし、この子らにとって今日を生き抜くためには必要不可欠な食べ物なのだ。
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このツナ缶を与えた人は動物好きのはず。なのにどうして有害なモノが入っているニンゲン用なのだろう。


知識がないから、それとも知っているがニンゲン用の方が安価だから‥‥。
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「おい、長生きしたければそんなモノ食べるな」そう言ってみても、生きるだけで精一杯の野良は聞く耳を持ち合わせていない。


ここで私がツナ缶を取り上げても、殆ど意味はない。この街にとって異邦人と同じ立場の私には為す術がないのだ。
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昔ならいざ知らず、今では田舎のこの街のスーパーやコンビニにもキャットフードは置いてある。


なのにどうして猫専用のエサを与えないのかと問い質しても、「あげないよりはマシでしょ。それともあなたがエサ代を出してくれるの」と反論されれば私に返す言葉はない。
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そうこうしている間に、茶トラはニンゲン用のツナ缶を欠片も残さず食べ尽くしたようだ。


「なあクロちゃん、お前たちとニンゲンが本当の意味で共存出来る日はやってくるんだろうか?」
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だが黒猫は、きょとんとした顔で私を見上げただけで何も語ってくれない。


何も改善されていないこのエリアの状況に、私の胸は痛んだ。
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そして、それに対して何も出来ない自分に嫌気が差してきた。


15年前に唯一の兄弟である弟が不慮の死を遂げ、そして一昨年の暮れに父が病死して以来、母は実家で独りで暮らしていた。
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実際は認知症が重くなった父がグループホームに入所して以来だから6年間独居生活を送っていたことになる。


母が暮らしていたその実家で、私は今この雑種の老犬と留守居をしている。
10数年前に、遺棄されていた仔犬を母が拾ってきたのだ。

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この犬、捨て犬のときにトラウマでも刷り込まれたのか、極度なビビリである。
特に雷や打ち上げ花火などの大きな音や、草刈機などのモーター音を耳にすると大きな鳴き声を上げて、手がつけられなくなる。



それでも老いていく者同士、母とこの雌犬は互いを支えあって暮らしていた。
母はこの犬がいるから入院を頑なに拒んできた経緯がある。

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母が入院してから、心なしか以前より寂しげな表情を見せるようになった。


私はそんな老犬の体を撫でながら呟いた。「サクラ、ばあさんはもう帰ってこないんだよ」
と、そのとき思いがけず私の口から嗚咽がもれた。

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そして、病床の母にも病状を告げる医師にも見せなかった涙が後から後から溢れてきた‥‥。


7月7日、夕刻。
この日は、母が緊急入院してからちょうど2週間目にあたる。

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私は、担当医から母の余命を宣告されたときから、ある期日を勝手に想定していた。
それが7月7日だ。「2週間を過ぎれば、母の余命はもう日単位ではなく週単位になる。そして1ヵ月が過ぎれば今度は月単位に延びる」という理屈で。



実は昨年の夏、担当医から「お母様の余命は後数ヵ月でしょう。年を越すのは諦めてください」と宣告されていた。ところが、母はその見立てを覆し、小康状態のまま年を越したのだ。
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医者が悲観的な見立てをし、家族が楽観的な受け止め方をするのは世の常。
患者が自分の見立てより早く亡くなれば医者は責任を問われる。しかし、その逆なら遺族から感謝される。



さらにこの日、小さな奇跡が起こった。母が意識を取り戻したのだ。
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昨日まで、開けていても虚空を見詰めてばかりいた目は、しっかりと私の顔に焦点が合い、まったく揺るがない。


私は自分を指差し「誰だか分かる?」と訊いてみた。すると母は懸命に喋ろうとするが、赤ん坊の喃語のように言葉にならない。
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でも「う~、あ~」と発している母の口は、間違いなく私の名を発音する形になっていた。
そして私が病室を去るとき、必死の形相で右手を上げると弱々しく左右に振った。



二度までも医師の見立てを覆した母の生命力に私は感嘆した。
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母もまた、懸命に生きようとしているのだ。




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母の入院で帰省しているため、コメント認証、コメント返しが遅れていますが、事情ご賢察のうえご容赦ください。

中に認証しないことにご立腹の人が1名いますが、今までブログで述べてきた私が抱えている事情も知らず、勝手な思い込みで人を非難するのは己の狷介さを露呈することと自覚すべきだろう。
また左カラムの最新コメント欄の『コメント返しは次の更新後に』という文言を見落としている迂闊さを自省することも忘れないように。
(もしそれらを知った上での確信犯なら話は違ってくるが‥‥)


今は記事を優先したいので、コメント返しは余裕が出来てからになります。

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生きること・死ぬこと その壱

2013年08月28日 11:30

その後母は、日毎に意識がはっきりしてきた。
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7月の中旬頃には生来の好悪の激しい気質を表出させ、担当医や看護師を戸惑わせた。


やがて日中は半身を起こして、呂律が怪しいながらも、面会に訪れた私との会話が成立するようになり、体も徐々に動かせるほどの回復を見せてきた。
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入院4日前に電話で話したのが最後だと、諦めていた私にとって母が意識を取り戻したのは嬉しい出来事であった。


しかし‥‥。
母自身にとって意識の回復は必ずしも歓迎すべきことではない。

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戻ってきたのは意識だけではなかったからだ。


10年ほど前、母は家の中で転倒し、腰に近い部分の背骨を圧迫骨折した。以来背中や腰に痛みを覚えるようになり、やがて歩行に支障を来たすまでに悪化した。

その痛みが、意識と歩調を合わせるように戻ってきて、再び母を苦しめ始めたのだ。


今回担当医と最初に会った際に言われた言葉が蘇ってくる。
「苦痛を感じないという点で、意識のないことは本人にとっては幸いなこと‥‥」

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だから、病床で顔をしかめて痛みを訴える母を見ている私の心境は複雑なものだった。


7月23日、その日は母が救急車で搬送され緊急入院してから1ヵ月目にあたる。

この日を過ぎれば母の余命は月単位になると、私が次の目標にしていた日であった。勿論、私の勝手な思い込みと希望的観測であることは承知している。

ところが、その日を翌日に控えた7月22日午前9時40分、病院の看護師から電話がかかってきた。
「お母様の血圧が下がってきたので、ご連絡させてもらいました」
「それはつまり、危篤状態ということでしょうか?」と私は即座に訊いた。
「いえ、そこまで切迫した症状ではないのですが、一応息子さんには連絡したほうがいいと思いまして‥‥」と看護師。
「分かりました。これからそちらに行きます」私はそう応えると、急いで身支度をして自転車を駆った。



私が病室に入ったとき、母は酸素吸入を受けているにも拘わらず苦しそうに呼吸をしていた。
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見ると、吸入させている酸素量の値はMAXを示している。


病室に来た看護師に母の容態を訊いたら「薬の点滴で血圧は正常値に戻りました」と説明してくれた。
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その点滴の効果が表れたのか、母の呼吸が徐々に穏やかになり、正午前には表情も和らいできた。


それでも投与している酸素量は高い値を維持したままだ。
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昼過ぎ、私が報せを入れていた市外に住む叔母が顔色を変えて駆けつけてきた。これまでの経緯を教えると、叔母は安堵の表情をうかべた。


それから叔母と2人、たわい無いことを病床の母に話しかけ続けた。
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母は自発的に言葉を発しないが、我々の問いかけに「はい‥‥はい‥‥」と応える。


母の容態が落ち着いたのを確認した叔母は、夕刻帰っていった。
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そして、しばらく病室に残っていた私も、看護師に挨拶をして病院を後にした。


その日の深夜だった‥‥。

薬を服用したが、それでも寝付けず輾転反側していたとき、私の携帯が着信音を発した。
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それは、母の血圧が再び下がってきたとの病院からの報せだった。
携帯の着信履歴は、日が替わった23日の午前2時6分を表示していた。



私は街灯の少ない夜中の暗い道を、病院目指して自転車のペダルを懸命に漕いだ。
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病床の母は数時間前とは打って変わり、虚ろな目で天井を見詰めたまま微動だにしない。
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そんな母の顔に自分の顔を近づけ、いくら話しかけても酸素吸入マスクを装着された母の口から漏れるのは苦しげな呼気だけだ。


そのうちに目の前にある心拍数、血圧、呼吸数などを表示するモニターの数値が徐々に下がってきた。
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私は更に声をかけた。「家でサクラが待っているんだ‥‥、サクラに会いたいなら気をしっかり持って!」


すると、私の呼びかけが聞こえるのか、モニターの数値が一時的に上がる。だが、すぐにまた下降していく。
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そんなことを繰り返しているうちに20台だった呼吸数が10台になり、ついに一桁になった。そして血圧は、いつの間にか計測不能の表示に替わっていた。


それでも私はモニターを横目に、酸素吸入マスクに触れんばかりに顔を近づけ懸命に母へ声をかけ続けた。
「川が見えるかもしれないけど、その川を渡っちゃダメだよ!対岸に知った人がいても、近づくんじゃないよ!!」
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でも母は私の声にもう反応しなくなった。それに瞬きをしない母の目は何も見てはいなかった。
そして母は僅かに脱力し、ゆっくりと呼気を吐き出した



すると、今まで不規則な波形を描いていたモニターの描線が一斉に平坦になり、直後ピーッという無機質な音が病室に鳴り響いた。
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それが、母の最期だった。
モニターのデジタル時計は午前4時55分を表示していた。



ややあって病室に駆けつけた当直医が、母の死亡を確認した。
そのため、死亡診断書の死亡時刻と実際の死亡時刻には数分間のズレが生じた。


母の死因は『骨髄異形性症候群』という血液の癌である。
急性白血病に移行することもあるため『前白血病状態』とも呼ばれる。


母が骨髄異形性症候群と診断されたのは2年前の夏、そして発症したのが去年の夏だった。
余命宣告された後の経緯は前回の記事に記した通りだ。


私は今回、人が死にゆく姿を初めて目の当たりにした。弟の死に目にも父の死に目にも間に合わなかったのだ。

人の死は厳粛さを感じさせるものだというが、私が受けた印象は違っていた。

私はただただ不可解だった。
数分前には生体だった人間が、今は遺体と名を替え物言わぬただの物体になったことが


生命活動を停止しただけで、目の前にいるのは母に相違ないのに、だ。

『死は生の中にある』以前、何かで読んだ文章である。
正確な言い回しではないが、意味としては死は生の対極にあるのではなく、生の一部に含まれている、という意味だったように記憶している。


私自身はその文言を読んだ際、“死”は非日常的な出来事ではなく、極日常的な出来事だと理解した。
つまり、“死”は私たちの身の回りのそこかしこに潜んでいるものだと。


電柱の陰や駅のホームの隅や非常階段の踊り場やコンビニの雑誌コーナーにひっそりと佇んでいるのだ。
あまりに身近な存在である“死”を、だから人は恐れ忌み嫌うのだろう。


