不妊手術 その壱『必要悪』

2013年04月03日 23:30

捕獲決行日の前日、私はキャリーバッグを持参し海岸へ赴いた。
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私がエリアに着くと、ランは間をおかず防砂林の中から姿を現した。
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「今日は飽くまでも捕獲の予行だ」私は自分に強く言い聞かせた。


欲を出して、あわよくば捕獲しようなどと考えると、鋭敏な勘を持つ猫にすぐ見抜かれる。
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犬猫の不妊手術に異議を唱える人たちがいる、と聞いた。動物の生殖器官を強制的に摘除することは虐待行為だ、というのだ。
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「T.N.R.‥‥。それは猫からすれば、いきなり拉致され、移送された病院で有無をいわさず生殖器官を摘出されること」


「自分が同じ目に遭うことを想像すれば、その行為が如何に理不尽か分かるだろう」
まったき正論である。反駁のしようがない。
が、しかし‥‥。

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今の日本のペット事情は、そんな正論や理想論がまったく通用しない状況だ。


我が国では年間20~30万匹もの犬猫が殺され、ゴミと同じ扱いで焼却処分されているのだ。
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今度は別の方向から「犬猫は、増え続けるので処分するしかない」という声が聞こえてきそうだ。が、実際にドイツでは犬猫を殺処分していない。【ドイツからのレポート】


犬猫の殺処分ゼロは可能なのだ。
とどのつまりは意識の問題だろう。我々一人ひとりが小さな命の尊厳を重んじるかどうかの。

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そんなドイツでもやはり、犬猫問題の唯一の解決策は不妊手術だという。
ニンゲン社会にも、ほかに術がなく不本意ながらもやらなくてはならないことが沢山ある。



その“必要悪”とでもいうべき不妊手術を、ランに受けされるため、今回私は行動を起こした。
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私はまず、捕獲に備えてランをキャリーバッグに慣れさせることにした。防砂林に住まう人の小屋で生まれたランは、今までキャリーバッグを見たことすらないだろうから。


母の様子を植込みの中から覗いていたアスカが、好奇心に負けて姿を現した。
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私は、可能ならアスカにも去勢手術を受けさせたいと考えていた。


手術をすればほかのオスとの諍いが減るし、発情のストレスも経験しなくてすむ。
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そうはいっても、『二兎を追う者は一兎をも得ず』の諺どおり、ニンゲン欲をかくと碌なことがない。


そこで今回は、ランの捕獲を最優先に考えている。
このまま放置しておけば、ランは1年に数回の妊娠出産を繰りかえし、毎年10匹以上の子を産む可能性がある。そうなると、母体のことも心配だ。

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海岸で生まれた仔猫のなかで、陸と空のように優しい里親が見つかることなど稀なこと。


これからも海岸で暮らすであろうアスカは常に外敵に怯え、夏の暑さや冬の寒さに耐え、怪我を負い病を得てもすぐには対処してくれない。
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野良猫の平均寿命は家猫のそれに比べ、半分以下の4~6歳であることが、厳しい外での暮らしを如実に表している。


初めて目にするキャリーバッグに、アスカも興味津々だ。
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こわごわとキャリーに頭を入れ、中の様子を仔細に窺っている。


すでに母ランの匂いが付いているから安心したのか、アスカはいきなりキャリーへ半身を突っ込んだ。121005-06.jpg
アスカにとっては、キャリーバッグも遊びの道具と何ら変わらないようだ。


遊びに興じているうちに、アスカの全身がほぼキャリーの中へ収まった。
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ランのときもそうだったが、私はこのまま扉を閉じてしまいたい誘惑に駆られた。だがそこで、本来の目的を思い出しぐっと我慢した。


母子に、キャリーバッグを慣らすという意図は、何とか成功したように思う。
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だから、明日の捕獲は是が非でも成功させたかった。



そして。


‥‥翌朝。ランの捕獲決行日が訪れた。
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この日も、私が名を呼ぶと、ランは防砂柵の上に姿を現した。
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ランは柵の上から睥睨するように辺りを見回し、脅威になる外敵がいないのを確認すると、やおら道路側に身を乗りだした。


ランは私の企てに気づいていない‥‥、はず。
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だが勘の鋭い猫のこと、こちらが日頃と違う雰囲気を漂わせただけで見抜かれる恐れがあった。


ランに気取られないように、私は努めて平静を装った。いつもの表情をして、いつもの立ち居を心がける。
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しかし、態度とは裏腹に私の胸中は穏やかではなかった。「捕獲の失敗は絶対許されない」と思い詰めていたからだ。


私は覚悟をしていた。
捕獲が成功しようが失敗しようが、それをきっかけとしてランは私に不信感をいだくだろうと。

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そしてランは私を忌避し、今までのように慕ってくれることはないだろうと‥‥。
だから、どのみち嫌われるなら、最後に不妊手術を受けさせたかった。



しばらく待っていると、アスカも姿を現した。
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ランの捕獲が成功し、それを目撃したアスカが逃げないでその場に留まるようなら、一緒に捕獲するつもりでいる。


そのために、この日はキャリーバッグを2つ用意した。
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もう1つはゆきママさんから拝借した。
そして独りでは心許ないので、ゆきママさんに手伝ってもらうことにした。



ゆきママさんには、前もってキャリーバッグを持って防砂柵の陰に隠れてもらった。
そうして私は、さり気ない調子でランを両手で抱き上げた。いつものことだから、ランも素直に身を任せてくれる。

「ゆきママさん、いきますよ」と私はゆきママさんに声をかけた。
その合図を聞いたゆきママさんが、扉を開けたキャリーバッグを持って防砂柵の陰から出てきた。

私はゆきママさんへ近づき、キャリーバッグの中へ、ランを入れようとした。
と、ゆきママさんの出現に驚いたのか、ランはいきなり暴れはじめた。
それでも私は、ランをキャリーバッグへ押入れようと一段と力を込めた。
だが、ランも必死に抗う。「凄まじい力だ!」

私は捕獲を断念し、ランを抱いた手の力を緩めた。
ランは私の手を振りきると、防砂柵を越えて防砂林の中へ走り去った。



私の腕には、ランに引っ掻かれた傷が一筋残った。
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しかし、自己嫌悪と敗北感に襲われていた私は、傷の痛みなどまったく感じなかった。


防砂林の奥へ姿を消したランは、私に裏切り者としての烙印を押すだろう。
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こうして、ランの捕獲作戦は、想定しうる最悪の結果に終わった‥‥。


失策の要因はいくつかあったが、この期に及んで顧みても詮ないことだ。
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この結果をもって、ランの捕獲は、しばらく冷却期間をおかざるを得なくなった。


同日、夕刻。
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ランとアスカの様子が気になったので、私は再び海岸へ足を運んだ。


母子は、何事もなかったようにエサ場にいた。
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アスカは、私が与えた猫缶を何の迷いもなく食べはじめた。


ところが、ランはトレイに背を向け口を付けようともしない。
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やはり、朝の出来事にわだかまりを持っているのか。


私が近づこうとすると、ランは防砂林の奥へ足早に逃げていった。
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ランの反応は、昨日までと明らかに違っている。


私は追うのをやめた。すると、ランも立ち止まり、私の方へ向き直った。
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逃げ去ることなく、私と微妙な距離を保っているラン。
「完全に嫌われたのではないのか?」ランの様子を見て、私は一縷の望みをいだいた。



そこで私は、捕獲に至った事情を、ランに諄々と説明した。
「いきなりで驚いただろうけど、お前のことを思ってのことなんだ‥‥」

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果たしてランは、私の本心を理解してくれるだろうか‥‥。私はランの反応を静かに待った。


やがて、ランはおもむろに腰を上げると、こちらに向かって歩みはじめた。
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そして私の足許まで来ると、何も言わず寄り添うように佇んだ。
「ありがとう、ラン‥‥」私は、自分の胸に熱いものが染み渡るのをリアルに感じた。



愛情をもって付き合えば、猫とニンゲンも心が通じあえる。たとえ野良であっても。
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望外の展開でランとの信頼関係は修復出来たが、私は彼女に不妊手術を受けさせることを諦めたわけではない。


