不妊手術 その伍『提言』

2013年05月31日 20:30

ランとアスカをリリースした翌日の湘南海岸‥‥早朝。
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私がエリアへ到着すると、ランとアスカは待っていたように姿を現した。
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どうやらランは、自転車のスタンドを立てる音で私の来訪を感知しているらしい。アスカはその母の行動を見て間接的に察知しているようだ。


猫の聴覚は優れていて、犬よりも高音域に強いが、音の聞き分け能力も秀でているのだと再認識させられる。
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アスカが母の猫缶に横槍も入れず、トレイから離れた。珍しいこともあるものだ。


息子がいないと、ランは気兼ねなく朝食を摂れるらしく、アスカが残した猫缶にまで手を出した。
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これまた滅多にない光景だ。何にせよランに食欲が戻ったことは喜ばしい。


猫缶を残すなんて、健啖家のアスカらしくない。
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まさか今更、手術の影響が表れたわけでもあるまい。


私が海岸へ到着したのは午前7時過ぎだが、既にエサをもらっていたのだろうか。
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このエリアのエサ遣りさんは、早朝に来ることはまず無いのだが‥‥。
ところが、やはりアスカはアスカだった。



おもむろにランに近づくと、アスカは当然のように猫缶を横取りした。アスカの接近を知ったランは、すぐさま体を翻した。
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今朝のランの様子から、手術の影響はほぼ無くなったと感じた。
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野良猫の平均寿命は短いが、不慮の事故などに遭わなければ10年以上生きることも可能だ。今回の手術で、ランとアスカはいくつかの疾病には罹らずに済むのだから、親子ともども長生きしてほしい。


ひとつの食器で仲良く水を飲む母子。
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そして今度は、陽だまりで揃って毛繕いをし始めた。


ランの腹の手術痕には、ごく簡易な絆創膏が貼られているだけだ。
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まだ剥がしていないのは、ランが切開部分に痛みも違和感も感じていないという証左だ。


猫によっては縫合糸を噛み切ろとする。かといって、野良猫にエリザベスカラーを装着するなど無理なこと。
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ランとアスカが手術を受けた病院はインターン生と思われる医師からベテランの医師まで複数の医師が従事している。もしかしたらランは運良く熟練の医師に当たったのかもしれない。


開腹手術から40時間ほどしか経っていないが、野に暮らす野生の力のせいもあり、ランの回復ぶりは至って順調である。
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このまま大過なく本来のランに戻ってほしい。


復調するランの様子を見るにつけ、不妊手術を受けさせて良かったと思う。
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ただ、たった一晩とはいえ部屋に泊めたことで、ランとアスカが私にとってとりわけ気懸かりな存在になったことは想定外だ。


アスカがケージの中で、喉をごろごろ鳴らしていたのも強く印象に残っている。
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もしあのとき、アスカが安住の地を得て、もう厳しい外での生活に戻らなくてもいいと思っていたとすれば、私のしたことは大罪だ。


「アスカ、私だって苛酷な暮らしが待つ海岸へ、幼いお前を戻したくはなかった」
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許されるなら、母とともに引き取りたかった。でもそれが出来ない事情が、私にはある。


「ランも許してくれよ。私に力が無いばかりに、命を脅かす様々な危難が潜む野へ戻したことを」
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「穏やかなお前の寝顔を見ていると、心が和む一方、心配でならない」


野良猫に与えられている安息のときには限りがある。事故、病気、怪我、虐待、と懸念を数えだしたらキリがない。
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いつも側にいれば対処できるのだが、現状ではそれもままならない。
私に出来ることといえば、ただひたすら祈ることだけだ。



以来、私はランとアスカに会う度に良心の呵責に苛まれるようになった。
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今更だが‥‥、どんな形にせよ野良猫と関われば、ひっきょう胸中に残るのは悲しみと虚しさだ。



それから数日間、ランとアスカは毎朝元気な姿を見せてくれた。



そして私は、ある目的を持って休日の海岸を訪れた。
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ランとアスカに変わりがないか、まず2匹が暮らすエリアへ赴いた。
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私が訪れたとき、母子は防砂林の外に出ていた。


アスカは私の姿を認めると、「ミャーミャー」と鳴き声を上げながら体を擦りよせてきた。
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「アスカ分かった、分かったよ、腹が減っているんだろ」
この幼い海岸猫が何を訴えているのか、私には手に取るように分かる。



ランとアスカが不妊手術を受けてから6日が経っていた。
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朝の限られた時間だが、術後の母子を観察していた私の目には、2匹がすっかり元の状態に戻ったように映る。


