生命力

2013年07月10日 13:30

告知を含めて新たな記事に編集しました

私は今、郷里のネットカフェでこの記事を書いている。

ブログを更新した直後の先月23日の夜、実家の母の容態が急変し救急車で病院へ搬送された。
そのことを知らされた私は、翌24日重い体を引きずるようにして列車に乗り、7時間あまりを要して深夜近くに母の入院した病院へ辿りついた。

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母は一時、危篤状態に陥ったという。しかし私が病室へ着いたときは鼻から酸素吸入されていたが、症状は持ち直していた。

私は母の耳元で名を呼んだが、目を開けているものの、焦点はどこにも合っておらず、病室の虚空を凝視している状態で、私のことも認識しない。


翌日母の意識は混濁し、寝息を立てて眠っている状態で、いくら声をかけても何の反応も示さなくなった。

担当医に母の症状を訊くと、罹患した病名を次々に挙げていく。
「骨髄異形成症候群、腎不全,尿路感染症、敗血症、肺炎」去年発症した疾病もあるが、難病を含む病名の増加に、私は言葉を失った。


そして担当医は私の気持ちを慮ってか、婉曲に無感情な事務的口調で言った。
「お母様が回復する見込みはありません。正直いって余命がどれくらいか分かりませんが、週単位ではなく日単位で考えてください」


それから一週間あまりが過ぎたが、母は時折目を開けるものの、私の呼びかけには殆ど無反応だ。目が呼応していると感じることもあるが、言葉は一切発せず、体も首から下は指一本動かせない状態が続いている。

回復する見込みのない母に面会に行くのは辛く気が滅入るが、自分の体調が優れなかった日を除いて毎日面会に行っている。
医者の見立てが間違うときもあるし、奇跡が起こることもあると期待して‥‥。



母の入院している病院と実家の間に、今年の1月に足繁く通った『山門前エリア』がある。
が、母の重篤な病状を知り沈うつな状態に陥っていた私は、なかなか訪れる気にならなかった。



そんなある日、午前中に母に面会行った帰路、思い立って参道に自転車で乗り入れた。
この日は梅雨の晴れ間で、朝から気温が上昇し真夏日を記録していた。こんな日盛りの時刻に猫は姿を見せないだろうと思い、そのまま通り過ぎようとしたときだった。

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民家の軒先の日陰で涼をとっていた1匹の白猫の姿が目に入った。


よく見ると、それは5カ月前にはまだ仔猫の面影を残していた“オッドアイ”の白猫だった。
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体も大きくなり、凛々しいオス猫に成長していた。
「生きていたのか‥‥」それが、私の第一声だった。



あの時猫風邪に罹っていて、その後どうなったか気に掛かっていたので、元気な姿を見て沈んでいた気持ちが少し癒された。
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野良猫の寿命は、家猫に比べて著しく短い。
3~4歳とも4~6歳ともいわれているが、正確なことは分からない。その年齢もある程度成長した野良の話。野良の母猫から生まれた仔猫の場合生存率は低く、殆どが乳児期に死んでしまう。



そこで試されるのが“生命力”だ。運もあるが、生きようとする強い意志があるかないかで生き残れるかかどうかが決まる。
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ちなみに、イヌワシのヒナは自分が生き残るためにほかの兄弟を殺してしまう。そして親もそれを黙認して丈夫に育つ見込みのある一羽だけに餌を与えるのだ。


野生動物の場合、生まれた瞬間から生きるか死ぬかの淘汰が始まる。たとえその相手が同じ血を分けた兄弟であっても例外ではない。
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野良猫は飽くまでもニンゲンが作り出したもので、野生動物ではないが、生存競争は厳しいと想像できる。


このオッドアイの白猫もまだ1歳を迎えていない幼い猫だ。野良猫の平均寿命まで生きられるかどうか、それはひとえにこの子の生命力にかかっている。
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ただこのエリアの劣悪な環境では長生き出来る可能性は低いと思われる。だがそれも、この子の運命だ。


その運命から救い出せるのは、野良猫を生み出した我々ニンゲンしかいない。
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自分の存在理由も分からないこの子には何ら罪はない。
罪深いニンゲンはそ知らぬ顔で嘯く。「だからエサをやっているじゃないか」と。



私に言わせれば、そんなことは最低限のことだ。自己満足でエサを与えていないというなら、これ以上不幸な子が増えないよう不妊手術を受けさせるのが人としての道義だろう。
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そういえば、目ぢからの強い兄弟が見当たらないが‥‥。


視界の隅に動くものがあったので、視線を巡らせると、表通りに近い飲食店の店先に2匹の猫がいた。
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缶詰に顔を突っ込んでいる茶トラははじめて見る猫だ。


何処からか流れてきたのか、それとも食事時だけほかのエリアからやってくるのか‥‥。
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前足まで使って食べるのに専念している。私の接近にもまるで気づいていない。


黒猫はそんな茶トラをただ見つめているだけだ。
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黒猫の識別は難しい。前回2匹の黒猫を確認しているが、この黒猫がそのときの猫かどうか、私には見分けられない。