母を最期を看取った私は、死がもたらす変化をにわかに受け入れることは出来なかったが、死そのものは肌で触感したように思う。

死の訪れは決して劇的なものではなく、柔らかい風のように母の身体の中をすうっと音もなく通り過ぎていったのだ。

結局‥‥。
母の強い生命力を以ってしても、医師の見立てを三度覆すことは出来なかった。



一番列車で駆けつける2人の叔母がそろそろ病院に到着する頃だろうと思い、私は通りへ迎えに出た。
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病院前の駐車場でぽつねんと佇んでいるときだった。
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何処からともなく現れた1匹の猫が真っ直ぐ私に向かって歩いてきた。


そして鳴き声を上げながら、いきなり体をすり寄せた。
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私にとっては初見の猫である。
首輪をしていないが、人懐こいところをみると飼い猫かもしれない。



その茶シロの猫は腹が少し大きく、一目で妊娠していることが分かった。
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「そうか、君のお腹には新しい命が宿っているのか‥‥」
さらに、茶シロを撫でながら「元気で丈夫な子供に育つといいな」と私は話しかけた。



身重の茶シロは私に何かを訴えるかのように、なかなか足許から離れない。
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枯れ草を相手に独り遊ぶ茶シロ。どうやらまだ若い猫のようだ。


顔をよく見ると、かなりの美猫である。
「器量良しだねぇ、君は‥‥」

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母も若い頃、美人の誉れが高かった。同級生に「お前の母さん美人だなぁ」と何度か言われたことを憶えている。


母の命の火が消えるのを見た直後に、新たな命の胎動に触れた私は不思議な因縁を感じずにはいられなかった。
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ふと見上げると、母が入院してちょうど1ヵ月目の朝陽が東の空を白く染めて昇っていた。


その時私は、まだ知らなかった‥‥。
母を亡くしたばかりの我が身に、更なる悲しい別れが、それも絶望の淵へ突き落とされるような別離が訪れることを。



【お断わり】
当日撮影した以外の写真が数点含まれています。



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生きること・死ぬこと その弐

2013年09月09日 18:00

叔母たちの希望により、母はすぐに斎場へ運ばず自宅に戻して一晩仮通夜を行うことにした。
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夜、私は母と添い寝するように、母のすぐ脇に体を横たえた。


冷房を最強にしてあったからだろう、少しまどろんで目を覚ますと、私は両足を母の布団の中へ忍び込ませていた。


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翌日の午後、葬儀社の霊柩車が母を迎えにやってきた。
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その母を玄関の中から見送る老犬サクラ。


霊柩車が走り去っても、サクラは門の方を見詰めたまま動こうとしない。
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生後間もないころ母に拾われ、以来13~14年一緒に暮らしてきたから、母の身に何か良くないことが起こったのを察知しているのだろう。


玄関の戸を閉めても、サクラは自分に声もかけずに母が再び車で去ったことが納得が出来ない様子で、尚も外の様子を窺っている。
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その後もサクラは、母の帰りを待つように同じ姿勢で動こうとしない。
それまでサクラの様子を見ていた叔母たちも「やっぱり、ずっと一緒に暮らしていたから、何か感じているんだねぇ」と異口同音に言った。



私はそんなサクラを不憫に思い、声をかけた。
「サクラ、ばあさんはもう帰ってこないんだ。でもいつかまた逢えるからそれまでばあさんの分までお前は生きろ」

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振り返ったサクラは、いつにも増して暗然とした表情をしていた。なかんずく、暗く沈んだ双眸は彼女の気持ちを雄弁に語っていた。


母の通夜・告別式は身内だけの密葬で執り行うことにした。

通夜の枕経は午後6時から始まる。
午後5時過ぎ、私の家族や叔母たちはタクシーで斎場へ向かった。
私は何かあったときに対応出来るよう一人自転車で斎場へ行くことにした。



斎場の駐車場脇で自転車から降りたときだった。
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1匹の猫が私の足許に擦り寄ってきた。それはグレーと白の艶やかな被毛のメス猫だった。


このサバシロも私にとって初見の猫である。
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前日の茶シロといい、どうして私の行く先々に猫が待ち受けているのだろう?(姿を探し求めたときは現れないくせに)


この子も首輪をしていない。飼い猫なのか野良猫なのか、私には判断出来ない。
「君には帰る家があるのかい?」

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だがサバシロは口を閉ざして何も語らない。


「いくらあなたが猫好きだからって、初対面のニンゲンに軽々しく私的なことを教えると思っているの。私を安く見ないでよ」とでも言いそうな気品を感じさせる猫だ。
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時折こうやって、警戒心のこもった目顔を見せる。だからといって、野良猫だと決め付けるのは短慮に過ぎる。


鼻梁の黒い模様が見事に左右相称していて、この猫の面差しに独特の趣を与えている。
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このサバシロもまた、鄙にはまれな美猫である。(ただし、猫社会に都会と田舎で容貌の差があるかどうか、私は寡聞にして知らない)


ところで、私が今服用しているのはSSRIと呼ばれる種類の薬で、セロトニンが減少するのを防ぐ効果がある。(その他に抗不安剤2種類を服用しているが、合わせて6mgと微量)
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比較的副作用の少ない安全な薬といわれるSSRIだが、ネットで調べてみると私の推測通り、副作用のオンパレード状態だ。
その中には、私が自覚している副作用もいくつもあった。


それら多くの副作用の中で、私を一番苦しめているのは神経過敏からくる焦燥感と高揚感だ。
それが更に昂じると攻撃性が表出してくるからやっかいだ。


幸い粗暴な行為に及んだことはないが、声を荒らげることは何度か経験している。
理性で自分の情動を抑えられないのだ。(飽くまでも理性は失わないが、隅に押しやられる感覚)


半年ほど前にその症状を医師に訴え、40mgから30mgに減薬してから副作用はいくらか弱まった。

私自身はSSRIという薬を、遅効性の覚醒剤だと認識している。
ゆえに、依存症や禁断症状(離脱症状)も当然ある。


ある本には「SSRIはコカインより恐ろしい薬だ」と専門家が訴えていると記述されている。
(ちなみに薬事法でSSRIは劇薬に指定されている)


この薬の依存症から一日でも早く脱却することが今の私の当面の目標である。


私は幼い頃より「男は人前で涙を見せるな」と周りに言われ、自分自身もそれがいわゆる“男の美学”と信じて墨守してきた。

しかし心に病を得てからは、その信条が大きく揺らいでいることを実感している。
(それも皮肉なことに病の症状より、上記のSSRIの副作用が大きく影響している)


男の美学‥‥。父の死に際しては辛うじて持ち堪えたが、母の出棺に臨んで、ついにその矜持は瓦解した。

私は柩の中の母の亡骸にすがって身も世もなく泣き崩れたのだ。
そのとき母へ盛んに語りかけていたことは憶えているが、具体的に何て言ったのか、その記憶はほとんど残っていない。


この振る舞いもSSRIによって感情の振幅が大きくなったことが要因だと思われる。

それから母の柩を載せた霊柩車で火葬場へ向かったが、その間私は虚脱状態に陥り車窓の景色をただ漫然と眺めていた。


その後は大きなアクシデントもなく、葬儀はつつがなく終わり、母は小さな壺に納まって自宅に帰ってきた。
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9月の誕生日を迎えていたら、母は81歳になっていた。病を得なければ、もっと長生きしていたはず、それが残念でならない。


これで父を家長とする家族は、私一人だけになった。
母の遺影と仏壇に納められた父と弟の位牌に向かって私は呟いた。
「そっちの方が賑やかになったね」

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家族4人が揃っていた頃の情景がフラッシュバックのように私の脳裏に現れては消えていく。
あの団欒は、もう二度と戻ってこない。



それからの数日間、私は母の供養をしながら比較的穏やかな日々を過ごした。
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ところが‥‥。
そんな私に、更なる悲しい別れが突然訪れた。



8月10日の午後、それは起こった。

仏間を出て廊下を横切るとき何気に玄関を見た私は、その異変にすぐ気がついた。
サクラが四肢を伸ばして横たわり身じろぎしていないのだ。


私はサクラに駆け寄った。しかしサクラはすでに全身を硬直させていた。

「サクラーッ!サクラーッ!」
私は完全に平静さを失い、サクラの名を絶叫した。


私は助けを求めて、妻に電話をした。でも妻が何を言っているのか、まったく頭に入ってこなかった。

そして妻から連絡を受けた息子から電話があったが、彼も立て続けに起こった悲報にただ言葉を失っていただけだった。

サクラの身体を撫でながら、私は誰はばかることなく慟哭した。

それからいったいどれくらいの時間が経ったのか‥‥。私はサクラから離れどうにか体を起こした。


そして私はサクラの亡骸を抱えると、母の祭壇が見える座敷まで運んだ。
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今回帰省した当初から、サクラの体調の異変が気になっていた。
私が実家を離れていた5ヵ月の間に、サクラは痩せ細っていたのだ。



ネットショップに配達を依頼したドッグフードは、その期間の割りに減っていなかった。
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私が実家に戻ってからは、通常の量の食事を与えてたが、体重は元に戻らなかった。


それでも7月はまだ、食欲があった。ところが8月に入ると、その食欲が細ってきたのだ。
与えたドッグフードを半日かけて食べていた。

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そしてこの日の朝与えたエサは、まったく手付かずで残っていた。この夏の猛暑で夏バテしたくらいに考えていた私が浅慮だったのだ。


私が実家を去った後は、叔母がサクラの世話をしてもいいと言ってくれていた。
それに、環境が整ったら神奈川に引き取ることも考えていたのだが‥‥。

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サクラは母と暮らしたこの家から離れたくなかったのだろうか?それとも母の死を知り、後を追ったのだろうか?