ランとアスカはその後も、手術痕を気にする素振りを見せない。抗生剤の効きめもあり、感染症にも罹らずほぼ治癒している。
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私としては、そろそろ術後の様子を注意深く観察しなくてもいいのでは、と思っている。


今回初めてのTNRから、私はいくつかの有益なことを習得した。
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そういう意味でも、ランとアスカには感謝している。


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腹が満たされたランとアスカは、柔らかな草むらに体を横たえた。


背を向け、微妙な距離をおく母と息子‥‥。
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適度な距離感が仲良く暮らす秘訣かもしれない。個人的に、そんなことをふと感じてしまった。


ランエリアを後にした私は、曇天の湘南海岸を、ほかのエリアへと急いだ。
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しばらくエリアの入口で佇んでいると、1匹の海岸猫が私に擦りよってきた。
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久しぶりに訪れたのに、私のことをちゃんと憶えていてくれた。


「リン、元気だったか」
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しばらく見ないうちに、リンの目付きが険しくなったと感じるのは、私の気のせいか。
もしそうでなければ、私には思い当たるフシがある。



「どうしたリン、そんなおっかない顔をして‥‥」
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「お前も気苦労が絶えないなぁ‥‥」
私は労いをこめてリンを優しく愛撫した。するとリンは気持ちよさそうに目を閉じ、柔和な表情を見せる。



実はこのとき、リンは子育ての真っ最中だった。今回は2度めの出産だが、前回の出産から4ヵ月しか経っていない。
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子育て中の母猫は仔猫の世話で忙しく、寝る暇もないほどだと聞く。そうであれば、目付きが険しくなるのも当然である。


寸暇をさいて私を迎えてくれたのだから、せめて今のうちに食事をさせてやろうと思った。
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授乳中のリンには栄養価が高く、バランスも良いカリカリを与えた。


リンはランの子ユイともども、防砂林に住まう人のテント小屋で暮らしている。
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前回産んだ4匹の仔猫は櫛の歯が欠けるように1匹、また1匹と姿を消し、ついにはすべての仔猫がいなくなった。


防砂林に住まう人からは、仔猫を可愛がっていた人が数人いたから、その人たちに保護されたのだろうと聞いている。
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私としては、その推測に異を立てる根拠も仔猫の行方を突き止める術もないので、賛同の意を表した。私もそうであって欲しかったし‥‥。


だが、どうしても防砂林に住まう人たちに賛同できないことがある。
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リンが2度めの妊娠をする前に、リンとユイに避妊手術を受けさせたいと申し入れたら、やんわりと拒否された。


そこで今回は、ランとアスカの不妊手術履行の知らせと、リンとユイに避妊手術を受けさせたい旨を再度申し入れるためにやってきたのだ。
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さっきからリンは防砂林の一点を凝視し聞き耳を立てている。ニンゲンの耳には聞こえないが、リンには仔猫たちの声が聞こえているのだろう。


リンはゆっくりとした足取りで、防砂林の中へ分け入った。
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母猫は外敵から子供を守るため、数日毎にねぐらの引越しをする。


以前はテント小屋の中に仔猫を隠していたが、今は防砂林の然るべき場所に移したのだろう。
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母猫は仔猫を呼ぶとき、低くて断続的な独特の鳴き方をする。
このときはリンが仔猫たちの声を聞き分けていたので鳴かなかったが、その鳴き声は安らぎと切なさを感じさせる。



安堵と哀切‥‥、“母の声”とはその両面を併せ持っているのかもしれない。
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やがてリンは防砂林の奥へ姿を消した。


さて、リンとユイに避妊手術を受けさせたいという私の提言への先方の返答だが‥‥。
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「そこまでしなくていい」「自然のままでいい」というものだった。彼らの様子からは、仔猫が生まれるのを楽しみにしていることが窺える。
それに対しての私の言い分は沢山あったし、自分の説が正論だという確信もあった。



が、私は何も言えなかった。
言い争いにでもなって彼らとの関係が悪化したら、リンとユイに会えなくなる。そして、そうなれば彼女らに避妊手術を受けさせることが出来なくなるからだ。

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いつかは分かってくれるだろう、という淡い期待を胸に抱いて私は帰路についた。