茶トラに視線を戻した私は愕然とした。
猫缶だと思っていたが、茶トラが貪っているのはニンゲン用のツナ缶だ。

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ニンゲン用のツナ缶には猫に必要なビタミンが添加されていないうえ、猫には害となる塩分や油分が多く含まれているので、与えるべきではない。


しかし、この子らにとって今日を生き抜くためには必要不可欠な食べ物なのだ。
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このツナ缶を与えた人は動物好きのはず。なのにどうして有害なモノが入っているニンゲン用なのだろう。


知識がないから、それとも知っているがニンゲン用の方が安価だから‥‥。
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「おい、長生きしたければそんなモノ食べるな」そう言ってみても、生きるだけで精一杯の野良は聞く耳を持ち合わせていない。


ここで私がツナ缶を取り上げても、殆ど意味はない。この街にとって異邦人と同じ立場の私には為す術がないのだ。
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昔ならいざ知らず、今では田舎のこの街のスーパーやコンビニにもキャットフードは置いてある。


なのにどうして猫専用のエサを与えないのかと問い質しても、「あげないよりはマシでしょ。それともあなたがエサ代を出してくれるの」と反論されれば私に返す言葉はない。
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そうこうしている間に、茶トラはニンゲン用のツナ缶を欠片も残さず食べ尽くしたようだ。


「なあクロちゃん、お前たちとニンゲンが本当の意味で共存出来る日はやってくるんだろうか?」
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だが黒猫は、きょとんとした顔で私を見上げただけで何も語ってくれない。


何も改善されていないこのエリアの状況に、私の胸は痛んだ。
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そして、それに対して何も出来ない自分に嫌気が差してきた。


15年前に唯一の兄弟である弟が不慮の死を遂げ、そして一昨年の暮れに父が病死して以来、母は実家で独りで暮らしていた。
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実際は認知症が重くなった父がグループホームに入所して以来だから6年間独居生活を送っていたことになる。


母が暮らしていたその実家で、私は今この雑種の老犬と留守居をしている。
10数年前に、遺棄されていた仔犬を母が拾ってきたのだ。

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この犬、捨て犬のときにトラウマでも刷り込まれたのか、極度なビビリである。
特に雷や打ち上げ花火などの大きな音や、草刈機などのモーター音を耳にすると大きな鳴き声を上げて、手がつけられなくなる。



それでも老いていく者同士、母とこの雌犬は互いを支えあって暮らしていた。
母はこの犬がいるから入院を頑なに拒んできた経緯がある。

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母が入院してから、心なしか以前より寂しげな表情を見せるようになった。


私はそんな老犬の体を撫でながら呟いた。「サクラ、ばあさんはもう帰ってこないんだよ」
と、そのとき思いがけず私の口から嗚咽がもれた。

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そして、病床の母にも病状を告げる医師にも見せなかった涙が後から後から溢れてきた‥‥。


7月7日、夕刻。
この日は、母が緊急入院してからちょうど2週間目にあたる。

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私は、担当医から母の余命を宣告されたときから、ある期日を勝手に想定していた。
それが7月7日だ。「2週間を過ぎれば、母の余命はもう日単位ではなく週単位になる。そして1ヵ月が過ぎれば今度は月単位に延びる」という理屈で。



実は昨年の夏、担当医から「お母様の余命は後数ヵ月でしょう。年を越すのは諦めてください」と宣告されていた。ところが、母はその見立てを覆し、小康状態のまま年を越したのだ。
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医者が悲観的な見立てをし、家族が楽観的な受け止め方をするのは世の常。
患者が自分の見立てより早く亡くなれば医者は責任を問われる。しかし、その逆なら遺族から感謝される。



さらにこの日、小さな奇跡が起こった。母が意識を取り戻したのだ。
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昨日まで、開けていても虚空を見詰めてばかりいた目は、しっかりと私の顔に焦点が合い、まったく揺るがない。


私は自分を指差し「誰だか分かる?」と訊いてみた。すると母は懸命に喋ろうとするが、赤ん坊の喃語のように言葉にならない。
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でも「う~、あ~」と発している母の口は、間違いなく私の名を発音する形になっていた。
そして私が病室を去るとき、必死の形相で右手を上げると弱々しく左右に振った。



二度までも医師の見立てを覆した母の生命力に私は感嘆した。
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母もまた、懸命に生きようとしているのだ。




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いつも応援ありがとうございます


母の入院で帰省しているため、コメント認証、コメント返しが遅れていますが、事情ご賢察のうえご容赦ください。

中に認証しないことにご立腹の人が1名いますが、今までブログで述べてきた私が抱えている事情も知らず、勝手な思い込みで人を非難するのは己の狷介さを露呈することと自覚すべきだろう。
また左カラムの最新コメント欄の『コメント返しは次の更新後に』という文言を見落としている迂闊さを自省することも忘れないように。
(もしそれらを知った上での確信犯なら話は違ってくるが‥‥)


今は記事を優先したいので、コメント返しは余裕が出来てからになります。

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