サクラもいなくなり、私は本当に独りぼっちになってしまった。
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そして家族がいなくなった実家は、私にとってただの“家”に成り果てた。


母の死は去年の夏に余命宣告された時点である程度覚悟が出来ていたが、予期しないサクラの急死は私を完膚なきまでに打ちのめした。
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サクラの死をきっかけに、私の中で何かが壊れた。それはあたかも心を覆っていた防護壁が崩壊して、心が直接外気に晒された感覚だった。


さらに周りの光景が彩度を失い、全てが意味のないものに見えてきた。
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数日経つと一時の激情は治まったが、私は自分の精神が剣呑な状態であることを自覚していた。だが、そう意識すればするほど、自虐的な感情が頭をもたげ絶望の淵の深遠へと突き進んでいった。


やがて、生きることと死ぬことの差異が判然としなくなり、その境界も曖昧になってきた。
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この心の有り様が病のせいなのか、それとも薬の副作用のせいなのか、そのときの私にはどうでもいいことだった。


そんな絶望の淵に沈んだ私を救ってくれたのは、“家族”だった。
それも、思いも寄らない家族であった‥‥。




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生きること・死ぬこと その参

2013年10月07日 08:30

『この地域ではペットが亡くなると、その亡骸を川原に埋葬する習わしがある』という。
が、私にとっては初耳である。



すると、動物の守り神が“水神様”だからだ、と周りの者が異口同音に教えてくれた。
つまり水神が統べる水の側に埋葬することが動物たちの供養になる、というのだ。

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その風習に倣い、サクラも川原に埋葬することにした。


サクラの弔いのため、従兄弟が、車で1時間あまりの道程を2人の叔母とともにやってきてくれた。時刻はすでに午後9時を回っていた。
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真っ暗な川原で懐中電灯の明かりを頼りに穴を掘るという行為には、背徳の匂いが漂い、スリリングな心持になる。

一つしかないスコップを交代で使い穴を掘っていく。
昼間の暑気が残っているので、夜にも拘らず5分もスコップを振るっていると、額から玉の汗が噴出してくる。

掘りはじめて3、40分経った頃だろうか、ようやくサクラが納まる穴になった。

その穴の底へバスタオルと冬場に使っていた敷物にくるんだサクラをゆっくりと横たえた。


それからサクラの周りに、日頃使っていた食器、外した首輪、常食だったドッグフード、大好きだったジャーキー、飲み水の入った容器を供えた。

さらに生きている時は口にしていない菓子類とパン類も袋から出し同じように穴の中へ。
そうして最後に花束をふたつ、サクラの身体の上にそっと供えた。


それから4人で手を使ってサクラの上に砂を被せていった。
「サクラちゃん、良いとこへお行きよ」と口々に呟きながら‥‥。



翌朝、日の出前に自転車で15分ほどのところにあるサクラの墓へ私は赴いた。
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食べ物を一緒に埋めたせいか、恐らく散歩中の犬の仕業だろう、サクラをくるんでいた敷物の一部が地面から掘り出されていた。


これではサクラもおちおち眠っていられないだろうと思い、大き目の石を運んできては周囲に配した。だが、それでも数日後に再び掘り返された跡を発見した。
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それから、親に先立って死んだ子供が賽の河原でケルンを作るように、毎朝墓参に行く度に石を積み上げていった。


そうやって2週間ほど通っているうちに、サクラが母の許へ旅立ったことを受け容れられるようになってきた。
残される者は悲しく寂しいが、母とサクラのことを思えば、こういう結果も致し方ないなと諦観したのだ。

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13、4年もお互い支え合いながら暮らした母とサクラ。なかんずく独居になってからの母にとってはサクラの存在は大きく、あの子がいるから安心していられる、とよく言っていた。サクラもまた、そんな母を慕いつづけた。


ふたり(敢えてこう表現する)の間柄は人間とペットとの結びつきを超えた親密で濃厚なものだったのだろうと思わずにはいられない。
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四十九日の中陰を終えあの世へ旅立つ母は、是非ともサクラが側にいてほしかったのだろう。そしてサクラも母を独り行かせることは出来なかったのだろう。


空を見上げた私の目には、母とサクラが仲良く並んで去ってゆく後ろ姿が見えるような気がした。
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「さよならおふくろ‥‥、さよならサクラ‥‥」私はちょっぴり嫉妬のこもった声音で呟いた。


ところで私は三度(みたび)、猫が係わる不思議な体験をした。

話が前後するが、それは、サクラが死んだことを叔母に報せ、皆で弔いに来てくれることとなった直後に起こった。

叔母たちに振舞う冷たい飲み物を買うため、私は近くのコンビニに自転車で向かっていた。


その途中、道路に居座っている見知らぬ猫2匹と遭遇したのだ。
黒シロの猫は道路の端に体を横たえ、茶シロの猫はその黒シロと向かい合って道路の真ん中に端座していた。

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この道は帰省する度に何十回と通っているが、未だかつて猫の姿を見たことなどなかった。
このときは気持ちが急いていたので、2匹の猫を横目にそのまま通り過ぎた。



数分後、帰りに同じ道を通ったが、さっきの2匹はすでに姿を消していた。
先程は私がすぐ脇を通り抜けても身じろぎしなかった猫たちだ、もし立ち止まっていたら先の茶シロやサバシロのように親しげに擦り寄ってきたのではないだろうか。

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“私が悲しみに打ち沈んでいるときに見知らぬ猫が姿を現す”
そんなことが3度つづけば、その出来事は偶然ではなく必然ではないか、と私は感じ始めていた。



そんな事象はたまさかで、胡乱な考えだと一笑に付す方も当然いるだろう。
だが猫がニンゲンの感情を察知するのは紛れもない事実だ。


私が悲嘆にくれているとき、一緒に暮らしている元海岸猫の風(フウ)がそっと近づいてきて、私の手や腕を優しくグルーミングしてくれたのは一度や二度ではない。


だから今回の猫たちも私の傷心を知って近づいて来てくれたのだと、私は思いたい。
というか、そう信じたい。

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架空の動物“獏”がニンゲンの悪夢を食べてくれるように、猫はニンゲンの悲しみを呑みこんでくれるのかもしれない。(この場面の写真は後日撮影した)


荒唐無稽な与太話だと嘲笑われても致し方ないが、私は猫にはそういう癒しの能力が具わっていると思っている。



さて、母の死去とサクラの予期せぬの死によって大きな傷を負った私の心を癒してくれたのは次女だ。
たまたまサクラが他界した翌日は次女の二十歳の誕生日であった。

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『二十歳の誕生日おめでとう』
悲嘆にくれていた私は、なんとも素っ気無い文面のお祝いメールを送った。



次女は幼いころから寡黙で、その傾向は長じてからも変わらず、私と喋ることは稀であった。

そんな次女から、私の簡略なメールへ対してすぐに返信が届いた。どうせにべ無い文言だろうと予想していた私はそのメールを見て驚いた。それは私にとって思いがけない内容だったからだ。


『ありがとう。ここまで見守ってくれてありがとう!!』

そして私が次女に対して、今現在何も出来ないことを詫びると、
『なにもしてくれなくていいよ。その方が一人前に成長できるしね。20年間ありがとう!ごめんなさいもいっぱいあるけど、でもありがとう』というメールが返ってきた。


次女のメールを読んで、私は思わず落涙した。
その涙は私自身の不甲斐無さへの慙愧の思いと、次女の優しさに触れた嬉しさが流させたものだった。


私は自らを鼓舞し絶望の淵から浮上しようと思い立った。いつまでも悲しみに沈んでいないで、次女のために生きよう、と。


母の四十九日の法事も無事終わり、季節は秋を迎えようとしていた。
だが、猛威をふるった今年の夏の勢いはいっかな衰えようとせず、9月に入っても厳しい残暑が続いていた。

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その残暑のなか、私は母の死去にともなう役所・銀行・石材店などの煩瑣な手続きを敢えてゆっくりとしたペースでこなしていた。


そんなある日の午前中、私が用事を終え実家の門をくぐったときだった。


母が起居していた部屋の軒下で体を横たえていた1匹の猫と目が合ったのは。
その猫は私の姿を認めると、俊敏な身のこなしでエアコンの室外機の後ろへ遠ざかった。

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しかし一散に逃げることなく、その場に留まって私の一挙一動を険しい目で凝視している。


私が門の近くまで後ずさると、そのキジトラは従容とした足取りで庭を横切っていき、
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そのまま庭の隅の植込みへ足を踏み入れた。


そして長くて真っ直ぐな尻尾をくねらせながら植込みの中へと姿を消した。
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正面に回り込んでみたが、自分の被毛が枯草や病葉の保護色であることを十分認識しているキジトラは、それらに見事に溶け込んで容易に見分けられない。


そこで私は道路に出て、塀越しに植込みの中を覗き込んだ。どうやらこのキジトラ、庭木が作る木陰で涼をとる腹積もりのようだ。
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カメラが立てた微かな音に反応してふり返ったキジトラは、目を瞠り驚いた表情を見せた。


でもそれも一瞬のことで、すぐに落ち着いた面持ちに戻ると、警戒心のこもった視線を私に投げかけてきた。
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首輪をしていないが、それだけで野良だと判断するのは早計である。この街で首輪を着けていない飼い猫に私自身何度も遭遇しているからだ。


しばらくして庭に戻り、私は先程の木陰を注視した。が、そこにキジトラの姿はすでに無かった。
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音も立てず気配も感じさせず、キジトラは忽然と姿を消してしまった。


私はたった今目撃した光景をにわかに信じられなかった。何故なら実家の周りでは、数年前に向かいの家の軒下で首輪をしたサバシロを一度見たっきりだからだ。
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母の死去以来度重なっている見知らぬ猫たちとの邂逅に対して、並々ならぬ因縁を感じている折に突然実家の庭に現れたキジトラは、いったい私を何処へ導こうとしているのだろう?



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生きること・死ぬこと その四

2013年12月05日 18:00

母が闘病の末に他界し、さらにそれを追うようにサクラが逝ったことで、私にとって“死”はひどく身近なものとなった。
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生きることと死ぬことの境界線は曖昧模糊となり、どちらを選んでも大差ないのでは、とまで思うようになっていた。


ところが一方で、命あるものをいっそう愛しく思うようにもなっていた。
この世にかけがえのない唯一無二の命に畏敬すら感じ始めていたのだ。

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だから玄関の軒先に棲みついたヤモリの親子にも、ある種の感慨を受けていた。


同じ屋根の下に命を持つ者が暮らしていることで、凝り固まった心がほぐされていく感覚を覚えるのだ。
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しかし残念なことに、私の抱えている喪失感はヤモリ親子の存在で補填されるほどには小さくなかった。


そんな時だった‥‥。


1匹のキジトラが実家の庭に突如現れたのは。
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「それにしても‥‥」と私は独りごちた。


母が独居生活を始めて以来、私は実家に長期にわたって滞在しているが、これまでこの敷地内において猫の姿など、ただの一度も見たことがなかった。なのに何故、いまこのタイミングで私の前に出現したのか。
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「なあ君は家があるのか、それとも寄る辺ない身の上なのか?」


私がいくら問いかけても頑なに黙しているので、試しに少量のエサを与えてみた。
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その食べ方は悠揚迫らぬといった風で、飢えてる様子は感じられない。


栄養状態も良さそうな、健康体のオス猫である。
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だからといって、このキジトラを飼い猫だと決めつけつのはやはりまだ早く、もうしばらく様子を見る必要がある。


それにつけてもやはり気になるのは、どうしてこのタイミングで現れたか、ということである。
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玄関内につながれ散歩以外めったに外へ出ることはなかったとはいえ、猫が敵視する犬のサクラがいなくなったからか、と思った。が、それだとサクラがいなくなって1ヵ月以上も経って現れた説明がつかない。