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『里親募集』

『大阪 Cat Story』の管理人Kiryuさんが、仔猫の里親さんを募集しています。


生後半年ほどの雌の黒猫。
猫エイズ、白血病とも陰性でワクチンの接種、避妊手術は終えています。

詳細は画像をクリックしてください。



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【全盲のあやめちゃんが無事発見保護されました】

ご協力、ありがとうございました。


よく頑張ったね、あやめちゃん。



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不妊手術 その四『経過』

2013年05月23日 08:30

やっとの思いで情動を抑えこんだ私は、折り畳み式のケージを急いで片付けた。
ランとアスカが一晩過ごした痕跡を一刻も早く消し去りたい一心で‥‥。

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今までの経験や仄聞した情報で、TNR活動の中で最大の難事は捕獲だろうと思っていた。
だが私にとっての難事は、リリースだったのだ。
ランとアスカを部屋に一泊させる予定外の事態が発生したとはいえ、この思いよらない結末に私は戸惑っていた。



ラン母子‥‥、特にランのことが気掛かりだった私は、午後再び海岸へ赴いた。
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私がエリアを訪れると、すぐにランが姿を現した。
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朝よりしっかりした足取りのランを見て、私は思わず安堵の息を洩らした。


そして、息子のアスカも元気な姿を見せてくれた。
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前日に全身麻酔で手術をしたとは思えない2匹の様子を見るにつけ、改めて猫の回復力の凄さを思い知った。


それでもランをよく観察すると、リリースした朝よりはしっかりした動きをしているが、まだ手術の影響が残っているように感じる。
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ただ下腹部を気にしている風はなく、手術痕は順調に治癒しているようだ。


アスカからは、手術の影響をほとんど感じない。やはり手術時間の短い去勢手術は、猫の体への負担も軽いようだ。
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同じ”オトコ”としては、去勢という言葉に抵抗を感じる。が、それによって望まれない子が生まれるのを防げる。そしてアスカ自身はほかのオス猫と無用な喧嘩をしなくなるし、徘徊して事故に遭う確率も低くなる。


猫缶を与えると、2匹はすぐに食べはじめた。
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アスカの健啖ぶりを見ていると、今朝の罪悪感が少し薄らいでくる。


自分のトレイを離れ、アスカがランのトレイにそっと近づいていく。
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そして躊躇わずに母の猫缶を食べはじめた。ランは頭を上げ、ついと横を見遣る。


アスカのトレイにはまだ猫缶が残っていた。
全部食べると母との間で猫缶のトレードが成立しないと、知恵を働かせているのかもしれない。

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だが、『隣の芝生は青く見える』というが、同じ猫缶なのにどうしてアスカは、毎回母の猫缶に手を出すのか?


いつもなら唯々と息子に譲るランだが、このときは簡単に引き下がらなかった。
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母子はお互いの頭をぶつけんばかりに競い合って、猫缶を食べる。


しかし‥‥、
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けっきょく最後に折れるのは親のほうだ。この辺りはニンゲンの親子関係と変わらない。


ランはほんの少し食べただけでトレイから離れた。
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まだ本来の食欲が戻っていないのか‥‥?


食欲もそうだが、やはりランの挙動は手術前より緩慢だ。
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おもむろに後ろを振り返るラン。


その視線の先にいたのは、脇目も振らず猫缶を貪る息子だった。
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去勢手術をすると太る傾向がある。アスカの今後がちょっと心配だ。


ランはそのまま植込みの奥へ行くと、地面に体を横たえた。
比較的順調な回復を見せているランだが、まだ体の状態は本調子ではないのだろう。

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避妊手術は“必要悪”かもしれない、と以前に述べた。ただ避妊手術をすれば望まれない出産を防げるし、大きな鳴き声を上げるなどの発情時の異常行動もなくなる。


そして、ラン自身もそれによりストレスがなくなり、結果長生きする。また、乳腺腫瘍や子宮・卵巣の病気からも開放されるのだ。
野良猫の場合、病気になっても病院へ連れて行けるかどうか分からない‥‥。

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そういうことを知ろうともせず、「可哀想だから」と猫の不妊手術に反対している皮相浅薄な偽善者など相手にしないことだ。


今回、私は野良猫の不妊手術を初めてやったが、野良猫を世話するボランティアの人たちにとってはごく日常的なこと。
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最近では野良猫の不妊手術に助成金を交付する自治体も増えてきたが、あくまでも費用の一部を“助成”するだけだし、予算も限られている。
だからほとんどのボランティアの人は自腹を切っているのが実情だ。



ランがいきなり防砂柵によじ登ってきた。
いくら切開部分が小さいとはいえ、激しい動きをされるとやはり心配になる。

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湘南の海を眺望するラン。彼女の胸に去来する想いは何なんだろう?