〈次回へつづく〉



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不妊手術 その弐『熟考』

2013年04月14日 11:00

ラン捕獲失敗の2日後‥‥早朝。
海岸へむかう途中、私は顔見知りの茶トラと遭遇した。

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2012年のゴールデンウィーク中に失踪した、元海岸猫の愛猫“風”を捜索していたときに、同じこの場所で出会ったのだ。


その茶トラにカリカリをふるまうと、黒猫が何処からともなく現れ、しばらく物欲しげに様子を窺っていた。が、突然、茶トラのトレイに横槍をいれた。
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黒猫に押し切られそうな茶トラだったが‥‥、


プライオリティーは自分にあるという自恃のせいか、何とか踏ん張った。
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首輪をしているからには、この黒猫は近隣に家を持つ飼い猫だろう。
「お前は家があるんだから、ほかの猫のエサなんて横取りしないで帰ってエサをもらいな」



私の言ったことを理解したのか、それとも強めの語調に気圧されたのか、黒猫は急におとなしくなった。
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邪魔者がいなくなったので、茶トラはのんびりと食事をつづけた。


そしてカリカリを完食すると、満足そうに伸びをした。
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立ち去ろうとした茶トラが、おもむろに振り返った。


その視線の先にいたのは、恨めしそうな顔をしたさっきの黒猫だった。
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胡乱げな黒猫の目付きに比べ、茶トラの表情はあくまでも穏やかだ。猫も性格が顔貌に表れる。先ほどの黒猫の横車にも怒らなかったことでも、この野良(おそらく)の“猫柄”が窺える。


そんな茶トラにほだされた私は、再びカリカリを与えた。
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と、そこへ黒猫が駆け寄ってきて、今度は強引にトレイを奪った。


茶トラはさっきとは打って変わって、すんなり引き下がると、そばで静観している。すでに腹が満たされているから敢えて譲ったのか
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が、そうではなかった。
茶トラは頭突きをするように、強引にトレイに割り込んだ。



茶トラと黒猫は、互いに一歩も引かないで競り合っている。
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この状況で諍いが起こらないのは、もしかしてこの2匹、本来は仲がいいのかもしれない。


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やがて黒猫はついとトレイから顔を上げると、ゆっくりとその場から離れた。


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そして、そのまま目の前の戸建ての庭へ入っていった。茶トラは独り残された。


飼い猫には帰る家があるが、「お前に帰るところはあるのか?」
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この場所は交通量の多い道路のすぐ脇だ。ここでは今まで何匹もの猫が車に轢かれて命を落としている。
縁があったら、また会おう。それまで事故などに遭わず元気でいろよ」


茶トラに別れを告げた私は、今度は寄り道せず一路海岸へ向かった。
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私が与えた猫缶を食べるアスカ。だが、いつもの健啖ぶりは何処へやら消え失せ、仕方なく口を付けているといった風だ。
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それに何かをしきりと気にかけ、たびたび食事を中断する。


側では、ゆきママさんと玄ママさんが、にこやかな表情で何かを見つめている。
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ゆきママさんは、協力したランの捕獲が失敗に終わったのを気にして、たまたまこの日海岸を訪れていた。


玄ママさんと玄ちゃんは、日課の散歩中に偶然通りかかったのだ。
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柴犬の玄ちゃんもやはり、その何かに向かって体を前のめりにして、興奮気味だ。




この場にいる全員が注目している“何か”とは‥‥、




防砂林に置かれたキャリーバッグである。
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正確にいうと、そのキャリーバッグに収まったランを見ているのだ。
私はこの日、ランを捕獲しようなどと微塵も考えていなかった。少なくとも失敗から一週間は捕獲を控えるつもりだったのだから。


では何故、捕獲に成功したのか。
ただいくつかの幸運が重なっただけ、というしかない。何の気なしに、折り畳み式のキャリーバッグを持参していたこと‥‥。
そして、成功の最大の要因と思われるのは、先述したとおり、私に捕獲の企図がまったく無かったことだ。
ホントに世の中はままならない。‥‥実に皮肉だ。



やはり母のことが気になるのだろう、アスカは食事をやめてキャリーバッグに近づいた。
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恐らくアスカは、ランの身に何が起こったのか、理解していないだろう。


どうして母に触れられないのか、どうして母は四角い物体から出てこないのか、と。
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アスカは母に寄り添おうとして、鳴き声を上げながら懸命にバッグの隙間を探している。


ランは観念したのか、抗うことなく、時折鳴き声を発するだけだ。
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その声音も、悲嘆に暮れる息子を諭すような穏やかさだ。


しかしアスカは納得しない。爪を立て、ネットを破ろうとする。
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母を慕うアスカの鳴き声とネットを引っ掻く音に、私の決心が一瞬揺らぎそうになる。


しばらくすると、アスカも落ち着きを取り戻し、キャリーバッグの脇に座り込んだ。
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アスカは母と己の運命を悟ったように、悲哀のこもった面持ちで、押し黙っている。





ランの捕獲に成功したら、アスカも捕獲し去勢手術を受けさせようと思っていた。
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だがこの日は、捕獲するつもりがなかったので、キャリーバッグを一つしか持ってきていない。


通常、メスに避妊手術を施すと、病院に一泊する。そうなると、幼いアスカは独りぼっちで夜を迎えることになる。
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いつも寄り添うようにしている母子を、一晩とはいえ無理やり引き離すことに、私はためらいを感じはじめていた。「やはり2匹一緒のほうがいいのか?」


その思いと、“二兎を追う”ことへの戒めが、私の胸中で激しくせめぎ合った。

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動物病院の診療受付開始までは、まだ時間の余裕があった。そこで私は、熟考の末、ある試みを実行することにした。
その試みとは‥‥。



〈次回へつづく〉



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詳細は『大阪 Cat Story』へ。


不妊手術 その参『退院』

2013年05月12日 22:00

シシマルの急逝により『不妊手術』シリーズが中断したままだが‥‥。
私は、このシリーズを何とかして続けたいと思っていた。

実は、複雑でデリケートな事情が絡み、さらに2年前の父の緊急入院とそれにつづく父の死、さらに母の罹病で公表の機会を逸しつづけていた懸案事項がある。

その2年越しの懸案を解決する契機を与えてくれたのが、ランとアスカ母子なのだ




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ランは観念したようで、時折小さな鳴き声を上げるだけでおとなしくしている。


その声を聞いたアスカはキャリーの下にやって来ると、悲壮感漂う鳴き声を上げはじめた。
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母に少しでも近づこうと、アスカは支柱に寄りかかり後ろ脚で立ち上がった。


そして、哀しげな声で母を呼びつづける。その鳴き声は哀れを誘った。
「幼いアスカを、たった一晩とはいえ独り防砂林に残すのは不安だし、やはり不憫だ」

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私はランだけを病院へ移送するのを諦め、アスカも捕獲し母子一緒に病院へ連れて行くことにした。


とはいえ、アスカを簡単に捕獲出来るとは思っていない。無理やり捕まえようとしても、幼いとはいえ鋭い歯と爪を持つアスカに抵抗されたらおしまいだ。
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その結果、先日のランのように防砂林へ逃げ込まれるのがオチだろう。


そうならないためには、アスカ自身が納得して私に身を預けてくれるしかない。
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そこで私は、母を捕獲した理由を、アスカに諄々と説いた。
だが、果たしてアスカが私の想いを理解してくれたのか、確信は持てなかった。



ひとつのキャリーバッグへ一緒に入れることも考えたが、せっかく捕獲したランを逃がすリスクは冒したくない。
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そこで常に携帯している洗濯ネットを使うことにした。
「アスカ、おとなしくこの中に入ってくれるかい。そうしたらお母さんと一緒にいられるよ」



私の真情が通じたのか、アスカは素直に洗濯ネットに入った。
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こうして、捕獲する気負いのなかったことが幸いして、ランとアスカ母子の捕獲に成功した。


途中自宅に寄ってアスカをキャリーバッグに移し替え、動物病院へ向かった。
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この病院は我が家の愛猫も世話になっているし、多くの海岸猫が不妊手術を受けている。治療費がほかの動物病院と比べて割安だからだ。