私はふと思った。
このキジトラ、飼い主とともに最近引っ越してきたのかもしれない、と。



実家のある地区はいわゆる新興住宅地で、今も水田を宅地に替え、戸建てや集合住宅が増えつづけている。
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28年前に道路延伸の煽りを食い、立ち退きを余儀なくされた実家がこの地に移ってきたさいは田圃の中にただ一軒建っているだけだった。それが今や、少しの空き地を残して住居が建ち並んでいる。


そしてここ数年は土地活用を謳う建設会社が建てる賃貸住宅が雨後の筍のように増えた。
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その結果、かつてはこのあたりの風景の主役だった田圃は激減し、


今では住宅に四囲された脇役へと転落してしまった。
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これにより住民の流動化も一気に進んだと思われる。


この賃貸住宅、道なりに行くと150メートル程の距離にあるが、直線距離だと2、30メートル程で、実家の庭から建物が見通せる。
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これなら、よその庭も自由に行き来できる猫にとって、隣と言っても過言ではない。


さらに、実家から離れること約300メートル、やはり水田を潰して、今夏に分譲が終了したばかりの建売住宅の一画がある。
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壮健なオス猫にとって300メートルの距離もまた、テリトリーの領域だろう。


果たしてこのキジトラ、私が推察したように最近この地区に移ってきた新参者なのだろうか。
そこで再び訊いてみた。「どうなの実際のところ、君は最近引っ越してきたの?」

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しかしそんな私の問いかけに、この地方の方言で「カリカリをご馳走になったくらいで心を許すとでも思とんのか、このおっさんは」と言ってる風情でキジトラはそっぽを向いた。


食器の中を確かめると、カリカリを残してあった。やはり腹はそれほど空いていなかったようだ。
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植込みが邪魔して私は容易に近づけないと分かっているのだろう、キジトラは私から2メートル足らずの距離で目を閉じた。


この子もまた、私の悲嘆を癒やしにやって来たのだろうか?
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今回母の死を境に私の目の前に次つぎと現れた猫たちと同じように、ある種の使命を帯びて‥‥。


しかしそれにしてはこのキジトラ、これまでの猫と違って冷淡な態度である。
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もしかすると、私が想像もできない別の使命を帯びて、私の許へやって来たのかもしれない。


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しばらくして植込みを覗いてみたら、キジトラの姿はすでに無かった。
「家へ帰ったのだろうか?」



翌朝‥‥。
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玄関先に食事の用意をしてキジトラの来訪を待った。
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飼い猫にしろ野良猫にしろ、エサは貰っているだろうから、私のもてなしに応じるかどうか分からなかったが。


しばらく待っていたら、私の視界を何かが音も立てずに横ぎった。
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慌てて構えたカメラのモニターに見覚えのある模様が映しだされた。
「キジトラだ、またやって来たんだ」



キジトラは玄関前に佇み、カメラを構える私の挙動を険しい眼で窺っている。
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ややあって、私に敵意がないことが分かったらしく、キジトラはゆっくりと食器に近づいていった。


それでもすぐには口を付けず、周囲の様子を注意深く見回している。
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そして私との距離を再確認するためか、見開いた眼でふり返った。


やがて、警戒を緩めたらしく、キジトラはゆっくりと食事を始めた。
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このキジトラの登場は、私が近い将来下さなければならない、ある決断に少なからず影響を与えるかもしれない‥‥。私はこれといった根拠もないまま、何となくそう思った。



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再録
『血まみれの毛皮』


日本では今、ファー(毛皮)が流行している、という。

ファーは上着のフードや襟や袖口、そして手袋、帽子、ブーツ、バッグ、アクセサリー、ケータイストラップと、実に様々なものに使われる。
そして、デパート、スーパー、専門店はもちろんのこと、今や100円ショップでも売られている。

ところで、これらの製品を作るために、多くの動物が生きたまま皮を剥がされている事実を、あなたは知っていますか?


「ここに、その事実を伝える映像がある」
ただし、かなりショッキングな映像なので、相応の覚悟をして観るように。
ちなみに私は、この映像を観たとき、あまりの衝撃に嗚咽と吐き気がしばらくとまらなかった。
そして‥‥、自分がニンゲンであることを心底嫌悪した。



最近では、フェイクファー(人工毛皮)より安価というだけでリアルファーが作られるそうだ。
それがため、アジアでは犬猫だけでも毎年200万匹が殺されている。

しかも、その毛皮のほとんどが日本へ輸出されるという。

あなたはこの事実を知っても、まだファー(毛皮)を身に付けますか?


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

『血まみれの毛皮Part2』


今や死語となった感は否めないが、『鬼畜』という言葉がある。
仏教用語の『餓鬼・畜生』の略語だ。

『餓鬼』とは餓鬼道に墜ちた強欲な死者のことである。
『畜生』とは本能のままに生きていて仏の教えを得ることが出来ないニンゲン以外の生き物のこと。


ともあれ、鬼畜とは欲深く酷薄な生き物を指す、最大級の蔑称である。
(太平洋戦争中は敵国であるアメリカ、イギリスを『鬼畜米英』と呼んで蔑んでいた)

アジアでは犬猫も例外ではなく捕獲、飼育し、生きたまま皮を剥がしている。
そうやって作られた毛皮はほかの動物の名前に変えられ、その多くが日本に輸出されている。


以下の映像に写っているのはニンゲンと犬と猫だが、果たして鬼畜と呼ぶに相応しいのはどの生き物だろう?



誰が観ても、答は明らかだ。

防寒に毛皮が不可欠だった時代ならいざ知らず、金儲けのためにほかの動物を虐殺してその毛皮を剥いでいるニンゲン、そして虚栄心を満足させるために動物の死骸である毛皮を身に付けているニンゲンって‥‥、もはや鬼畜以下ではないのか

毛皮製品を買う行為は間接的にせよ、動物を殺すことに加担している。
いつまでも知らないでは済まされないだろう。


詳しい実情を知りたい方は下記のサイトへ。
あなたに出来ることもきっとあるはず。

地球生物会議ALIVE
JAVA
ヘルプアニマルズ
アニマルライツセンター


生きること・死ぬこと その伍

2013年12月28日 12:30

皆さんの中にも同じ経験をした方がいるのではないだろうか‥‥。思ったり言葉にしたことが現実になった、という経験が。
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ただし、海外の哲人が説く「思考は現実化する」といった成功哲学に基づく自己啓発の話などではない。
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あくまでも何気なくこうなったら良いなとか、軽い気持ちで思わず口にしたことが現実化するという次元の話である。


母の四十九日のときだったろうか、揃って猫好きの二人の叔母と二人の従弟と猫談義になった。
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そのとき私は、あまり人懐こいと情が移るから、そこそこの距離を保ってくれる猫が現れたらいいなぁ、と冗談で言ったのだ。


それから半月、私が望んだ通りの猫がこうして目の前に出現したことが、私にはとても偶然とは思えなかった。
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あの瞬間、私の知らないところで何かが密かに決定されたのだろうか‥‥?


「なあ、もしかして君は誰かの言いつけでここへやって来たんじゃないのか」
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しかしキジトラはここでも何も答えてはくれなかった。


やがて、腹を満たしたキジトラは庭をゆっくり横切ると、
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植込みが作る日陰へ潜りこみ、そこへ体を横たえた。


カリカリは綺麗に完食している。今朝は他でエサを貰っていないようだ。
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私は敵意がないことを全身で表しながらキジトラに近づいていった。
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まったく無警戒で眠っているキジトラ。私との距離は2メートルあまりだ。


(おっ、気がついた)
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最初に会ったときより私への警戒をいくらか緩めたようだ。私が無害なニンゲンだと分かったのだろう。


ところが、それをいいことに至近距離で撮影をしていると、いかにも迷惑そうな顔でキジトラは体を起こした。
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そこで私は、自分が彼に対して害意も悪意も無いことを目顔で語りかけた。


私の本意が通じたのか、キジトラは再びその場に寝ころがった。
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だがキジトラの表情には、これ以上の接近を許さない断固たる意志が仄見える。
「エサくれたくらいでボクと仲良く出来るとおもわんといて」と警告を発しているのだ。



それでいい。簡単にニンゲンを信用しないほうが賢明だ。
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我々ニンゲンはこれまで君たち猫をさんざ酷い目に遭わせてきた。意味なく虐待し、邪魔になればゴミのように遺棄し、ためらいなく命までも奪う酷薄で身勝手な生き物、それがニンゲンだ。


ニンゲンは自らの行為のせいで早晩滅びるだろうが、その際に罪のない他の生き物が側杖を食わないことを祈るばかりだ。
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私はキジトラの眠りを妨げないよう、その場からそっと離れた。


午後になると、キジトラの姿は庭から消えていた。
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昼間だけこの家で過ごす‥‥。これも誰かの示唆があってのことだろうか?


翌朝もキジトラはほぼ同じ時刻に姿を現した。
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しかし、相変わらず警戒モードは解いていない。


前日と同様、周囲に外敵がいないか、鋭い眼で睥睨する。
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しばらくすると、慎重な足取りで食器に近づいていった。


が、よほど用心深い性格のようで、食べ物を目の前にしても気を緩めようとしない。
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いったい何に対してこれほど警戒しているのだろう?


このキジトラが警戒していた理由を、私は後日知ることになる。
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はじめに感じたようにキジトラには空腹を訴えている風がまるでない。


エサがあるなら食べてもいいよ、といった風情だ。
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ならば何故、数ある住居の中からこの家を選んだのだろう?


誰かの指示だろうが自主的だろうが、それには明確な何らかの理由があるはず。
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キジトラは朝食を食べると、前日とほぼ同じルートをたどって植込みのしたへ潜り込んだ。(まるで同じビデオを再生するように)


もしかしたらキジトラの訪問の目的は、食事より昼寝する場所を求めてのことかもしれない。
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適当な日陰があり適度に風が通るこの庭が気に入ったのか?