強制的に避妊手術を受けさせられたことを、ランはどう受け止めているのか。
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「おいおい、また無茶なことを」猫の運動能力の高さには一目置いているが‥‥。
「でも、開腹手術から1日しか経っていないんだぞ」



昨日今日の様子を見ていると、ランの私に対する態度に変化は認められない。ランが私の本意を感得したのだろうと、一方的に思い込んでいるのだが‥‥。
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たとえランに忌避されることになろうと、私は彼女に避妊手術を受けさせた。
このエリアには去勢していないオスが時折出没する。それにアスカとの近親交配の可能性もあったからだ。



避妊手術をした証の耳カット‥‥。
なぜ耳の先端を切るのか。それは、ひとえに重複手術を防止するためだ。

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耳カットの代わりにピアスや入れ墨する事例もある。だが、ピアスはいつか取れるし、入れ墨は毛色が濃いと見分けられない。今のところ耳カットがベストだろう


耳カットは、その猫を世話する人の存在を知らしめる役目もある。
つまり耳カットは愛されている証でもあるのだ。

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ところが、耳カットを残酷だと異を唱えるいう人たちもいると聞く。
念のために述べておくが、麻酔が効いている間にカットするので、猫は痛みを感じない。



それでもまだ、耳カットが残酷だというのなら、実現可能な代案を教えてほしい。
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「ラン、また明日の朝来るからな」
元気な姿を見せてくれたラン。それによって私の心がどれだけ癒されたか‥‥。



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実をいうと、ほかにも避妊手術を受けさせたい海岸猫がいる。


しかし、その海岸猫を病院へ連れて行くには大きな障碍が立ち塞がっていた。
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その問題を解決しない限り、捕獲の算段さえできない特殊な環境で暮らす海岸猫なのだ。


〈次回へつづく〉



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不妊手術 その参『退院』

2013年05月12日 22:00

シシマルの急逝により『不妊手術』シリーズが中断したままだが‥‥。
私は、このシリーズを何とかして続けたいと思っていた。

実は、複雑でデリケートな事情が絡み、さらに2年前の父の緊急入院とそれにつづく父の死、さらに母の罹病で公表の機会を逸しつづけていた懸案事項がある。

その2年越しの懸案を解決する契機を与えてくれたのが、ランとアスカ母子なのだ




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ランは観念したようで、時折小さな鳴き声を上げるだけでおとなしくしている。


その声を聞いたアスカはキャリーの下にやって来ると、悲壮感漂う鳴き声を上げはじめた。
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母に少しでも近づこうと、アスカは支柱に寄りかかり後ろ脚で立ち上がった。


そして、哀しげな声で母を呼びつづける。その鳴き声は哀れを誘った。
「幼いアスカを、たった一晩とはいえ独り防砂林に残すのは不安だし、やはり不憫だ」

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私はランだけを病院へ移送するのを諦め、アスカも捕獲し母子一緒に病院へ連れて行くことにした。


とはいえ、アスカを簡単に捕獲出来るとは思っていない。無理やり捕まえようとしても、幼いとはいえ鋭い歯と爪を持つアスカに抵抗されたらおしまいだ。
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その結果、先日のランのように防砂林へ逃げ込まれるのがオチだろう。


そうならないためには、アスカ自身が納得して私に身を預けてくれるしかない。
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そこで私は、母を捕獲した理由を、アスカに諄々と説いた。
だが、果たしてアスカが私の想いを理解してくれたのか、確信は持てなかった。



ひとつのキャリーバッグへ一緒に入れることも考えたが、せっかく捕獲したランを逃がすリスクは冒したくない。
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そこで常に携帯している洗濯ネットを使うことにした。
「アスカ、おとなしくこの中に入ってくれるかい。そうしたらお母さんと一緒にいられるよ」



私の真情が通じたのか、アスカは素直に洗濯ネットに入った。
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こうして、捕獲する気負いのなかったことが幸いして、ランとアスカ母子の捕獲に成功した。


途中自宅に寄ってアスカをキャリーバッグに移し替え、動物病院へ向かった。
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この病院は我が家の愛猫も世話になっているし、多くの海岸猫が不妊手術を受けている。治療費がほかの動物病院と比べて割安だからだ。


そのせいか受付開始直後だというのに、待合所を兼ねた廊下はペットと人で溢れていた。
しばし順番を待ち、
受付でランの避妊手術とアスカの去勢手術の申し込み手続きを済ます。
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母猫のランは耳カットを頼んだが、アスカは悩んだ末に、手術痕の確認が容易で、まだ里子に出せる可能性を残しているのでカットしないことにした。


やがてランとアスカは係の人の手により病院の奥へと運ばれていった。
「ラン、アスカ、頑張れよ‥‥」私は小さく呟いた。

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受付で確認したら、夕方には引き取りに来てほしいと言われた。