そのせいか受付開始直後だというのに、待合所を兼ねた廊下はペットと人で溢れていた。
しばし順番を待ち、
受付でランの避妊手術とアスカの去勢手術の申し込み手続きを済ます。
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母猫のランは耳カットを頼んだが、アスカは悩んだ末に、手術痕の確認が容易で、まだ里子に出せる可能性を残しているのでカットしないことにした。


やがてランとアスカは係の人の手により病院の奥へと運ばれていった。
「ラン、アスカ、頑張れよ‥‥」私は小さく呟いた。

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受付で確認したら、夕方には引き取りに来てほしいと言われた。


後で分かったことだが‥‥。
この病院で不妊手術を施された場合、飼い猫は同じ料金で一泊させてもらえるが、野良猫は術後もほかのペットと隔離され、その日のうちに退院させられる。
野良猫は猫エイズ、猫風邪、猫白血病などの感染症に罹っている可能性があるための対応だと思われる。



手術時間の短いアスカは麻酔から醒めるのも早いが、ランは醒めるのに時間がかかる。
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たとえ目を覚ましても、しばらくはまともに体を動かせないはずだ。そんな状態のランを海岸にリリースするわけにはいかない。


私は病院を出ると、ホームセンターへ向かった。ランとアスカを一泊させるためのケージを購入するために。
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ケージに求める条件は、母子が余裕を持って起居出来ること。そして嵩張らず簡単に折り畳めること‥‥。


それらの条件を満たしたのは折り畳み式のソフトケージだった。
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これなら使用しないときの収納にも困らない。


午後5時病院へ電話をしてランとアスカの状態を訊くと、母子とも麻酔から醒めているという。
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私は病院へ急行し、退院手続きを済ませ、キャリーバッグに収まったままのランとアスカを引きとった。


これがそのとき受けとった領収書だ。
ランの避妊手術料金が8,000円、アスカの去勢手術料金が5,000円、そして抗生剤の注射料金が2匹で2,600円。

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前述したように、この病院の不妊手術料金は、平均的な料金よりかなり安価である。


ケージを運び込んだ仕事部屋へ、ランとアスカを連れてきた。
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病院へ向かうときは、キャリーの中で2匹とも盛んに鳴いていたが、退院後は一言も発しない。


前もって浴室に組み立ててあったケージへランとアスカを移した。
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想像したとおり、母子とも目が覚めただけで、麻酔から完全に醒めていないのは一目瞭然だ。


ランは目も虚ろで、まともに立ち上がることも出来ない状態だ。ただランは朝食を摂っていないので嘔吐する様子はない。
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一方アスカは母より覚醒している。ただ、朝少し猫缶を食べたので、何度か嘔吐した。


有り合わせの箱で簡易トイレを用意したが、ランもアスカもまともに歩けないので、横たわったままオシッコを垂れながすに任せる。そのため定期的に床替えをしなければならない。
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どのみち夜はあまり眠れないので、床替えをしながら午前3時ころまで様子を見ていた。


私がいることで安心したのか、ランは穏やかな表情を見せはじめ、アスカは喉をゴロゴロと鳴らしながら寛ぎはじめた。
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「ラン、アスカ、おやすみ。誰も邪魔しないからゆっくり休むんだよ」


午前7時、ランとアスカは既に目覚めていた。
ランはケージから出ると、浴室内を物珍しそうに観察しはじめた。

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目付きもしっかりしている。どうやら麻酔の効き目はだいぶ薄れたようだ。
「ラン、大丈夫か。昨日は大変だったな‥‥」。



ランはまだ食欲がないが、育ち盛りのアスカはこういう場合も食欲旺盛だ。
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昨日1日、まともに食事をしていないのだから腹ペコだったのだろう。


午前8時、湘南海岸‥‥。
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二つのキャリーバッグを自転車で運ぶ難儀さは前日経験して懲りたので、少々窮屈だったろうが、ランとアスカを一つのキャリーで運んできた。
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潮の香りで自分たちの住処へ帰ると分かったから、海岸へ向かう途中、母子は一度も鳴き声を発しなかった。


キャリーバッグを開けたら、ランとアスカはすぐさま外に出てきた。
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アスカは元気よく防砂林の中へ駆けていった。その後をゆっくりとした足取りで歩いていくラン。


麻酔の影響がまだ残っているのだろう、ランの足運びは幾分心許ない。
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だが考えてみれば、開腹手術から丸一日経っていないのだから、猫の回復力に感嘆すべきだ。


退院後のランの様子を注視していたが、切開部分の痛みはないようだ。
手術箇所に少しでも違和感があれば、舐めるはずだが、ランはそんな素振りを一度も見せないからだ。

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ランの場合切開部分はごく小さく、縫合糸も自然に溶ける吸収糸なので抜糸の必要はない。抜糸のためにまた捕獲するなど非現実的。野良猫の手術に吸収糸の使用は必須だ。


ともあれ、食欲は未だないが、ランは今のところ順調に回復しているようだ。
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ただ、数日間は体調の変化を観察する必要がある。避妊手術をきっかけに死亡した例も報告されているからだ。


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今は食べるより身体を休めて体力を戻そうと考えているのか、ランは植込みの奥へ姿を消した。


ランを行方を目で追うアスカ。いつもと違う母の態度を不思議に思っているのかもしれない。
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若いアスカは、母と違い食べることで体力を回復することにしたようだ。


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ランのことが心配だったが、いつまでも海岸に居つづけるわけにもいかず、私は帰途についた。
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このときの私は、ランとアスカに出来るだけのことをした、という充足感があった。


ところが、国道を渡り、住宅街に入った頃だった‥‥。
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予想もしていなかった感情の波が、私を襲ってきたのは。


私の視界はいきなり涙で滲んだ。
怒涛のごとく襲ってきた感情の正体は、“自責の念”だった。

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苛酷な生活を送ることが分かっている海岸へ、ランとアスカを置き去りにした自分を激しく責めはじめた。


母子を一晩看護したことで情が移ったこともある。が、とにかくランとアスカを海岸から救い出せない己が無性に情けなかった。

私はさりげなく涙を拭うと、顔を伏せてペダルを漕ぐ脚に力を込めた。


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部屋に戻り空っぽのケージを見た瞬間、それまで我慢していた嗚咽が堰を切ったように漏れてきた‥‥。


〈次回へつづく〉



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『2年遅れの報告』

ランとアスカの保護に使用したキャリーバッグとケージの代金は、支出報告に記したように『ミケ募金』から支出した。

『ミケ募金』は主に海岸猫のエサ代に充てる予定だったのだが、幾人もの方からキャットフードをいただき、なかなか使う機会がなかった。そこで使途の範囲を拡大したのだ。

では、ランとアスカの不妊手術代も『ミケ募金』から支出したかといえば‥‥、NOだ。
実は私の手元には、もう一つプールしている募金がある。
それは『ミリオン募金』とでも呼ぶべきお金だ。今回、初めて『ミリオン募金』を使わせてもらった。


ミリオンは扁平上皮癌に体を侵され、手術の甲斐なく2011年1月16日に病院で他界した海岸猫だ。
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ミリオンが手術出来たのは、知人T氏の尽力のお陰だが、それまでには紆余曲折の経緯があった。
その結果T氏からは、ミリオンの入院手術の件に自分が介在していることを伏せてほしいと依頼されるに至った。



またミリオンを執刀した◯◯医師からは、T氏の紹介だから手術、治療、入院にかかった費用は受け取れないと告げられた。
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頑なに固辞する医師に懇願し、何とか実費だけ受け取ってもらえることになった。その実費も外部委託した血液検査費用だから、医師の報酬はゼロである。


さらに、その実費も本人の強い要望で、T氏が支払った。そして当然ながら、このことも他言しないようT氏に請われ、私は了承した。
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だから当時のブログには、ミリオンの治療費ついて一切触れていない。


ところが、ブログを見てミリオンの治療費の足しにカンパしたいというメールを、複数の読者からいただいた。
実情を明かせない私は、「医師の好意で安くしてもらったので」と説明し、すべてのカンパを断った。