試しに簡単な寝床をつくり犬走りに置いてみた。
快適な寝心地は望めないが、土の上よりはマシな、そんな感じの寝床だ。

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本来のねぐらより具合がいいと、キジトラを惑わすことになる。
別宅が本宅より居心地がいいと、のちのち不都合が生じるのは猫とて同じだろう、と慮ってのことだ。



翌朝‥‥。
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果たして、キジトラは急ごしらえの寝床でくつろいでいた。
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好奇心が強く、狭いところを好む習性を持つ猫なら取りあえず寝心地を験すると思っていたから、予想どおりの結果だ。


しかし、私が近づくと険しい表情でシャアシャアと威嚇の声を発する。
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まあいい、昼間のひとときをこの庭で過ごしてくれるだけで、私は満足だ。
同じ命を持つ者が近くにいるだけで、私の傷心はずいぶんと癒やされるのだから。



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こうして実家に日参してくるようになったキジトラだが、エサの食べ方は日によってまちまちだった。


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私が与えたカリカリを完食する日があると思えば、形だけ口を付けるだけでほとんど残す日もある。
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そして遅くとも夕暮れには何処へともなく姿を消し、夜に姿を見せたことは一度もない。
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やはり食事を貰えてねぐらが用意された、しかるべき家があるのだろう。


ある日のことだった。
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この日は一度も姿を見せず、玄関先に置いたエサはついに食べられることなく夜を迎えた。


体が濡れるのを厭う猫だからか、雨の降る日に姿を見せることはない。
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ちなみに、私が東京にいたとき飼っていた元野良のオスの茶トラは、私が知るだけでも3軒の別宅を持っていた。


おそらく他にも別宅があり昼間はそれらの家を巡回していたと思われる。日が暮れると帰宅し、夜は家人の布団の上で眠っていたものだ。
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これこのようにキジトラの行動は、猫の習性そのままに自由気ままでまるで定まっていない。
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寄る辺ない身の上の野良なら、私もそれなりの心構えを持って遇するつもりでいたが、
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ねぐらを持ち食事を与えてもらえる境遇にいることがはっきりするにつけ、肩の力が抜けるのを自覚した。


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数ある別宅のひとつとしてこの家を訪れるのなら、気兼ねなく接すればいい。


それでもなお、どうしてこの時期にこの家を訪れたのか、その疑問は私のなかで小さくなるどころかますます大きく膨らんでいった。

やはり、私の与り知らないところで何かしらの密約が交わされたのだろうか‥‥。





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再録
『血まみれの毛皮』


日本では今、ファー(毛皮)が流行している、という。

ファーは上着のフードや襟や袖口、そして手袋、帽子、ブーツ、バッグ、アクセサリー、ケータイストラップと、実に様々なものに使われる。
そして、デパート、スーパー、専門店はもちろんのこと、今や100円ショップでも売られている。

ところで、これらの製品を作るために、多くの動物が生きたまま皮を剥がされている事実を、あなたは知っていますか?


「ここに、その事実を伝える映像がある」
ただし、かなりショッキングな映像なので、相応の覚悟をして観るように。
ちなみに私は、この映像を観たとき、あまりの衝撃に嗚咽と吐き気がしばらくとまらなかった。
そして‥‥、自分がニンゲンであることを心底嫌悪した。



最近では、フェイクファー(人工毛皮)より安価というだけでリアルファーが作られるそうだ。
それがため、アジアでは犬猫だけでも毎年200万匹が殺されている。

しかも、その毛皮のほとんどが日本へ輸出されるという。

あなたはこの事実を知っても、まだファー(毛皮)を身に付けますか?


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『血まみれの毛皮Part2』


今や死語となった感は否めないが、『鬼畜』という言葉がある。
仏教用語の『餓鬼・畜生』の略語だ。

『餓鬼』とは餓鬼道に墜ちた強欲な死者のことである。
『畜生』とは本能のままに生きていて仏の教えを得ることが出来ないニンゲン以外の生き物のこと。


ともあれ、鬼畜とは欲深く酷薄な生き物を指す、最大級の蔑称である。
(太平洋戦争中は敵国であるアメリカ、イギリスを『鬼畜米英』と呼んで蔑んでいた)

アジアでは犬猫も例外ではなく捕獲、飼育し、生きたまま皮を剥がしている。
そうやって作られた毛皮はほかの動物の名前に変えられ、その多くが日本に輸出されている。


以下の映像に写っているのはニンゲンと犬と猫だが、果たして鬼畜と呼ぶに相応しいのはどの生き物だろう?



誰が観ても、答は明らかだ。

防寒に毛皮が不可欠だった時代ならいざ知らず、金儲けのためにほかの動物を虐殺してその毛皮を剥いでいるニンゲン、そして虚栄心を満足させるために動物の死骸である毛皮を身に付けているニンゲンって‥‥、もはや鬼畜以下ではないのか

毛皮製品を買う行為は間接的にせよ、動物を殺すことに加担している。
いつまでも知らないでは済まされないだろう。


詳しい実情を知りたい方は下記のサイトへ。
あなたに出来ることもきっとあるはず。

地球生物会議ALIVE
JAVA
ヘルプアニマルズ
アニマルライツセンター


生きること・死ぬこと その六

2014年01月22日 06:00

父母と弟が眠る墓地は小高い山の中腹にある。
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墓石の傍らにある霊標に、新たに母の戒名を彫り入れた。


このあと電力会社と郵便局に届けを済ませば、私が故郷で為すべき用件はもう残っていない。
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母の入院から始まった数ヵ月にも及ぶ私の実家滞在は、喪主の務めとともに一旦終わろうとしていた。


ただ心残りなのが、このキジトラだ。
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キジトラはその後も雨の日以外は、判で押したように訪ねてくる。


私が用意したエサがお気に召して、それで日参して来るのかと思っていたが、必ずしもそうではないらしい。
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こうして玄関の中にカリカリと水を用意していると、逡巡のすえ警戒しながらゆっくりと食器に近づいてきた。


躊躇いながら玄関に入ってくるからにはよほど腹が減っているのか、と思った。
ところが‥‥。

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カリカリには目もくれず、ただ水だけを一心に飲む。


そしてそのまま外へ出てしまった。
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この辺りには地下水を水源とした用水路が道沿いに走っているから飲み水に不自由はしないはずなのだが。


ではこのキジトラは何を求めてこの家にやって来るんだ。
「もしかしたら、人恋しいから、つまりは私に会いたいがために毎日訪ねてくるのか?」

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「シャアアアァァァ!」
(おっと、どうやら私の勘違いだったようだ)


近づける距離はずいぶんと縮まったが、私に心を許したわけではないらしい。
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「じゃあどうして君は毎日この家にやって来るんだ?」


「まさかこんな手入れもしていない、荒れた庭が気に入ったわけではないだろう」
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近隣には綺麗に手入れされ芝生も張った庭があることを知らないわけではないだろうに。


まあいい、今の私にお前を拒む理由はない。
ただ私はもうすぐこの家を去らなければならないし、そうなれば此処には誰もいなくなる。

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そうなっても、この家自体が気に入ったのなら、今までのように通ってくればいい。お前を追い払う者は誰もいないのだから。


ねぐらの段ボール箱を大きい物に替えてみたが、
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やはり決まったねぐらが他にあるのだろう、キジトラはいつものように日が暮れる前に姿を消してしまった。


街での用事を片付けたあと、久しぶりに山門前エリアを訪れてみた。
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開店前のスナックの店先に、白猫がうずくまっていた。


この白猫、私の記憶が正しければ2013年2月7日付の記事で門柱の上にいた子だ。
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食べているのは、どうやら鶏肉のようだ。


車の下から2匹の黒猫が現れた。黒猫の識別は難しく、面識があったかどうか私には分からない。ただ奥の幼い黒猫は初見だ。
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体の大きさからして生後半年くらいだろうか。ここで生まれたのか、それとも親と一緒に流れてきたのか。


成猫の黒猫はエサを横取りもせず後ろで静かに見守っている。その態度からすると母親かもしれない。
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幼い黒猫は腹は減ってなかったらしく、ほんの少し食べただけでその場を離れた。


親猫がおずおずとカリカリに近づいていく。
このエリアのエサの遣り方は食器などめったに使わない。

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ここの習わしに慣れていない新参者なのか?


その様子をじっと見つめる猫がいた。前回の帰省の際に会った長毛のキジ白だ。
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「元気でいたんだ‥‥」
野良猫の寿命は3~4歳とも4~6歳ともいわれ、飼い猫に比して著しく短い。だから再会の喜びはひとしおだ。



ここにも顔馴染みの猫がいた。
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このサバトラ、仲間の食べ物を横取りする厚かましいヤツだ。


だがしかし、野良猫として生き長らえるにはそれくらいの図太さが必要なのだ。おそらくは。
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こうして誰よりも早く食べ物のありかを察知する能力も、野良猫として生きるうえで不可欠な特性だ。
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野良猫は逞しくなければ生きてはいけないのだ。やはり。


さっきの白猫が近づいてきた。あの鶏肉をすべて食べたのだろうか。
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白猫はカリカリが置いてあるブロックへ足を運んでいる。


ところが急に立ち止まってしまった。
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見ると、さっきの黒猫が先んじていた。


白猫は潔くあきらめて離れていく。私はこのとき、この幼い白猫が出産したことを見て取った。
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乳房が膨れ乳首が被毛から露出している。(撮影時白猫はまだ1歳未満だった)


猫は2歳までは早熟で、1歳で人間に換算すると15~18歳、2歳で22~24歳になる。そのあとは1年ごとに人の4倍歳を取っていく。
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つまりこの白猫はニンゲンでいえば15歳以下で妊娠・出産をしたことになる。(ニンゲンと比べることに意味がないことは分かっているが、敢えて)


この黒猫がメスならあと2、3ヶ月もすれば発情するだろう。その結果、寄る辺ない子が生まれてくるのだ。
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人間の身勝手で猫に不妊手術を受けさせるのは可哀想だと喧伝する連中がいる。だが私に言わせれば、そんな輩こそ現実を直視しないエゴイストのエセ動物愛護家だ。


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幼い黒猫の後ろ姿を、私は悲痛な思いで見送った。
「劣悪な環境に屈せず、しっかり生きるんだよ」私にはそう願うしかなかった。



野良猫は野生動物などではなく、酷薄なニンゲンが打ち捨てた罪深い行為の結果として存在している。
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だから、そんな野良猫に救いの手を差し延べることに躊躇いなど感じる必要はなく、誰憚らずエサを遣り世話をすればいいのだ。そして、この贖罪ともいえる行為を誹謗中傷する破廉恥漢など無視することだ。


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で、私としてはやはりこのキジトラが気がかりだ。


今までの経緯からして、私がこの家を去っても、この子が飢えたり寒さをしのぐ場所を失うことはないだろう。
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とは思うものの、このキジトラがどうしてこの家にやって来たのか、その謎に納得のいく答が見つからないままでは、やはり心掛かりだ。


このときふと以前読んだ小説の一節が私の頭をよぎった。
それは監獄に幽閉されたある徒刑囚の身に起こったことだ‥‥。





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生きること・死ぬこと その七

2014年02月09日 10:00

前回のブログで述べたように、母の死去にともなう諸々の手続きはほぼ終わった。
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しかし、母の生活の跡が未だ色濃く残る実家を去りがたく、自らに敢えて課するように、家中や外の物置を片付けたり不用品を処分しながら、帰宅を遅らせていた。


それと‥‥。
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やはりこの子が気掛かりで、なかなか実家を去る決心がつかないのだ。


朝、窓から外を見ていたらキジトラが庭を横切り玄関に向かってきたので、扉を開けて待っていると、キジトラは神妙な面持ちで入ってきた。
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うずくまりしばらく逡巡していたキジトラだが、やがて慎重な足取りで食器に近づいてきた