後で分かったことだが‥‥。
この病院で不妊手術を施された場合、飼い猫は同じ料金で一泊させてもらえるが、野良猫は術後もほかのペットと隔離され、その日のうちに退院させられる。
野良猫は猫エイズ、猫風邪、猫白血病などの感染症に罹っている可能性があるための対応だと思われる。



手術時間の短いアスカは麻酔から醒めるのも早いが、ランは醒めるのに時間がかかる。
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たとえ目を覚ましても、しばらくはまともに体を動かせないはずだ。そんな状態のランを海岸にリリースするわけにはいかない。


私は病院を出ると、ホームセンターへ向かった。ランとアスカを一泊させるためのケージを購入するために。
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ケージに求める条件は、母子が余裕を持って起居出来ること。そして嵩張らず簡単に折り畳めること‥‥。


それらの条件を満たしたのは折り畳み式のソフトケージだった。
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これなら使用しないときの収納にも困らない。


午後5時病院へ電話をしてランとアスカの状態を訊くと、母子とも麻酔から醒めているという。
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私は病院へ急行し、退院手続きを済ませ、キャリーバッグに収まったままのランとアスカを引きとった。


これがそのとき受けとった領収書だ。
ランの避妊手術料金が8,000円、アスカの去勢手術料金が5,000円、そして抗生剤の注射料金が2匹で2,600円。

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前述したように、この病院の不妊手術料金は、平均的な料金よりかなり安価である。


ケージを運び込んだ仕事部屋へ、ランとアスカを連れてきた。
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病院へ向かうときは、キャリーの中で2匹とも盛んに鳴いていたが、退院後は一言も発しない。


前もって浴室に組み立ててあったケージへランとアスカを移した。
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想像したとおり、母子とも目が覚めただけで、麻酔から完全に醒めていないのは一目瞭然だ。


ランは目も虚ろで、まともに立ち上がることも出来ない状態だ。ただランは朝食を摂っていないので嘔吐する様子はない。
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一方アスカは母より覚醒している。ただ、朝少し猫缶を食べたので、何度か嘔吐した。


有り合わせの箱で簡易トイレを用意したが、ランもアスカもまともに歩けないので、横たわったままオシッコを垂れながすに任せる。そのため定期的に床替えをしなければならない。
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どのみち夜はあまり眠れないので、床替えをしながら午前3時ころまで様子を見ていた。


私がいることで安心したのか、ランは穏やかな表情を見せはじめ、アスカは喉をゴロゴロと鳴らしながら寛ぎはじめた。
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「ラン、アスカ、おやすみ。誰も邪魔しないからゆっくり休むんだよ」


午前7時、ランとアスカは既に目覚めていた。
ランはケージから出ると、浴室内を物珍しそうに観察しはじめた。

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目付きもしっかりしている。どうやら麻酔の効き目はだいぶ薄れたようだ。
「ラン、大丈夫か。昨日は大変だったな‥‥」。



ランはまだ食欲がないが、育ち盛りのアスカはこういう場合も食欲旺盛だ。
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昨日1日、まともに食事をしていないのだから腹ペコだったのだろう。


午前8時、湘南海岸‥‥。
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二つのキャリーバッグを自転車で運ぶ難儀さは前日経験して懲りたので、少々窮屈だったろうが、ランとアスカを一つのキャリーで運んできた。
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潮の香りで自分たちの住処へ帰ると分かったから、海岸へ向かう途中、母子は一度も鳴き声を発しなかった。


キャリーバッグを開けたら、ランとアスカはすぐさま外に出てきた。
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アスカは元気よく防砂林の中へ駆けていった。その後をゆっくりとした足取りで歩いていくラン。


麻酔の影響がまだ残っているのだろう、ランの足運びは幾分心許ない。
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だが考えてみれば、開腹手術から丸一日経っていないのだから、猫の回復力に感嘆すべきだ。


退院後のランの様子を注視していたが、切開部分の痛みはないようだ。
手術箇所に少しでも違和感があれば、舐めるはずだが、ランはそんな素振りを一度も見せないからだ。

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ランの場合切開部分はごく小さく、縫合糸も自然に溶ける吸収糸なので抜糸の必要はない。抜糸のためにまた捕獲するなど非現実的。野良猫の手術に吸収糸の使用は必須だ。


ともあれ、食欲は未だないが、ランは今のところ順調に回復しているようだ。
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ただ、数日間は体調の変化を観察する必要がある。避妊手術をきっかけに死亡した例も報告されているからだ。


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今は食べるより身体を休めて体力を戻そうと考えているのか、ランは植込みの奥へ姿を消した。


ランを行方を目で追うアスカ。いつもと違う母の態度を不思議に思っているのかもしれない。
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若いアスカは、母と違い食べることで体力を回復することにしたようだ。