だが、二人だけ例外が存在する。


ミリオンが亡くなった直後に帰国していた『ベルリンおばばの独り言』の管理人太巻きおばばさんと、街中で遭遇したike君のお母さんだ。
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勿論、お二人にも同じ説明をしてカンパを辞退した。しかし、太巻きおばばさんとは電話で、ike君のお母さんとは直接会って「それでも」と言われたので断りきれなかった。
押しに弱い私の性格が露呈した結果である。



このことで『ミリオン募金』をブログで公表するのに、2つの障壁が私の前に立ち塞がった。
T氏からの他言無用の要請、そしてカンパを申し出てくれた人たちへの釈明‥‥。
さらに2年前から始まった湘南と故郷との二重生活も、機会を失わせる要因となった。



あれから2年余りが経ち、文言を選べばT氏へ迷惑がかかることもないのでは、という思いと、早く太巻きおばばさんとike君のお母さんの好意に応えたいという思いで、今回公表することにした。
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それにミリオンとは関係なく、直接手渡されたカンパが2件ある。
まず、ねこタカイさんからのカンパ。そして、今はブログを辞めてしまったが、当時のブロガー仲間のるいねこさんからのカンパ。



それらを、太巻きおばばさんとike君のお母さんのカンパに加え、さらにミリオンの治療費のお釣りを加算した『ミリオン募金』は、29,650円になる。
そして、今回のランとアスカの手術費を差し引くと、14,050円。

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今後は『ミケ募金』(残金25,499円)と『ミリオン募金』(残金14,050円)を合算して『ミケ・ミリオン募金』(39,549円)として支出報告をする。
これで、私も肩の荷を降ろせる‥‥。



『お詫びとお礼』

まず、さん、◯◯先生、その節はミリオンのためにご尽力いただきありがとうございました。
私としては、お二人の名前を伏せるのは本意ではないのですが、微妙な事情が介在しているので致し方ありません。

さて、太巻きおばばさん、ike君のお母さん、ねこタカイさん、るいねこさん、
その節はありがとうございました。
幾つかの事情が重なったとはいえ、ご報告が遅くなりましたことをお詫びいたします。

そして、ミリオンのためにカンパを申し出ていただいた皆様にお詫びいたします。
せっかくのご好意を無にしましたが、私にとって苦渋の選択だったことをご理解ください。

管理人:wabi




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不妊手術 その四『経過』

2013年05月23日 08:30

やっとの思いで情動を抑えこんだ私は、折り畳み式のケージを急いで片付けた。
ランとアスカが一晩過ごした痕跡を一刻も早く消し去りたい一心で‥‥。

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今までの経験や仄聞した情報で、TNR活動の中で最大の難事は捕獲だろうと思っていた。
だが私にとっての難事は、リリースだったのだ。
ランとアスカを部屋に一泊させる予定外の事態が発生したとはいえ、この思いよらない結末に私は戸惑っていた。



ラン母子‥‥、特にランのことが気掛かりだった私は、午後再び海岸へ赴いた。
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私がエリアを訪れると、すぐにランが姿を現した。
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朝よりしっかりした足取りのランを見て、私は思わず安堵の息を洩らした。


そして、息子のアスカも元気な姿を見せてくれた。
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前日に全身麻酔で手術をしたとは思えない2匹の様子を見るにつけ、改めて猫の回復力の凄さを思い知った。


それでもランをよく観察すると、リリースした朝よりはしっかりした動きをしているが、まだ手術の影響が残っているように感じる。
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ただ下腹部を気にしている風はなく、手術痕は順調に治癒しているようだ。


アスカからは、手術の影響をほとんど感じない。やはり手術時間の短い去勢手術は、猫の体への負担も軽いようだ。
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同じ”オトコ”としては、去勢という言葉に抵抗を感じる。が、それによって望まれない子が生まれるのを防げる。そしてアスカ自身はほかのオス猫と無用な喧嘩をしなくなるし、徘徊して事故に遭う確率も低くなる。


猫缶を与えると、2匹はすぐに食べはじめた。
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アスカの健啖ぶりを見ていると、今朝の罪悪感が少し薄らいでくる。


自分のトレイを離れ、アスカがランのトレイにそっと近づいていく。
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そして躊躇わずに母の猫缶を食べはじめた。ランは頭を上げ、ついと横を見遣る。


アスカのトレイにはまだ猫缶が残っていた。
全部食べると母との間で猫缶のトレードが成立しないと、知恵を働かせているのかもしれない。

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だが、『隣の芝生は青く見える』というが、同じ猫缶なのにどうしてアスカは、毎回母の猫缶に手を出すのか?


いつもなら唯々と息子に譲るランだが、このときは簡単に引き下がらなかった。
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母子はお互いの頭をぶつけんばかりに競い合って、猫缶を食べる。


しかし‥‥、
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けっきょく最後に折れるのは親のほうだ。この辺りはニンゲンの親子関係と変わらない。


ランはほんの少し食べただけでトレイから離れた。
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まだ本来の食欲が戻っていないのか‥‥?


食欲もそうだが、やはりランの挙動は手術前より緩慢だ。
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おもむろに後ろを振り返るラン。


その視線の先にいたのは、脇目も振らず猫缶を貪る息子だった。
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去勢手術をすると太る傾向がある。アスカの今後がちょっと心配だ。


ランはそのまま植込みの奥へ行くと、地面に体を横たえた。
比較的順調な回復を見せているランだが、まだ体の状態は本調子ではないのだろう。

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避妊手術は“必要悪”かもしれない、と以前に述べた。ただ避妊手術をすれば望まれない出産を防げるし、大きな鳴き声を上げるなどの発情時の異常行動もなくなる。


そして、ラン自身もそれによりストレスがなくなり、結果長生きする。また、乳腺腫瘍や子宮・卵巣の病気からも開放されるのだ。
野良猫の場合、病気になっても病院へ連れて行けるかどうか分からない‥‥。

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そういうことを知ろうともせず、「可哀想だから」と猫の不妊手術に反対している皮相浅薄な偽善者など相手にしないことだ。


今回、私は野良猫の不妊手術を初めてやったが、野良猫を世話するボランティアの人たちにとってはごく日常的なこと。
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最近では野良猫の不妊手術に助成金を交付する自治体も増えてきたが、あくまでも費用の一部を“助成”するだけだし、予算も限られている。
だからほとんどのボランティアの人は自腹を切っているのが実情だ。



ランがいきなり防砂柵によじ登ってきた。
いくら切開部分が小さいとはいえ、激しい動きをされるとやはり心配になる。

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湘南の海を眺望するラン。彼女の胸に去来する想いは何なんだろう?


強制的に避妊手術を受けさせられたことを、ランはどう受け止めているのか。
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「おいおい、また無茶なことを」猫の運動能力の高さには一目置いているが‥‥。
「でも、開腹手術から1日しか経っていないんだぞ」



昨日今日の様子を見ていると、ランの私に対する態度に変化は認められない。ランが私の本意を感得したのだろうと、一方的に思い込んでいるのだが‥‥。
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たとえランに忌避されることになろうと、私は彼女に避妊手術を受けさせた。
このエリアには去勢していないオスが時折出没する。それにアスカとの近親交配の可能性もあったからだ。



避妊手術をした証の耳カット‥‥。
なぜ耳の先端を切るのか。それは、ひとえに重複手術を防止するためだ。

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耳カットの代わりにピアスや入れ墨する事例もある。だが、ピアスはいつか取れるし、入れ墨は毛色が濃いと見分けられない。今のところ耳カットがベストだろう


耳カットは、その猫を世話する人の存在を知らしめる役目もある。
つまり耳カットは愛されている証でもあるのだ。

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ところが、耳カットを残酷だと異を唱えるいう人たちもいると聞く。
念のために述べておくが、麻酔が効いている間にカットするので、猫は痛みを感じない。



それでもまだ、耳カットが残酷だというのなら、実現可能な代案を教えてほしい。
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「ラン、また明日の朝来るからな」
元気な姿を見せてくれたラン。それによって私の心がどれだけ癒されたか‥‥。



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実をいうと、ほかにも避妊手術を受けさせたい海岸猫がいる。


しかし、その海岸猫を病院へ連れて行くには大きな障碍が立ち塞がっていた。
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その問題を解決しない限り、捕獲の算段さえできない特殊な環境で暮らす海岸猫なのだ。