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あまり腹は減っていないようで、カリカリを半分ほど残した。


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そして入ってきたときと同じように、ゆっくりと外へ出ていった。


キジトラを見送るとき、私は決まって同じ台詞で問いかけずにはいられない。
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「お前はどこからどういう理由でここへ来ることになったんだ?」
が、相変わらずキジトラは何も語ってはくれない。



ちなみに、屋内にエサを置くようにしたのは、蟻などの虫がすぐにたかるし、時折カラスもやって来るようになったからだ。
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それに、考え過ぎかもしれないが、もしこのキジトラの世話をしている人が玄関先でエサを食べているところを目撃し、「ああ、この家で飼われたんだ」と思われたら、私が去ったあとこの子が困るのでは、と慮ってのことだ。



早期覚醒型の睡眠障害をもつ私の夜の眠りは短く、平均すると3時間ほどだ。
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それがため入眠時間によってずれはあるが、午前3時4時には目覚める。


まだ夜も明けきらぬ時刻、言うところの未明のことだった‥‥、廊下を横切るとき何気に見たら玄関扉のガラスに小さな影が映っていた。
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もしやと思い扉を開けると、果たしてキジトラがいた。


こんな時刻にやって来るからにはさぞや腹が減っているのかと思いきや、非常識な時刻の訪問に気がとがめるのか、なかなか入ってこようとしない。
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そこで私はことさら優しい声で話しかけた。「遠慮しないでいいから入っておいで、お腹減ってるんじゃないのか」


だが、やはりまだ屋内に足を踏み入れることへの抵抗があるのか、それとも彼なりに分をわきまえているのか、やがてうずくまり動かなくなった。
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私は後ずさると廊下に座り、黙って様子を見ることにした。
猫とつき合おうと思ったら忍耐が必要で、彼らの気持ちを尊重し、決してこちらからパーソナルスペースへ踏み込んではいけない。



扉を開けてから20分近くが経とうとしていたときだった。
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キジトラはおもむろに上体を起こすと‥‥、


するりと玄関へ入ってきて、用意してあったカリカリを食べはじめた。
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食事を終えたキジトラはすぐに踵を返して、そそくさと外へ出ていった。


そしていつもの庭の隅にうずくまった。
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何故、こんな時刻に訪ねてきたのだろう。たまさかこの日だけならいいのだが‥‥。


この子の境遇に思いを巡らせると、我知らず心が揺れる。
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なんとなれば、母と飼犬のサクラが相次いで他界した直後に現れたこのキジトラには、因縁めいた巡り合わせを感じているからだ。


人と人との繋がりは多生の縁というが、人と動物の繋がりもまた、多生の縁だと私は信じて疑わない。
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もしかしたらこの猫は、運命が私に送ってくれたかもしれないのだ。
シベリアの『死の家』へ幽閉された徒刑囚に、シャーリックという名の一頭の犬を遣わしたように。



この子が遺棄されたばかりの寄る辺ない野良だったら、保護して神奈川に連れて帰ろうとまで私は考えていた。
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私の心はだから、常に揺れ動いている。あたかも振り子のごとく右に左に‥‥。



この日、雨が降っていないにもかかわらず、昼になってもキジトラは姿を見せなかった。
私は、よその家でたらふくエサを貰ったのだろうか、などと思っていた。ところが‥‥。

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正午過ぎにキジトラはいきなり姿を現した。
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玄関の扉を開けると、キジトラは素早く私の脇をすり抜け食器に顔を突っこみ、カリカリを勢いよく食べはじめた。


融通無碍というか、気まぐれというか、猫の行動は予測がつかず、大抵の場合ニンゲンは彼らに振りまわされる。
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ただし間違っても、彼らを自分に従わせようとは考えないことだ。自立心が強い猫はニンゲンに恭順の意を示さないし、媚びへつらうこともない。


そして、犬のように“お座り”や“お手”はしないし、投げたボールを咥えて持ってくることもない。
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猫とはそういう気質を持った生き物だし、猫好きはそのキャラクターに心惹かれるのだ。


ところで、犬が従順だとしても、ニンゲンが隷属的に扱っていいわけではない。
そもそもペットを飼うという意味を誤認識しているニンゲンが多すぎる、と私は思っている。

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ペットはニンゲンの奴隷でも下僕でもなく、ましてやニンゲンの所有物などではない。


ニンゲンとペットは家族であり、同じ生命を持つ同胞(はらから)なのだ。
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換言すれば、『ニンゲンの命と他の動物の命は基本的に等価』、ということ。
今回、母とサクラをほぼ同時に喪って、私はそのことがよく分かった。



だからその掛け替えのない家族を平然と遺棄したり、殺処分されるのを承知で保健所に持ちこむ行為が私には信じられないし、許せない。
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ペットを飼うとは、取りも直さずその命を預かり護るということであり、かかる責任は重く、彼らの最期を看取る自信と覚悟がないなら、ペットなど飼うべきでない。


かく言う私にしても、その自信と覚悟がしっかり持てないでいる‥‥まだ。
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だから、このキジトラは今までここで生きてきたし、これからもここで生きていけるだろう、と自分に言い聞かせながらもなお、私の心は揺れつづけているのだ。



これまで頑なに警戒心を解かなかったキジトラだったが‥‥。
その姿勢に変化が表れはじめた。





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生きること・死ぬこと その八

2014年03月09日 09:00

これまで私に対して頑なに警戒心を解かなかったキジトラだったが‥‥、
その姿勢に変化が表れた。


そして ”その時” は、思いがけない形で突然おとずれた。


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相も変わらず、キジトラは拙宅に日参してくる。


この日も夕刻に姿を見せたので、食事の用意をして彼を迎えた。
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ところが、なにか気に入らないことでもあるのか、キジトラは不機嫌そうな面持ちで玄関先に体を横たえたまま身じろぎしない。


器にあるのはいつもと同じ銘柄のカリカリであり、量にしても不足があるとも思えず、だから私の饗し方に落ち度はないはずである。
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それにキジトラに警戒心を起こさせぬよう食器を扉の近くに置き、さらに私自身は彼のパーソナルスペースを侵さない十分な間合いをとっている。


ここまで気遣って遇してもその場に留まっているのは、そもそも腹は減っていないということか。
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そうならもっと好適な寛ぐ場所があるだろうし、簡易ながら犬走りにはねぐらを設置してある。
私とてやるべきことが無くはなく、いつまでもこうしてキジトラに付き合っている訳にもいかない。



そこで、扉に猫が通れるだけの隙間をのこして、その場を離れようとしたときだった。
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キジトラはおもむろに玄関に入ってくると、食器に鼻を突っこんだ。
このように猫の考えは我々ニンゲンには読めないし、けっして意のままに行動してくれない。



そもそもニンゲンと猫の間に、いわゆる主従関係というものは存在しない。
その行動から推すと、彼らは少なくともニンゲンとは対等以上の関係だと考えているフシがある。

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ボスが率いる仲間と群れて暮らしていた犬は、ペットになってもリーダーを必要とし、家族の中での自分の序列を認識する。だが単独で生きてきた猫にはそんなヒエラルキーの概念はない。


食事を終えたキジトラは後ずさりながら外へ出ていく。
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そして、先ほどの場所へ再び体を横たえた。
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食器の中を見ると、食べた量はほんの僅かである。


この猫にはどこかに “親” がいて、食事を与えられていることは当初から承知していたが、では何が目的でこの家を訪れるのか、未だに私は分かっていない。
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融通無碍に生きる猫にその理由を尋ねても詮無いが、だがやはりこのキジトラとの出会いに宿命めいたものを感じている私の心には蟠りが常にある。


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しばらく毛繕いをしていたキジトラだが、やおら起き上がると従容として去っていった。


この日私は、母が床に臥して以来荒れるに任せていた庭の手入れをしていた。
“手入れ” といっても、ただ不用になった植木鉢やプランターを片付けたり、伸びすぎた枝を適当に切り落とすだけである。

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というのも私が去ったあと容易に空き家と気取られないよう、少しでも見栄えをよくしようと思ってのことだ。


作業の途中何とはなしに視線を巡らしたら、いつの間に来たのか、キジトラが玄関先にぽつねんと佇んでいた。
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「もうじき私はいなくなるけど、お前ならここで生きていけるよな」と私は自分に言い聞かせるように呟いた。


この家がある限り、私は今まで通りときおり帰ってくるつもりだし、また近い将来ここに移り住む可能性だってある。
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『 このキジトラの登場は、私が近い将来下さなければならない、ある決断に影響を与えるかもしれない 』と以前述べた “ある決断” とは、終の棲家の選択のことである。


この子の為に実家を選ぶ、ということはないが、選考する際の一つのファクターではある。
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が、おっさんの一方的な想いなど自分には関係ないとばかりに、キジトラは無聊そうに大きなあくびをした。


私はキジトラのにべ無い態度に嘆息しつつ玄関扉を開けた。
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私の挙動を凝視するキジトラの表情は殊のほか険しい。
「念のために言うとくけど、扉を閉めてボクを監禁しようなんてしょうもないことしたら、家ん中メチャクチャにするで」と威嚇しているに相違ない。



彼がいつ来てもいいように、食器にはカリカリと新鮮な水を常に用意している。
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このように私としては出来る限り歓待しているつもりなのに、それでも未だキジトラから相応の信頼を得られないことが、ちょっぴり悲しかったりする。


適切な表現ではないかもしれないが、『 親の心子知らず 』という諺が脳裏をよぎった。
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しかし前回も述べたが、こういう猫の素気ない蠱惑的なところが人をして魅了せしむるのも事実である。


「このままの関係でいい」と私は独りごちた。
キジトラと今以上に近しくなると、情が移り、結果別れが一段と辛いものになるだろう。

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それにかろうじて安定を保っている私の心の振り子が、またぞろ揺れ動いてしまう。


犬走りに置いてあった簡易ねぐら、少し強い雨が降れば用をなさなくなる。
そこで中身を亡父のウール製の衣類に替え、外にあるロッカーの中を空けてそこへ設置した。

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ここなら雨に濡れることもなく、寒さもある程度は防げるだろう。
このねぐらをキジトラが気に入るかどうかは分からないが、ねぐらを持たないほかの子が使ってもイイと思っている。



数日後の明け方のことだった‥‥。
母の緊急入院をきっかけに帰省して以来、私は仏壇がある座敷で起居している。

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この日もとうに起床していた私は、その座敷に寝転んで本を読んでいた。


ふとふり返ったら、部屋の中を覗きこんでいるキジトラと目が合った。
ちなみに私は目覚めると、キジトラの為にすぐに玄関の扉を開ける。

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だからキジトラが家の中へ侵入したこと、それ自体は驚くにあたらない。