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ランのことが心配だったが、いつまでも海岸に居つづけるわけにもいかず、私は帰途についた。
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このときの私は、ランとアスカに出来るだけのことをした、という充足感があった。


ところが、国道を渡り、住宅街に入った頃だった‥‥。
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予想もしていなかった感情の波が、私を襲ってきたのは。


私の視界はいきなり涙で滲んだ。
怒涛のごとく襲ってきた感情の正体は、“自責の念”だった。

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苛酷な生活を送ることが分かっている海岸へ、ランとアスカを置き去りにした自分を激しく責めはじめた。


母子を一晩看護したことで情が移ったこともある。が、とにかくランとアスカを海岸から救い出せない己が無性に情けなかった。

私はさりげなく涙を拭うと、顔を伏せてペダルを漕ぐ脚に力を込めた。


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部屋に戻り空っぽのケージを見た瞬間、それまで我慢していた嗚咽が堰を切ったように漏れてきた‥‥。


〈次回へつづく〉



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『2年遅れの報告』

ランとアスカの保護に使用したキャリーバッグとケージの代金は、支出報告に記したように『ミケ募金』から支出した。

『ミケ募金』は主に海岸猫のエサ代に充てる予定だったのだが、幾人もの方からキャットフードをいただき、なかなか使う機会がなかった。そこで使途の範囲を拡大したのだ。

では、ランとアスカの不妊手術代も『ミケ募金』から支出したかといえば‥‥、NOだ。
実は私の手元には、もう一つプールしている募金がある。
それは『ミリオン募金』とでも呼ぶべきお金だ。今回、初めて『ミリオン募金』を使わせてもらった。


ミリオンは扁平上皮癌に体を侵され、手術の甲斐なく2011年1月16日に病院で他界した海岸猫だ。
ミリオン1007-01.jpg
ミリオンが手術出来たのは、知人T氏の尽力のお陰だが、それまでには紆余曲折の経緯があった。
その結果T氏からは、ミリオンの入院手術の件に自分が介在していることを伏せてほしいと依頼されるに至った。



またミリオンを執刀した◯◯医師からは、T氏の紹介だから手術、治療、入院にかかった費用は受け取れないと告げられた。
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頑なに固辞する医師に懇願し、何とか実費だけ受け取ってもらえることになった。その実費も外部委託した血液検査費用だから、医師の報酬はゼロである。


さらに、その実費も本人の強い要望で、T氏が支払った。そして当然ながら、このことも他言しないようT氏に請われ、私は了承した。
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だから当時のブログには、ミリオンの治療費ついて一切触れていない。


ところが、ブログを見てミリオンの治療費の足しにカンパしたいというメールを、複数の読者からいただいた。
実情を明かせない私は、「医師の好意で安くしてもらったので」と説明し、すべてのカンパを断った。

だが、二人だけ例外が存在する。


ミリオンが亡くなった直後に帰国していた『ベルリンおばばの独り言』の管理人太巻きおばばさんと、街中で遭遇したike君のお母さんだ。
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勿論、お二人にも同じ説明をしてカンパを辞退した。しかし、太巻きおばばさんとは電話で、ike君のお母さんとは直接会って「それでも」と言われたので断りきれなかった。
押しに弱い私の性格が露呈した結果である。



このことで『ミリオン募金』をブログで公表するのに、2つの障壁が私の前に立ち塞がった。
T氏からの他言無用の要請、そしてカンパを申し出てくれた人たちへの釈明‥‥。
さらに2年前から始まった湘南と故郷との二重生活も、機会を失わせる要因となった。



あれから2年余りが経ち、文言を選べばT氏へ迷惑がかかることもないのでは、という思いと、早く太巻きおばばさんとike君のお母さんの好意に応えたいという思いで、今回公表することにした。
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それにミリオンとは関係なく、直接手渡されたカンパが2件ある。
まず、ねこタカイさんからのカンパ。そして、今はブログを辞めてしまったが、当時のブロガー仲間のるいねこさんからのカンパ。



それらを、太巻きおばばさんとike君のお母さんのカンパに加え、さらにミリオンの治療費のお釣りを加算した『ミリオン募金』は、29,650円になる。
そして、今回のランとアスカの手術費を差し引くと、14,050円。

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今後は『ミケ募金』(残金25,499円)と『ミリオン募金』(残金14,050円)を合算して『ミケ・ミリオン募金』(39,549円)として支出報告をする。
これで、私も肩の荷を降ろせる‥‥。