〈次回へつづく〉



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不妊手術 その伍『提言』

2013年05月31日 20:30

ランとアスカをリリースした翌日の湘南海岸‥‥早朝。
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私がエリアへ到着すると、ランとアスカは待っていたように姿を現した。
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どうやらランは、自転車のスタンドを立てる音で私の来訪を感知しているらしい。アスカはその母の行動を見て間接的に察知しているようだ。


猫の聴覚は優れていて、犬よりも高音域に強いが、音の聞き分け能力も秀でているのだと再認識させられる。
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アスカが母の猫缶に横槍も入れず、トレイから離れた。珍しいこともあるものだ。


息子がいないと、ランは気兼ねなく朝食を摂れるらしく、アスカが残した猫缶にまで手を出した。
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これまた滅多にない光景だ。何にせよランに食欲が戻ったことは喜ばしい。


猫缶を残すなんて、健啖家のアスカらしくない。
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まさか今更、手術の影響が表れたわけでもあるまい。


私が海岸へ到着したのは午前7時過ぎだが、既にエサをもらっていたのだろうか。
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このエリアのエサ遣りさんは、早朝に来ることはまず無いのだが‥‥。
ところが、やはりアスカはアスカだった。



おもむろにランに近づくと、アスカは当然のように猫缶を横取りした。アスカの接近を知ったランは、すぐさま体を翻した。
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今朝のランの様子から、手術の影響はほぼ無くなったと感じた。
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野良猫の平均寿命は短いが、不慮の事故などに遭わなければ10年以上生きることも可能だ。今回の手術で、ランとアスカはいくつかの疾病には罹らずに済むのだから、親子ともども長生きしてほしい。


ひとつの食器で仲良く水を飲む母子。
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そして今度は、陽だまりで揃って毛繕いをし始めた。


ランの腹の手術痕には、ごく簡易な絆創膏が貼られているだけだ。
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まだ剥がしていないのは、ランが切開部分に痛みも違和感も感じていないという証左だ。


猫によっては縫合糸を噛み切ろとする。かといって、野良猫にエリザベスカラーを装着するなど無理なこと。
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ランとアスカが手術を受けた病院はインターン生と思われる医師からベテランの医師まで複数の医師が従事している。もしかしたらランは運良く熟練の医師に当たったのかもしれない。


開腹手術から40時間ほどしか経っていないが、野に暮らす野生の力のせいもあり、ランの回復ぶりは至って順調である。
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このまま大過なく本来のランに戻ってほしい。


復調するランの様子を見るにつけ、不妊手術を受けさせて良かったと思う。
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ただ、たった一晩とはいえ部屋に泊めたことで、ランとアスカが私にとってとりわけ気懸かりな存在になったことは想定外だ。


アスカがケージの中で、喉をごろごろ鳴らしていたのも強く印象に残っている。
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もしあのとき、アスカが安住の地を得て、もう厳しい外での生活に戻らなくてもいいと思っていたとすれば、私のしたことは大罪だ。


「アスカ、私だって苛酷な暮らしが待つ海岸へ、幼いお前を戻したくはなかった」
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許されるなら、母とともに引き取りたかった。でもそれが出来ない事情が、私にはある。


「ランも許してくれよ。私に力が無いばかりに、命を脅かす様々な危難が潜む野へ戻したことを」
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「穏やかなお前の寝顔を見ていると、心が和む一方、心配でならない」


野良猫に与えられている安息のときには限りがある。事故、病気、怪我、虐待、と懸念を数えだしたらキリがない。
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いつも側にいれば対処できるのだが、現状ではそれもままならない。
私に出来ることといえば、ただひたすら祈ることだけだ。



以来、私はランとアスカに会う度に良心の呵責に苛まれるようになった。
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今更だが‥‥、どんな形にせよ野良猫と関われば、ひっきょう胸中に残るのは悲しみと虚しさだ。



それから数日間、ランとアスカは毎朝元気な姿を見せてくれた。



そして私は、ある目的を持って休日の海岸を訪れた。
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ランとアスカに変わりがないか、まず2匹が暮らすエリアへ赴いた。
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私が訪れたとき、母子は防砂林の外に出ていた。


アスカは私の姿を認めると、「ミャーミャー」と鳴き声を上げながら体を擦りよせてきた。
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「アスカ分かった、分かったよ、腹が減っているんだろ」
この幼い海岸猫が何を訴えているのか、私には手に取るように分かる。



ランとアスカが不妊手術を受けてから6日が経っていた。
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朝の限られた時間だが、術後の母子を観察していた私の目には、2匹がすっかり元の状態に戻ったように映る。


ランとアスカはその後も、手術痕を気にする素振りを見せない。抗生剤の効きめもあり、感染症にも罹らずほぼ治癒している。
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私としては、そろそろ術後の様子を注意深く観察しなくてもいいのでは、と思っている。


今回初めてのTNRから、私はいくつかの有益なことを習得した。
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そういう意味でも、ランとアスカには感謝している。


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腹が満たされたランとアスカは、柔らかな草むらに体を横たえた。


背を向け、微妙な距離をおく母と息子‥‥。
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適度な距離感が仲良く暮らす秘訣かもしれない。個人的に、そんなことをふと感じてしまった。


ランエリアを後にした私は、曇天の湘南海岸を、ほかのエリアへと急いだ。
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しばらくエリアの入口で佇んでいると、1匹の海岸猫が私に擦りよってきた。
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久しぶりに訪れたのに、私のことをちゃんと憶えていてくれた。


「リン、元気だったか」
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しばらく見ないうちに、リンの目付きが険しくなったと感じるのは、私の気のせいか。
もしそうでなければ、私には思い当たるフシがある。



「どうしたリン、そんなおっかない顔をして‥‥」
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「お前も気苦労が絶えないなぁ‥‥」
私は労いをこめてリンを優しく愛撫した。するとリンは気持ちよさそうに目を閉じ、柔和な表情を見せる。



実はこのとき、リンは子育ての真っ最中だった。今回は2度めの出産だが、前回の出産から4ヵ月しか経っていない。
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子育て中の母猫は仔猫の世話で忙しく、寝る暇もないほどだと聞く。そうであれば、目付きが険しくなるのも当然である。


寸暇をさいて私を迎えてくれたのだから、せめて今のうちに食事をさせてやろうと思った。
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授乳中のリンには栄養価が高く、バランスも良いカリカリを与えた。


リンはランの子ユイともども、防砂林に住まう人のテント小屋で暮らしている。
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前回産んだ4匹の仔猫は櫛の歯が欠けるように1匹、また1匹と姿を消し、ついにはすべての仔猫がいなくなった。


防砂林に住まう人からは、仔猫を可愛がっていた人が数人いたから、その人たちに保護されたのだろうと聞いている。
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私としては、その推測に異を立てる根拠も仔猫の行方を突き止める術もないので、賛同の意を表した。私もそうであって欲しかったし‥‥。


だが、どうしても防砂林に住まう人たちに賛同できないことがある。
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リンが2度めの妊娠をする前に、リンとユイに避妊手術を受けさせたいと申し入れたら、やんわりと拒否された。


そこで今回は、ランとアスカの不妊手術履行の知らせと、リンとユイに避妊手術を受けさせたい旨を再度申し入れるためにやってきたのだ。
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さっきからリンは防砂林の一点を凝視し聞き耳を立てている。ニンゲンの耳には聞こえないが、リンには仔猫たちの声が聞こえているのだろう。


リンはゆっくりとした足取りで、防砂林の中へ分け入った。
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母猫は外敵から子供を守るため、数日毎にねぐらの引越しをする。


以前はテント小屋の中に仔猫を隠していたが、今は防砂林の然るべき場所に移したのだろう。
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母猫は仔猫を呼ぶとき、低くて断続的な独特の鳴き方をする。
このときはリンが仔猫たちの声を聞き分けていたので鳴かなかったが、その鳴き声は安らぎと切なさを感じさせる。



安堵と哀切‥‥、“母の声”とはその両面を併せ持っているのかもしれない。
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やがてリンは防砂林の奥へ姿を消した。