しかし、これまで警戒して式台にさえ近づかなかった彼が、上がり框を越え廊下にまで足を踏み入れたのには正直いって驚いた。
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この直後、私が一歩足を踏み出したところ、キジトラは足早に外へ出ていってしまった。


さらに数日後の宵の口‥‥。
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キジトラは食事を終えると先日と同じように上がり框にあがり、マットに体を横たえた。
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前回の反省をこめて、彼のパーソナルスペースを侵犯しないよう気をつけた。


「そこが気に入ったのなら好きなだけいるがいい」そう言い残した私は迂回して座敷に戻った。
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しばらくして廊下に出てみたら、キジトラの姿は既になかった。
ここ数日のキジトラの行動をみて、私は思った。ひょっとしたら彼の心もまた、私同様揺れているのではないか、と。



翌日から天候が崩れ二日間雨が降りつづいた。
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雨を厭うキジトラは、その間一度も姿を見せなかった。


三日目の昼前には雨はあがり、鈍色の雲の合間から青空がのぞいていた。
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キジトラの姿を庭に認めた私は、外へ出ていった。
すると、まだ湿っているであろう枯れ草に横臥していたキジトラがおもむろに起きあがった。

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それから私の足許まで来ると、物言いたげな表情で私の顔を見あげる。


私は恐る恐るキジトラの頭に手を近づけていった。
なんとなれば、これまで何度か彼の体を触ろうとして、その度に猫パンチを繰りだされ、そのうちの何発かをくらって流血の憂き目に遭っているからだ。
ところが‥‥。





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意外なことに、キジトラはなんの抵抗もせずあっさりと私の掌を受け容れた。


私を見つめる名状しがたい彼の表情がなにを語っているのか、生憎私には読みとれない。
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こういうとき私の脳裏にはきまってある思いが浮かんでくる。
「村上春樹の小説に登場するナカタさんのように、猫語を完璧に習得できたらイイだろうな」と。



キジトラはとうとうその場に体を横たえた。彼が私に心を開いた瞬間である。
ただキジトラはこういう状況に場慣れしていないのか、動作が幾分ぎごちない。

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それに私をまだ完全には信用していない風で、視線は常に私へ注がれている。


やがて気持ちが和らいだのか、キジトラは腹を見せて体をクニクニしはじめた。
犬が腹を見せるのは服従の表現だが、猫の場合はそれと異なる。

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相手への信頼を意味しているが、大抵の場合「気持ちイイからもっと撫でろ」とか「なんか楽しいことをして遊んでくれ」と言っているのだ。
それもあくまでも自分はニンゲンより対等以上だと思っているから、懇願ではなく上から目線の強要である。



キジトラが突然態度を変化させ懐いてくれたことは嬉しいが‥‥、
手放しで喜んではいられない。
私の心の振り子が再び大きく揺れはじめたからだ。

加えて私は、実家を去る時期への早急な決断を迫られていた。





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生きること・死ぬこと その九

2014年04月08日 10:00

私との接触を頑強に拒んでいたキジトラは、にわかに心を開いてくれた。

しかし私は、実家を去る時期について早急な決断を迫られていた。



ところで、その後のキジトラは、というと‥‥。
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以前と同じように、日が暮れる前にはいずこかへ去っていくが、雨天の日を除いて、日に一度は必ず訪ねてくる。
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ところがキジトラは、それまでと違う行動をとるようになった。


玄関の扉が閉まっていると、遠慮がちな小さい鳴き声をあげて来訪を知らせるのだ。
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「なあ、おっさん、遊びに来てやったから開けてんか。ボクの口にはイマイチ合わんけど、小腹が空いとるからカリカリ食べさせてや」といった風に、ミャア、ミャアと鳴いて訴える。


これまでは、私が様子を見に玄関の扉を開けるまで、キジトラは静かに庭で待っていた。
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それが私への警戒心を解いたのをきっかけにして、欲求を直截的に訴えるようになった、ということは、つまり今までは空腹であっても我慢していた訳である。


思い返せば‥‥。
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初めて会ってこのかた、この子が発したのは「シャアアァァッ」という怒気のこもった声だけだった。
猫は心を許したニンゲンに対してしか柔和を鳴き声をあげない。とりわけ野良猫は。



キジトラは、私が側にいるにもかかわらず無防備なかっこうで毛繕いをしている。この間までは考えられなかった光景である。
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私が害意を持っていないニンゲンと認識して、やっと穏やかな心持でくつろいでいるようだ。


初めて会ったとき、キジトラは私のことを胡乱なヤツと警戒心を露わにした。
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「このニンゲンはボクのことをどないするつもりや」


「こんなチープなネグラをこれ見よがしに置いたんは、ボクを罠にハメるためちゃうか?」
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「それにこのおっさん、やったら親しげに話しかけてくるけど、ダマされへんど」


「せやけど、ボクが歯剥いてどやしつけても、猫パンチでシバいても、何で怒って追っ払わんのや」
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「‥‥よう見たら、おっさん寂しそうな目してるなぁ」


「このおっさんはいつも独りぼっちやから、ボクと仲良うなりたいんやろか‥‥」
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「う~ん、どないしょ‥‥」


「‥‥‥‥」
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アカンアカン、ニンゲンはいきなり態度を変えて簡単にボクらを裏切るから、やっぱり信用でけへんわ」

と、まあこれは私の勝手な想像というか妄想だが、こうやって以前の写真を遡ってみるとキジトラの表情が徐々に和らいでいるように感じるのは私だけだろうか。


私はこの子の行動を観察し、出自や置かれた境遇をあれこれ推察していたが、
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ニンゲンより本能が優れたキジトラは、もっと本質的で深層的な次元で私の真情を見極めようと葛藤していたのかもしれない。


ところで、猫、わけても外猫は、なぜ総じて用心深く、そしてニンゲンを忌避するのか?
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『 猫は生まれつきそういう性格の動物だからだ 』
違う、その答は断じて間違っている。



断言してもいい。生まれつきニンゲンを恐れ嫌う猫などいない、と。
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彼らがニンゲンを恐れ避けるのは、ただただ死にたくないからに他ならない。


なんとなれば、故意過失にかかわらず、多くの猫がニンゲンに傷つけられたり殺されてきた事実が厳然としてあるからだ。
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つまり猫の疑い深く怯懦な性格を形成させたのは、我々ニンゲンの無情で酷薄な行いのせいなのだ。


だから皆さんも、街中で憎悪のこもった眼で睨みつけて威嚇してくる猫に会ったら、「ああ、これまで辛い目に遭ってニンゲン不信になった子なんだ」と思ってあげてほしい。
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これは飽くまでも私の持論だが‥‥。
『他の生き物の命を粗末に扱う者は、とどのつまりは自分の命も粗末に扱うハメに陥る』




このキジトラにしても私の本心を知るために、数週間もの時間をかけて私の一挙手一投足を観察するという周到さをみせた。
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そうして、ようやくこのニンゲンはボクを傷つけるつもりはない、と判断を下したのだ。


おそらくこの子も生まれてこのかた、謂われ無い迫害や虐待を受けてきたのだろう。
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それも、ただ猫に生まれてきたという理由だけで、だ。まったく理不尽この上ない。


以前にも述べたが、生き物の命に軽重の差はなく、原則として “等価” である。
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諸説あるが、一般的に家猫の平均寿命は10~14歳、野良猫は4~6歳といわれている。


ニンゲンと比して格段に儚く短い命、だからなおさら尊び庇護しなければならない、と私は考えている。
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長らくマットでくつろいでいたキジトラだったが、何の前触れもなくいきなり起き上がると足早に外へ出ていった。
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気まぐれな行動が持ち前の猫のこと、驚くにはあたらない。
それでも何となく気になったので、私もキジトラの後を追って外へ出ていった。



するとキジトラは、さっき食べたカリカリを勢いよく吐き出していた。
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「なんて行儀のいい猫なんだ」私は心底驚き、また大いに感心した。


実際猫はよく嘔吐するが、大抵の場合、時と場所など選ばないものだ。
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今回は三和土を吐瀉物で汚しても褒められるべきなのに、外のそれも後始末のし易い庭の隅まで我慢するなんて、私は信じ難い光景を眼にし、ますますこの猫が好きになった。

がしかし‥‥、私とキジトラとの別れは間近に迫っていた。


私が早急に故郷を去らなければならない理由、それは “薬” である。

帰省して以来、私に代わって家人が病院へ行き処方箋を貰っていたのだが、「これ以上本人を診察しないで処方箋は出せません」と医師から告げられたのだ。
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そりゃそうだろうな、と私は思った。
医師法には『 医師は診察しないで処方箋を交付してはならない 』と記されている。
言うところの  “無診察処方” を禁止しているのだ。



ただ近年診療報酬が改定され、本人が来院できないときは家族が患者の容体を医師に伝えれば保険診療と認められ違法にはならないが、これは飽くまでもやむを得ない場合であって、その状況が長期に亘れば医師の容認限度を超えるのも当然だ。
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この町にも心療内科はあるにはある。しかし、初診におけるアンケート記入・問診・検査などを再度行なうと考えただけで気が重くなる。

だから、薬が切れて離脱症状が表れる前に主治医の診察を受けたいのだ。



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この子のお陰で多少和らいだが、実家で独り暮らすことで孤独感が日毎に増し、私は精神的な苦痛に苛まれていた。


此処が終の棲家になるかもしれないと述べたが、でもそれは “今” ではない。
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たとえ脆弱であっても、現在の私の生活基盤は神奈川にあるし、家族だっている。


それに母とサクラを相次ぎ喪ったことで受けた私の心の欠落感は、実家に留まっていても埋められないことが分かってきた。
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だがやはり、このキジトラのことが気掛かりで、私の心の振り子は常に揺れている。


この子には世話をする親がいて、私がいなくなっても飢えに苦しんだり寒さに凍えたりしないことは承知している。
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にもかかわらず、私の心の葛藤は治まらない‥‥。


キジトラの登場もあり予想以上に長くなった私の実家滞在だが、ついにそれを切り上げるときがやってきた。

ところが、このストーリーには意外な展開が待っていた。



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生きること・死ぬこと その拾

2014年05月05日 05:00

私は長きに亘った実家滞在を切り上げ、ようやく神奈川へ帰る決心をした。

思い返せば‥‥。

母が意識を失くし緊急入院したとの一報を受けた私は、体の不調を抱えながら帰郷。
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母は持ち前の生命力で奇跡的に意識を取り戻し、一時軽快の兆しすらみせた。


しかし‥‥。


入院してちょうど1ヵ月目の払暁、母は静かに息を引きとった。
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さらに、その母のあとを追うように愛犬サクラが急死。
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相次ぐ不幸に私の病んだ精神は深手を負い、やがて絶望の淵へ沈んでいくと、生きることと死ぬことが不分明になる状態に陥った。