『お詫びとお礼』

まず、さん、◯◯先生、その節はミリオンのためにご尽力いただきありがとうございました。
私としては、お二人の名前を伏せるのは本意ではないのですが、微妙な事情が介在しているので致し方ありません。

さて、太巻きおばばさん、ike君のお母さん、ねこタカイさん、るいねこさん、
その節はありがとうございました。
幾つかの事情が重なったとはいえ、ご報告が遅くなりましたことをお詫びいたします。

そして、ミリオンのためにカンパを申し出ていただいた皆様にお詫びいたします。
せっかくのご好意を無にしましたが、私にとって苦渋の選択だったことをご理解ください。

管理人:wabi




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シシマル哀惜 その弐

2013年05月02日 21:00

私の記憶によれば、シシマルは出現頻度が非常に高い海岸猫だった。エリアを訪ねると、大抵会うことが出来たものだ。
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それに、彼がエサ場から100メートル以上離れた場面を、ついぞ見たことがない。


果たして彼自身がその行動を、エリアのボスの務めと自覚していたのかどうか、私には分からないのだが。
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私の姿を認めると、ゆっくりと、しかししっかりとした足取りで近づいてくる。


大きくて骨太な体躯と外国種の血を受け継いだ長毛がシシマルの外見的特徴だ。
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尻尾を立てているからには、取りあえず私の訪問を歓迎してくれているようだ。


大型種の血が混じったシシマルは稀にみる巨漢猫だが、性格は至って穏やかだ。
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この柔和な面差しが、そのことを雄弁に語っている。
シシマルが理由もなしにほかの猫に対して威嚇行為や示威行為をしているのを、私は一度たりとも目撃したことがない。



シシマルはエリアの中心である、四ツ辻の真ん中に歩み出た。
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そして、自分が統べるエリアに変事が起こっていないか、視線を巡らせる。


変わりがないことを確認すると、シシマルは再びおもむろに歩を進めはじめた。
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その時、シシマルが前方を見て急に立ち止まった。


漁港へ出張っていたであろうコジローがエサ場に戻ってきたのだ。
コジローはシシマルに体をぶつけるようにして挨拶をする。シシマルはそんなコジローを優しく受けとめた。

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そしてお互い尻尾を垂直に立てて喜びを表す。


体を反転させたシシマルがコジローに顔を近づけた。何やらニンゲンには聞かせたくない情報を交換しているようだ。
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2匹の前に回りこんでみると、シシマルはコジローを労うようにグルーミングしていた。クールを標榜する“浜の伊達男”もシシマルには唯々として従う。


やがてシシマルとコジローは、思い思いの場所に体を横たえた。
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シシマルの威風堂々とした佇まいは、エリアのボスとしての度量を感じさせてくれる。
この海岸猫が健在な間はこのエリアは安泰だと、誰もが思っていたのだが‥‥。



爪研ぎも、シシマルの場合は豪快だ。
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ガリガリと音を立てて太い角材に爪痕をつけていく。


中型犬にも劣らないこの太い前脚でパンチを食らったら、大方の相手は戦意を喪失するだろう。
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が、私はそういう状況に居合わせたことがない。相手を威嚇するシシマルは見たことがあるが、実際に喧嘩をしている現場を見たことは唯の一度もない。


ライオンを彷彿とさせる風貌から“獅子丸”と名付けたのは私だが‥‥。
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実際のシシマルは、ライオンとは似て非なる温厚な性格の持ち主だ。


私はこの海岸猫の出自について、ほとんど知らない。
いつどこで生まれたのか‥‥、そしてなぜ、野良として海岸で暮らす羽目になったのか。

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知り合った当初は警戒心が強く、近づくことすら許してくれなかったので、恐らく生粋の野良だろうくらいに思っていた。


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ところが去年、シシマルの態度に変化が表れた。それも豹変といってもいいほどの変わり様だった。


この海岸猫の内側でいったい何が起きたのか‥‥、それまでのシシマルを知る者は、その変化を一様に驚きを持って受けとめた。
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この野良の性格からして日和っている訳でも、一時的な気まぐれでもなさそうだ。


ニンゲンに対して頑なほど不信感をあらわにしていたシシマルだったのだが。
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来訪者に自ら近づき、その巨体をすり寄せてくるようになったのだ。


シシマルの急変を目の当たりにしたとき、私は戸惑うと同時に一抹の不安を覚えた。
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人馴れして、無警戒にニンゲンに近づくことは、野良の場合、大きな危険をはらんでいるからだ。


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前回も紹介したが、シシマルとアイは本当に仲が良かった。
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顔見知りのニンゲンには愛想がいいアイだが、本来の性格は臆病である。