さて、リンとユイに避妊手術を受けさせたいという私の提言への先方の返答だが‥‥。
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「そこまでしなくていい」「自然のままでいい」というものだった。彼らの様子からは、仔猫が生まれるのを楽しみにしていることが窺える。
それに対しての私の言い分は沢山あったし、自分の説が正論だという確信もあった。



が、私は何も言えなかった。
言い争いにでもなって彼らとの関係が悪化したら、リンとユイに会えなくなる。そして、そうなれば彼女らに避妊手術を受けさせることが出来なくなるからだ。

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いつかは分かってくれるだろう、という淡い期待を胸に抱いて私は帰路についた。



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『里親募集』

『大阪 Cat Story』の管理人Kiryuさんが、仔猫の里親さんを募集しています。


生後半年ほどの雌の黒猫。
猫エイズ、白血病とも陰性でワクチンの接種、避妊手術は終えています。

詳細は画像をクリックしてください。



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【全盲のあやめちゃんが無事発見保護されました】

ご協力、ありがとうございました。


よく頑張ったね、あやめちゃん。



不妊手術 その六『眷族』

2013年06月08日 05:00

私がその海岸猫を見かけたのはたった一度だけだった。
そのとき私と顔を合わせた海岸猫は、私にカメラを構える隙も与えずたちまち防砂林の奥へ歩き去ってしまった。

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以来、その海岸猫の姿は見ていないが、この日2度目の遭遇を果たすことになる。


私は夕刻の湘南海岸を訪れた。
ランエリアに足を踏み入れた途端、アスカが鳴き声を上げながら姿を現した。

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私が側にいると、アスカはこんな無防備で大胆な格好を見せる。


『犬は人に付き猫は家に付く』という諺があるが、私はすんなりと首肯できない。
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猫も犬と同様、受けた恩義を忘れない忠順な動物だと私は信じている。
童話作家立原えりかのエッセイ『二匹の猫のこと』には20キロ以上離れた引越し先に自力で辿り着く黒猫が紹介されている。



草むらで寛ぐ母の側へ歩み寄るアスカ。
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母子の情愛もまた、ニンゲンが思っているほど希薄ではない。


一つのトレイで食事をするランとアスカ。このカリカリはエサ遣りさんのWさんが与えたものだ。
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Wさんはこのエリアも含めて数カ所のエサ場を廻り、海岸猫に給餌している。


アスカも顔馴染みのWさんの前では警戒心を解く。
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アスカは抱かれることに慣れていない。その格好は、まるで吊り下げられた木偶人形みたいだ。


Wさんの自転車の側で寛ぐアスカ。気心の知れたニンゲンがいることで安心しきっているようだ。
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無邪気で屈託のないアスカの双眸は、今まで何を見てきたのだろう。


猫に時間の概念はないというが、いなくなったチャゲや離れて暮らすユイと暮らした頃のことも忘れてしまったのか。
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たとえ回顧しなくても頭が良い猫だから、兄弟たちのことは憶えていると思われる。


Wさんが帰ろうとして自転車を動かすと、アスカは前脚をスタンドにかけた。もっと遊んで欲しいと、引き止めているつもりなのか。
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今度は車輪に戯れつき始めた。


Wさんもアスカのなすがままに任せている。これだけ執拗引き止められるとにべない態度も取れず、Wさんは少々困惑気味だ。
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アスカに怪我をさせないようにWさんはゆっくりと自転車を移動する。アスカもゆっくりとした歩調で後を追う。


Wさんが道路に出ると、アスカはやっと諦め歩みを止めた。アスカの身の上を知るWさんは名残惜しそうに、アスカに別れの言葉を告げた。
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Wさんの姿が見えなくなると、アスカはとぼとぼと引き返してきた。


ランは端然と座ったままWさんを見送っている。
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遊び盛りのアスカは構ってくれる相手がいなくなったのが寂しいのか、道路の方を凝視したまま動かない。


アスカはには2匹の兄弟がいたが、ユイは生まれたテント小屋に残り、一緒に移動してきたチャゲはある日突然姿を消した。
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だから今は、このエリアで母のランと2匹だけで暮らしている。だが、さすがに母親相手ではチャゲと同じような遊びはできない。


アスカにとってランは飽くまでも慕う相手であって、遊び相手ではないのだ。
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私も15年前に無二の弟を喪ったが、それでも小さい頃はよく遊んだものだ。


アスカも同じ年頃の遊び相手が欲しいのでは、と私は思っている。
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現在リンが育てている仔猫は、アスカにとって従兄弟に当たる。その中から遊び相手が現れるといいのだが‥‥。


そんなことを考えているときだった。母子の表情がにわかに緊張で固まったのは
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ランとアスカは目を大きく見開き、視線を一点に集中している。特にランの形相はにわかに険しくなった。


ランはその対象から一瞬たりとも目を離さず、視線を巡らせる。
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ランの視線を辿って、私はゆっくりと後ろを振り向いた。
そこにいたのは立派な体躯をしたキジ白だった。私はこのキジ白が以前このエリアで目撃した海岸猫だとすぐに分かった。



前回見かけたときは遠目だったので確認できなかったが、体付き、面構えなどからオスだと推察される。
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キジ白は我々に背を向けたまま、辺りを用心深く見回している。
その風貌からの連想で、私はこの海岸猫に“ムッシュ”という呼び名を付けた。



リンとランが産んだ雉トラ柄の仔猫の父親は、このムッシュだと私は睨んでいる。
周りから得た情報もそれを裏付けるものばかりだった。

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自分を孕ませたムッシュに対するランの目は殊の外険しい。


カメラを構える私を見つめる面持ちに緊張感など微塵もなく、不敵な面構えを崩さない。「図太い神経の、豪胆なヤツだな」というのが、私の第一印象である
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ムッシュがリンやランとともに、防砂林に住まう人のテントで暮らしていた眷族なのかはどうかの情報は得ていない。しかし、人馴れしていない性格からその可能性は低いだろうと私は思っている。


ムッシュは生粋の野良らしく警戒心が強く、一定の距離を侵犯すると逃げ去ってしまう。
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悠然とした足取りで私の目の前を横切ると、防風ネットの裂け目を潜り、以前と同じように防砂林の中へ姿を消した。


ランとアスカはムッシュの後ろ姿を見送る。
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アスカはムッシュが自分の父親だということを知っているのだろうか。


猫の場合、子供と父親の縁は希薄だ。稀に自分の子供を可愛がる父猫がいるが、通常は育児をすることはないし、我が子であっても父猫は相手をオスかメスで認識する。
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だからメスを巡って息子と喧嘩するし、発情したら娘とでも交尾しようとする。ただ自然界のメスには近親交配を察知する本能が備わっていてそれを忌避する。


だが限られたエリアで暮らす野良猫だと、近親交配が起こる確率は高くなる。
そういう意味でも野良猫の不妊手術は必要不可欠なのだ。

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父親のムッシュにはあまり関心を示さなかったアスカが、先程から興味津々の様子で目を瞠っている。


アスカが関心を寄せているのは帰り支度をしている釣人だ。
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だが、釣人は側に佇む海岸猫をまったく気にかけていない。今は釣果のことしか考えていないのかもしれない。


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落日間近の最後の陽射しを浴びて、ランは微睡みはじめた。
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避妊手術を受けたランは二度と発情しない。そんなランにとってムッシュはどんな存在なのだろう。


そして、ランとは違ってムッシュの血を受け継いだアスカは‥‥。
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ニンゲンの場合、『親の背中を見て子は育つ』と言われているが、猫の場合はどうなのだろう?