そんなとき、私の苦衷を知ってか知らでか、1匹のキジトラ猫が忽然と出現した。
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彼と関わるうちに私の傷付いた心は慰撫され、徐々に虚無感が薄れていった。


そして、同じ生命を有し豊かな感情を具し、更に本能的知性に長けている猫は我々ニンゲンにとって不可欠な存在である、と再認識させられた。
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殊のほか猫の、それも野良猫の素性に拘泥する私はこのキジトラとの出逢いに運命めいたものを感じていた。


それゆえ実家を去る日を数日後にひかえてもなお、私の心の振り子は揺れている。
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何故この時期を選んで私の目の前に現れたのか、結局、具体的にその謎を解くことは出来なかった。
分かったのは、猫は不思議な力を持ったミステリアスな生き物だということ。




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この日もキジトラは夕刻近くに拙宅を訪ねてきた。
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用意してあったカリカリを平らげたキジトラは式台に跳び乗ると、そのまま私が起居している座敷に闖入した。





そうして私が使っている布団の上にゴロリと体を横たえた。
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「ち、ちょっと、それはヤメてくれよ」私は少々焦った。
なんとなれば板敷きの床や畳ならまだしも、自分が寝る布団の上に “土足” はさすがに受け容れがたいからだ。



しかしながらこうしてスリスリされると、「布団に上がるのは足裏を拭ってからにしなさい」なんて諭すのは、ひどく野暮で偏狭に思えてくる。
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で、結局のところ、「イイよ、イイよ、シーツやタオルケットを洗えば済むことだから」と猫撫で声で前言を撤回するのだった。


私のことを信頼しきって、私の膝を枕に眠るキジトラ‥‥。
一見すると、この子がニンゲンの私を慕い身を委ねている光景だが、実情は違っている。

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エサを与えたり、ネグラを設置したりして、物質的には私がキジトラを援助しているが、しかしそれは飽くまで皮相な見方に過ぎない。


前述したように傷付き疲弊した私の心は、この子と接するうちに随分と癒やされた。
つまり精神的には、私がキジトラに救済されているのだ。

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物質的な助力と精神的な助力、その有難味は受ける側の事情によるが、摩滅した私の心が希求するのは “精神的な助力” なのだから。


これまでも何度か猫の争う声を耳にしていたが、いずれも辺りが寝静まった深夜だった。
ところがある日の夕暮れ時‥‥。

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猫同士が威嚇し合う激しい鳴き声が響き渡った。それも明らかに実家の庭が発生源だ。


もしや、と思い外にでると、玄関先にうずくまる猫の後ろ姿が目に入った。
果たして、それはキジトラだった。

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彼は興奮冷めやらぬ様子で、門の方を向いたまま身じろぎしない。


私は道路にでて辺りを見回した。すると、向かいの塀の上にキジトラよりふたまわりほど大きな体躯をしたキジ白と目が合った。
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私の存在に気づいてもなお、悠然と構えている様子から、飼い猫の可能性が高い。
「なあ、キジトラ君とケンカしないで仲良くしてくれよ」と私は訴えた。



キジトラは玄関先に戻った私の足許に寄ってくると、そっと私を見上げた。
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そのキジトラの顔を見て私はふと思った。エサを食べるとき緊張した面持ちで盛んに周りを気にしていたのは、あのキジ白を警戒していたのかもしれない、と。


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買い物からの帰途、何気なく視線を巡らせたら、近所の家のテラスにキジトラを発見した。
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どうやらキジトラも私に気づいたようだ。


キジトラと私は暫時、塀を挟んでお互いの顔を見つめ合っていた。
「なんだろう、この妙な空気は‥‥?」私はキジトラの様子に違和感を覚えた。

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ニンゲン同士でもよくあるが、思いがけない場所で知人とバッタリ出くわしたときにみせる気まずさ、それがキジトラの態度から感じられたのだ。


私は試しに舌を鳴らしながら、「留守にしていて悪かったね。腹減ってるんならうちにおいで」と呼ばってみた。
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しかし近くまでは来たものの、久しぶりに親戚のおじさんに会った人見知りの子供のように、素直には寄ってこない。


私など眼中に無いとばかりに、キジトラは紫陽花の葉に鼻を近づける。
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こういうニンゲンに隷属しない気紛れな気質こそ、猫の美点であり魅力なのだ。


「お前はこの広いフィールドで、今までどおり自由気ままに暮らした方が幸せかもな」
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その呟きが聞こえたのか、キジトラはつとこちらに向き直ると私の顔をしげしげと見つめた。


と、そのとき、背後から声をかけられた。
「◯◯さんの家をご存知ないですか?」と営業マンらしき男性。

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今の実家は私が上京した後に建てられたもの、がためこの地区の土地勘は持っていない。
その辺の事情を簡単に説明すると、営業マンらしき男性は礼を言って去っていった。



振り向くと、キジトラは既に姿を消していた。
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見知らぬニンゲンの出現に驚き、慌ててこの場を離れたのだろう。


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私は一時、不思議な因縁を感じるこの子を引き取り、神奈川へ連れて帰ろうと真剣に考えていた。今もその意思が完全に無くなったわけではなく、心の振り子は揺れ続けている。
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だが、そうするには越えなければならない “事情” という名目の障壁が幾つかあった。


まず、この子を家に迎えるには家族の協力が必要不可欠だ。ところが‥‥。
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この子と出会って間もない頃、家人にそれとなく私の意向を伝え協力を求めたところ、婉曲な言い回しで拒まれた。


詳しい事情は明かせないが、今の私は、家人の許諾無しでは猫1匹を引き取ることすら困難な状況にいる。
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それに例え家人の協力を得られたとしても、今の住宅環境では、この子に窮屈で不自由な思いをさせて、多大なストレスを与えるだろう。


さらには野良猫だとしても世話をする親がいるこの子を、私の一存で神奈川へ連れて行くのは、やはり憚られた。
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『 猫はニンゲンと一緒に暮らせば幸せになれる 』 というのが私の持論だ。
しかしこの論には “例外有り” の注釈を加えなければならない。



そして‥‥。

いよいよ私が故郷を去る日がやって来た。


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後顧の憂いを少しでも減じさせる為、キジトラに出来るだけのことをしておこうと思った。


まず、寝床の段ボール箱を頑丈で断熱性の高い物へ交換した。
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次に、まとまった量のカリカリを大き目の二つの容器に入れる。
湿気るのですべては開封していないが、心配するには及ばない。

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なんとなれば、猫ならこんな袋など簡単に食いちぎってしまうからだ。
そして最後に、効果の程は疑わしいが、ロッカーの隅に湿気取りを置いて完了。



これだけ用意しておけば、しばらくは持つだろう。
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ただ先日のキジ白などの他の猫が、ここにエサがあることを知ったら、あっと言う間に無くなるだろうが。


私は昼過ぎに出立したが、この日キジトラは何故か一度も姿を見せなかった。
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別れのあいさつと礼を言えなかったのは心残りだったが、その半面では顔を見ると辛くなるのは分かっていたので、ホッとした思いもあった。


「今度戻って来たときには、また元気な姿を見せてくれよ」
私は後ろを振り返るたびに、心の中でそう呟いた。



次回からは、湘南海岸に棲む海岸猫の実態を紹介する、本来の内容に戻すつもりだ。
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湘南海岸は私の不在などまったく関知しない風に、以前のままの表情で迎えてくれるだろう。

だが、海岸猫の情況には様々な変化があったと仄聞している。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



『キジトラのその後』


私は実家を去るにあたり、従弟にキジトラの様子をときどき見てくれるよう頼んだ。

無類の猫好きである従弟は快諾してくれた。

ただ従弟の家から私の実家までは、道が空いていても車で一時間以上かかる。

従弟は仕事もかかえているし、頻繁に通うことが出来ないのは承知していた。

だから私としては月に一度、いや、2、3ヵ月毎に報告を貰えればいいくらいに思っていた。

そうしていつ来るか分からない従弟からの連絡を待っているときだった。

従弟の母親、つまり叔母から一本の電話がかかってきたのは‥‥。



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「お願いがあるんやけど‥‥」それが叔母の第一声だった。

この叔母はここ数年間において、余人には想像も出来ないほどの艱難辛苦を体験していた。

がために叔母は眠れなくなったり、人目を気にして外出もままならない状態に陥っている。

生前の母も、末妹のこの叔母のことを「かわいそうに、かわいそうに」と、ときに涙を流しながら話していた。

叔母が住んでいるのは人口50万人余りの、いわゆる地方都市である。

それに比して私の実家がある町は人口にして5分の1、人口密度は6分の1程度。



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叔母の頼みとは、比較的のどかで近所に顔見知りもいない私の実家に、静養の為しばらく住まわせて欲しいというものだった。

私は叔母の切願を断る理由など何ひとつ持ち合わせていなかった。

1年半余りの間に両親を相次いで亡くした私に、その両親の建てた家を自分が所有しているという実感は今のところほとんどない。

それにもし母が生きていたら、薄幸の叔母を喜んで受け容れただろうことは想像に難くない。


叔母が私の実家に住み始めて5日目、メールが出来ない叔母に代わり従弟からメールが送られてきた。

そのメールには、あのキジトラのことが書かれていた。

私が去ってから10日ほどして叔母が実家にやって来たら、ロッカーの中のカリカリは既に無かったという。

また、私がいたときは毎日のように訪ねて来ていたキジトラだったが、これまで叔母の前には一度も姿を現していない、とあった。

ところが‥‥。

この日キジトラはいきなり来訪すると、「ニャア」と一声発して廊下まで上がり、喉をゴロゴロ鳴らしたという。



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それからは頻繁に訪ねて来て、家の中でのんびりくつろいだり、構ってくれと叔母に体を擦りつけてくるまでになったとのこと。

その様子を撮った写真を従弟が送ってくれた。



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ちなみに、ここは実家で一番日当たりがよく暖かい部屋である。

叔母もまた、大の猫好きなので、従弟からのメールは「母もエエ友達が出来て喜んでるよ」と結んであった。



最近になって新たな写真が従弟から送られてきた。

その写真を撮影順に羅列しておく。



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「心持ち緊張した表情に見えなくもないが、叔母と従弟を信頼していることは確かだ」


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「それにしても私がキジトラの心を開かせるのに数週間もかかったのに、叔母と従弟が短期間しか要しなかったのはどうしてだろう?」


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「叔母と従弟が私と同じ血を持つ眷族だと、猫の本能で感知したのかもしれない」


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ともあれ、キジトラが元気でいることが分かって、私は胸を撫でおろした。


キジトラは今も足繁く叔母の許へ通って来ている。
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私としては叔母がキジトラに心を癒され、一日も早く快復してくれることを願ってやまない。


『 猫はニンゲンと一緒に暮らせば幸せになれる 』
この私の持論に新たな一節を加えようと思う。

ニンゲンもまた、猫と一緒に暮らせば幸せになれる、と。




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