ところが、シシマルの側にいるときのアイは表情も和らぎ、安心しきっている。
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この2匹の間に割って入ることは誰にも出来ない。


血族でもないシシマルとアイがどうしてこんなにも親密なのか、相性が良いという説明だけでは不十分だ。
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私が見るところでは、多分にシシマルの包容力と寛容性に担う部分が大きい。
シシマルがもしニンゲンだったら、一角の人物になっていただろうに‥‥。



でも、この光景はもう二度と見ることが出来ない。
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独り残されたアイの喪失感と孤立感はいかばかりかと思うと、胸が押し潰される。




このとき、仲睦まじいシシマルとアイをユキムラが凝視していた。
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その険しい目付きは何を意味しているのだろう。羨望、嫉妬、それとも憎悪‥‥。


アイが独りで所在なげにしていると、シシマルが近づいてきた。
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そして、アイをガードするように、側にうずくまった。


シシマルが傍らにいる安心感からか、アイはおもむろに毛繕いを始めた。
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シシマルは、そんなアイをまるで保護者のように目を細めて見守っている。


ついと顔を上げたシシマルの表情がにわかに変わった。
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その視線の先にはユキムラがいた。さっきと同じように胡乱な目付きで2匹を見詰めている。


ユキムラの底意は分からないが、険しい形相に善意が含まれていないことだけは確かだ。
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アイがユキムラを苦手としていることをシシマルは知っている。だから、シシマルはユキムラがアイにちょっかいを出さないように、こうして陣取っているのだ。


エリアの平穏を維持するため、シシマルは相手によって態度を替える。
同じトラブルメーカーのシロベエとユキムラとでは、その対応が違っている。

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シロベエがおずおずとシシマルに近づいてきた。気配を察知し、おもむろに振り返るシシマル。


体を横たえシロベエは、明らかにシシマルに恭順の意思を示している。
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2年前に2週間行方知れずになっていた間に後ろ脚に障害を負ったシロベエは、性格がすっかり変わり、誰彼なく執拗に突っかかっていた。


以来、“トラブルメーカー”とも“空気の読めないヤツ”とも呼ばれ、エリアの仲間から厭われる存在になった。
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その当時、シシマルもシロベエに謂われのない敵意を向けられ困惑していた。
最近は大人しくなったシロベエだが、それでもコジローなどは未だに忌避している。



そのシロベエが、相手にしてほしいとシシマルへ懸命に訴えている。
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が、シシマルは歯牙にもかけない様子でシロベエをシカトした。しつこいシロベエへの対応は“取り合わない”がベストである。
やがてシロベエは、諦めてその場を離れていった。



ボスの宿命として、幾多の争いを経験したシシマル。その結果、程度の差こそあれ何度か体に傷を負った。
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この顔面の傷は、当時シロベエが負わせたと推察された。


穏やかな陽射しを浴びて、寛いでいるシシマル。
獅子丸哀悼-35
この心優しい海岸猫は、事故に遭わなければ今でもこういう日々を送っているはずだった。


過失とはいえ、シシマルの場合もニンゲンの行為が生んだ奇禍に違いはない。
獅子丸哀悼-36
「シシマル‥‥どうしてお前が、こんな目に遭わなければならないのか、私は理解出来ない」


ミイロだって、さんざ辛酸を嘗めさせられて、ようやく海岸での生活に慣れたのに、何故あんな酷い死に方をしなければならなかったのか‥‥。
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いったい彼らが何の罪を犯したというのか。社会の片隅で、ひっそりと健気に暮らしていただけなのに。
それも元はといえば、ニンゲンの身勝手のせいで野良猫という境遇に貶められたのだ。



断罪されるべきは我々ニンゲンのはず。
傲岸なニンゲンは勘違いをしているのではないだろうか。神のごとく、ほかの動物に対する生殺与奪の権利を持っているとでも‥‥。

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直接手を下してほかの生き物を殺し、あまつさえ環境を破壊して間接的にも彼らの命を奪っている。


もし再び天からのお告げで方舟を作っても、今度ばかりはニンゲンの乗船は許されないだろう。
獅子丸哀悼-37


「ところでシシマル、ミイロにはもう会えたかい‥‥」
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「この世では、特に親しい間柄ではなかったけれど、そっちの世界では同じエリアで暮らした誼みで仲良くするんだよ」


ミイロの事故死を未だに引きずっている私に、シシマルの悲報を受け容れる余地は残っていない。
ただ頭は『こういう苛酷な野良猫の実情をこそ、ブログで発信しつづけるべきだ』と主張している。
だけど、病を得た心がそれに応えてくれない。

頭と心のせめぎ合いに決着はついていない、まだ‥‥。




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