私が知らないだけで、今までもアスカはムッシュと接触を持っていると思われる。
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生体的にもムッシュの遺伝子を受け継いでいるアスカだから、彼から何らかの影響を受けるはず。


たとえ親としてでなくても、ムッシュは年長の先輩猫としてアスカに感化を与え続けるだろう。
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ちなみに私は、父を反面教師として生きてきたつもりだったが、周りの評価は意図に反して“よく似ている”だ。私自身も馬齢を重ねる度に、外見や性格だけでなく人生さえも父に似寄るのを実感する。


でも、『血は水よりも濃し』『血は争えぬ』『氏より育ち』『兄弟は他人の始まり』など眷族にまつわる数多ある諺のどれにも素直に諾えない私がいることもまた事実だ。
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一つの言葉で言い表すことができるほど眷族との関係は複雑で一様でないということだ。


ともあれ、ムッシュの存在が明らかになったことで、つくづくランに避妊手術を受けさせて正解だったと思う。
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そうなると、ますますリンとユイのことが気懸かりになる。猫は授乳中でも妊娠が可能なのだ。



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『里親募集』

『大阪 Cat Story』の管理人Kiryuさんが、仔猫の里親さんを募集しています。


生後半年ほどの雌の黒猫。
猫エイズ、白血病とも陰性でワクチンの接種、避妊手術は終えています。

詳細は画像をクリックしてください。



不妊手術 その七『不在』

2013年06月13日 08:00

湘南海岸‥‥早朝。
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防砂林へ向けて私が名を呼ぶと、まずアスカが姿を現し足許に擦り寄ってきた。
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いつもなら母のランも揃って姿を見せるのだが‥‥。


「アスカ、お母さんは一緒じゃないのか」
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だがアスカは不安げな面持ちで座り込み、私の問いかけを聞いている様子もない。


私はさらにランの名を呼びつづけたが、その声は防砂林の中へ虚しく吸い込まれるばかりだ。
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その場に留まり、辺りに動くものの気配がないかしばらく意識を集中したが、鈍麻した私の五感は何も察知できなかった。


何気なく植込みの中を覗いた私は思わずのけぞり後ずさりした。
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そこにいたのはムッシュだった。


ムッシュは私と対峙しても顔色一つ変えない。やはりそうとう肝が据わったヤツだ。
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やがてムッシュはその場にうずくまり、顔をそっと伏せた。さすがに私の双眼とレンズの三つの眼と睨み合うのは避けたようだ。


私は植込みを回り込み、砂防柵越しにムッシュを俯瞰した。
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ムッシュは不敵な面持ちで私の顔を睨み返してくる。この海岸猫の来歴は不明だが、その眼にはニンゲンへの不審感が仄見える。


ランが不在なのはムッシュが居座っているからなのか。
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にしても、何処へ行ったんだランは?エサ場近くにいないと、エサにありつけないのに。


取り敢えずアスカに猫缶を与えることにした。
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いつもは母と一緒に食事するアスカ。
私見だが、独りの食事ほど味気ないものはない。どんな美酒美肴であろうが、家族や親しい者との食事に勝ることはない。たとえそれが粗食であっても、だ。



だが育ち盛りのアスカにはそんなことはあまり関係ないようだ。。
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与えた猫缶は見事に完食されている。


腹が一杯になり満足したのか、アスカは私の足許に体を横たえた。
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心成しか物憂げに見える表情は、やはり母の不在が原因なのだろうか。


仔猫たちが姿を見せなかったことはあったが、ランが姿を現さなかったことは、これまでなかったと記憶している。
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いつも一緒にいたアスカなら母が何処へ行ったのか知っているはず。


何も語らないのはそれなりの理由があってのことかもしれない。
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ひょっとして、父であるムッシュへの遠慮からか‥‥。


たった1日姿を見せなかっただけで、過度に憂慮するなど大袈裟だということは分かっている。
だが、過剰に反応する情動をどうしても抑えられないのだ。

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部屋に一泊させたことで、ランとアスカに対して殊更近しさを感じているからだ。


人影が見えたので近づいていくと、ボランティアのIおばさんだった。
Iおばさんの海岸訪問時間は不規則だが、朝に来るのは稀なことだ。

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Iおばさんは猫缶を持って植込みの中へ入っていった。


そして猫缶を入れた食器を差し出す。
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その様子をムッシュはじっと観察している。逃げないところを見ると、Iおばさんとは既に見知った仲なのだろう。


ところが、その猫缶を真っ先に食べはじめたのはアスカだった。
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「おいアスカ、お前はさっき食べただろう」私がそういうと、アスカは眼を丸くして振り返った。


私の顔を見ると、アスカはバツの悪そうな表情をつくった。
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が、それも束の間のこと、アスカはすぐに食器に顔を突っ込み猫缶を食べだした。意外だったのは、ムッシュがアスカの無作法な態度を咎める素振りをみせないことだ。


結局、アスカが猫缶を独り占めした。
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父のムッシュは植込みの奥へ引っ込み、ぽつねんとしている。


私は勝手にムッシュは豪胆で気性の荒い猫だと思っていたが、アスカにすんなり猫缶を譲ったことで、その印象は一変した。
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もしかしたら、アスカが自分の子供だと知っているのだろうか。動物の本能で‥‥。


そう思うと、食いしん坊のアスカを見るムッシュの目が優しく感じてくるから不思議だ。
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「アスカ、優しそうな父さんだな‥‥。それにしてもお前食べ過ぎだぞ」
そんな私の言葉も耳に入らないほど、アスカは食べることに専心している。



杞憂と分かっていても、私はランの不在が気掛かりでならない。
そこでランが行きそうな他のエリアへ行ってみることにした。

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そのエリアに着いて、舌を鳴らしていると、1匹の海岸猫が足早に近づいてきた。
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だが、それはランではなくリンだった。


「リン、ランを見なかったか」
可能性は低かったが、生まれ育った元のエリアに戻っているかもしれない。

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だが私の呼びかけに姿を現さないことやリンの態度からも、ランがこのエリアに戻っていないことはすぐに分かった。


私の印象ではお互い子供を産むまでは、姉妹であるリンとランの仲は良好だった。
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それなのに何故ランは2匹の子供を伴ってこのエリアを去ったのか。ここに留まっていれば、防砂林に住まう人から食べ物も与えられるのに、だ。


考えられるとすれば、メスにもそれぞれテリトリーがあり、リンとの確執が生じる前に自らエリアを出たということだ。
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特に子育て中のメスは神経質になっているから、姉妹であっても諍いは起こる。それに猫は自分の子供を擁護するあまり、他の猫を疎外し、場合によっては迫害すらする。


リンとランがこのエリアで子育てをしている時、そういう場面を私は何度か目撃している。
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その行動は母性本能のなせる業だが、昂じると育児放棄や子殺しにまで至る。


だから、そういう惨事を避けるため、ランはこのエリアを離れたのだろう。
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ところで、私がリンとユイの避妊手術を諦めたことに不審と疑問を持った方もいると思われる。
実際にそういう旨のコメントも寄せられたので、私の見解を述べておく。

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以前にも記したようにリンとユイは防砂林に住まう人の世話を受けている。つまり“飼われている”状態だ。


土地の所有権を持たない彼らにも“物”の所有権はある。だからリンとユイの所有権は彼らにある、と私は理解している。
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彼らの所有動物であるリンとユイに勝手に不妊手術を受けさせれば“器物損壊罪”に問われる。立場上、彼らが当局に訴えることはないと思うが、刑法に抵触する行為であることに違いはない。


現実的にも、馴れているリンはともかくユイを捕獲するには彼らの協力がなければ難しい。
この問題に対する私の悩みも苦衷もそこにある。

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「それにしてもラン、いったいお前は何処へ行ったんだ?」



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不妊手術 その八『隧道』

2013年06月23日 17:00

海岸猫が海岸から去る事例は、三つに大別される。
死亡する、行方不明になる、保護される、の三例だ。

それらの割合がどうなっているのか‥‥、勿論、正確な数字など私は知る由もない。
ただ、記憶をより所に私の所感を敢えて述べると、死亡確認が一割、保護も一割、そして残りの八割が、“行方不明”だ。
数値の確度は低いが、海岸猫の実情を知っている人なら、ある日を境に突然姿を見せなくなる猫の割合が一番多いのには賛同してくれるはず。

海岸猫と交誼を結んでおよそ6年、その間に行方知れずになった数のなんと多いことか‥‥。
その中には他界した猫もいるだろうし、保護された猫もいるだろう。
しかしそれらは、所詮推測、憶測の域を出ない。
行方不明は飽くまでも“消息不明”や“生死不明”と同義で、分からないことなのだから。

ひっきょう、殆どの海岸猫との別れは突然やってくるのだ。




ランが姿を見せなかった翌朝、私は不吉な予感を抱いたまま海岸へ赴いた。
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ところが‥‥、
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そんな私の予感を鮮やかに裏切り、ランはあっさりと姿を見せた。
私は安堵のあまり腰が砕けそうになった。

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ランはアスカと一緒に、女性のエサ遣りさんからもらった猫缶を食べていた。


これほど母子の食事光景が微笑ましいと感じたことは、今までなかった。
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前日は何処へ行っていたのか、ランにそう尋ねることも忘れて、私はただ2匹を眺めていた。


ランをして、私の呼びかけにも応えさせないトコロとは何処なのか?
数日後、私はそれを暗示する出来事と遭遇した。



湘南海岸、早朝‥‥。
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この日も、何度名を呼んでもランは姿を現さなかった。
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まるで私が来るのを待っていたように、すぐさま姿を見せたアスカは、鳴き声を上げながら体を寄せてきた。


「アスカ、お母さんは今日もいないのか?」
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アスカの鳴き声を聞いたランが姿を見せるかもしれないと思い、しばらく待つことにした。


「だからアスカ、少し我慢してくれ」
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アスカは母が恋しくて鳴いているわけではない。早く猫缶を食べさせてくれと、私に訴えているのだ。


もしやと思い植込みの中を覗いたが、ムッシュの姿はなかった。
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ランがエサ場を離れる原因はムッシュの存在ではない、ということか‥‥。


だとしたら幼いアスカを独り置いて、ランは何処へ何をしに行ったのだろう。
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どうやらアスカはランの行方を知らないようだ。それに、今は母のことより自分の腹のことで頭がいっぱいの様子だ。


ランは一向に姿を見せないし、これ以上アスカにお預けをくわすのも不憫なので、先に猫缶を与えることにした。
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育ち盛りのアスカは脇目も振らず猫缶を次々とと嚥下していく。


体の大きさは既に母を超え、父ムッシュに近づこうとしている。
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トレイの猫缶は見る見るうちにアスカの胃袋に収まっていく。


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そして、小さな欠片を残すだけの見事な完食をやり遂げた。


それでもアスカが不服そうな素振りを見せるので、追加の猫缶をトレイに盛った。
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するとアスカは、一皿目と同じペースで猫缶を食べはじめた。


「おいおいアスカ、いったいお前の胃袋のキャパはどんだけなんだ?」
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私の言葉も耳に入らないほどアスカは食べることに集中している。


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結局、二皿目もほぼ完食状態。よっぽど腹が減っていたようだ。


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満腹になったアスカは従容とした足取りで防砂林の奥へ入っていく。


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枝間から顔を出した朝陽を見つめ、アスカは何を想っているのか‥‥。


ある日突然海岸から去ったチャゲのことを思い出しているのだろうか。それとも離れて暮らすユイに思いを馳せているのか。
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はたまた時折訪ねてくる父ムッシュを思い起こしているのか。


「にしても、アスカよ、母よりデカくなったとはいえ、お前の後ろ姿は何て小さくて儚げなんだ」
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湘南海岸の片隅でひっそりと暮らす1匹の野良猫など、世の中からすれば取るに足らない存在だろう。


だが彼らも我々ニンゲンと同じ“命”を持っている。
広大無辺な宇宙から見れば、猫とニンゲンなど生物としてはおっつかっつだ。

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進化の過程で枝分かれしたが、同じ祖を持つ言わば同胞(はらから)だ。天の配剤次第では立場が逆転したかもしれない。


その同胞を軽んじて遺棄し虐待し、あまつさえ殺処分してしまうニンゲンがいることに、私自身忸怩たらざるを得ない。
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野良猫が増えると騒音被害や糞尿被害を及ぼすから殺処分も致し方ないという人がいる。


だがそんな理屈は噴飯物の詭弁でしかない。
どう考えても猫に責任など問えないだろう。そもそも野良猫という存在を作り出したのは、我々ニンゲンなのだから。

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それに野良猫が環境に与える影響なんて、ニンゲンが犯している環境破壊に比べればどれほどのものかと訊きたい。
こんな、聡い子供でも分かることを理解しようとしないニンゲンの如何に多いことか。



野良猫を増やさないためには“不妊手術”しか手段がないことを認めるべきだ。
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私は野良猫を撫でるとき、ゴメンな、と呟く。


といっても、ニンゲンを代表して謝罪しているわけではない。私はそこまで思い上がっていないし、優しくもない。
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第一、今の私の心に他人を慮る余裕など皆無だ。


ただひたすら自分の無力を呪い、彼らを救えないことが悔しいだけだ。
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しつこいと分かっていたが、この日も呟いた。「アスカ、お前を救いだせなくてゴメンな」


私の想いが海岸猫に通じているのかどうかは分からないが、これからも同じ台詞を呟きつづけるだろう。
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アスカはさらに防砂林の奥へと足を運んでいく。私は距離を置いて後をついていった。
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目的があるように歩いていくが、この先には国道のコンクリート壁が立ち塞がっているだけだ。


その国道の立ち上がり面にぽっかりと穴が開いているのが見える。
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以前にも紹介したが、この隧道は国道の下を反対側まで貫いている。


防砂林には今も狸やハクビシンがいる。国道の着工時にはもっと数が多かったはず。この隧道はそれらの野生動物が事故に遭わないよう造られたものだと推測される。
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存在が認められていない海岸猫のために造られたのではないことだけは明白だ。


アスカは躊躇うことなく隧道に入っていった。
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どうやら、今回初めて足を踏み入れたわけではなさそうだ。


アスカはそのまま隧道を突き進んでいく。
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そして、隧道を抜けて国道の反対側へ姿を消した。


この隧道を猫たちも利用していると想像していたが、実際に目撃したのは今回が初めてだ。
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私は思った。もしかしたらランも国道の向こう側に行っているのではないかと。そしてそれを知っているアスカが、母の許へ駆けつけたのではないかとも。


5、6分経ったころ、アスカがひょっこりと隧道から顔をだした。
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しかし、戻ってきたのはアスカだけだった。「アスカ、お母さんと一緒じゃないのか?」
隧道を抜けたところにはこちら側と同じ防砂林があり、その先は住宅地になっている。



このエリアでは時折、見慣れない猫の姿を目撃することがある。住宅街に棲む外猫たちもこの隧道を利用して海岸へ来ているのだろう。
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国道を貫く隧道はここ以外に後2箇所あるのを知っている。その間隔はほぼ500メートルで、探せば他にもある可能性がある。


アスカが戸惑うことなく隧道を往復したのを目の当たりにした私は、ある推論を立ててみた。
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臆病なアスカが独りで入ることは考えられない。最初は母のランの後について隧道を通り抜けたのではないだろうか。


アスカの姿を確認した私は、そろそろ海岸を離れようと思って海岸沿いの道路へ向かった。
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その時だった、辺りを見回していた私の視界に1匹の猫の姿が入ってきたのは。


それはランだった。
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いきなり現れたのでランがどっちからやって来たのか、正確な方向は分からない。


ただランが海岸側にいれば、私の呼びかけに応えたはずだという思いと、アスカの行動を目撃したことで、ランも隧道を使い国道の反対側に行っていたのではという疑念が濃くなってきた。
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猫は探究心の強い生き物だから、あの隧道に関心を持たないほうが却って不自然だ。


それはさておき、まずはランに食事を与えることにした。
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あまり空腹でないのか、ランは小鳥がエサを突くように少しずつ食べる。


食べ終えるのに時間がかかると思った私は防砂林をでて海岸へ降りた。
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戻ってみると既にランの姿はなかった。
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トレイの中の猫缶は殆んど残されていた。やはり腹は減っていなかったのだ。


妙だな、と思った。
いつも一緒にいる母子なのに、アスカはいつもより餓え、ランだけ満腹なのは甚だ不自然だ。

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私は思いつき、トレイをそのままに、隧道へ近づいていった。


「いた、ランだ!」
ランは入り口から数メートルのところに佇んでいた。

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やがてそこへ座り込むと、動かなくなった。


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海岸を離れる時間がきたので、私はゆっくりと隧道から離れていった。


さっきの不自然な状況の説明だが‥‥。
ランが別の場所で食事を与えられたと考えれば辻褄が合う。

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しかし、そういう場所が国道の反対側にあるのかどうかは、残念ながら確認できなかった。



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