生きること・死ぬこと その伍

2013年12月28日 12:30

皆さんの中にも同じ経験をした方がいるのではないだろうか‥‥。思ったり言葉にしたことが現実になった、という経験が。
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ただし、海外の哲人が説く「思考は現実化する」といった成功哲学に基づく自己啓発の話などではない。
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あくまでも何気なくこうなったら良いなとか、軽い気持ちで思わず口にしたことが現実化するという次元の話である。


母の四十九日のときだったろうか、揃って猫好きの二人の叔母と二人の従弟と猫談義になった。
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そのとき私は、あまり人懐こいと情が移るから、そこそこの距離を保ってくれる猫が現れたらいいなぁ、と冗談で言ったのだ。


それから半月、私が望んだ通りの猫がこうして目の前に出現したことが、私にはとても偶然とは思えなかった。
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あの瞬間、私の知らないところで何かが密かに決定されたのだろうか‥‥?


「なあ、もしかして君は誰かの言いつけでここへやって来たんじゃないのか」
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しかしキジトラはここでも何も答えてはくれなかった。


やがて、腹を満たしたキジトラは庭をゆっくり横切ると、
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植込みが作る日陰へ潜りこみ、そこへ体を横たえた。


カリカリは綺麗に完食している。今朝は他でエサを貰っていないようだ。
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私は敵意がないことを全身で表しながらキジトラに近づいていった。
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まったく無警戒で眠っているキジトラ。私との距離は2メートルあまりだ。


(おっ、気がついた)
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最初に会ったときより私への警戒をいくらか緩めたようだ。私が無害なニンゲンだと分かったのだろう。


ところが、それをいいことに至近距離で撮影をしていると、いかにも迷惑そうな顔でキジトラは体を起こした。
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そこで私は、自分が彼に対して害意も悪意も無いことを目顔で語りかけた。


私の本意が通じたのか、キジトラは再びその場に寝ころがった。
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だがキジトラの表情には、これ以上の接近を許さない断固たる意志が仄見える。
「エサくれたくらいでボクと仲良く出来るとおもわんといて」と警告を発しているのだ。



それでいい。簡単にニンゲンを信用しないほうが賢明だ。
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我々ニンゲンはこれまで君たち猫をさんざ酷い目に遭わせてきた。意味なく虐待し、邪魔になればゴミのように遺棄し、ためらいなく命までも奪う酷薄で身勝手な生き物、それがニンゲンだ。


ニンゲンは自らの行為のせいで早晩滅びるだろうが、その際に罪のない他の生き物が側杖を食わないことを祈るばかりだ。
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私はキジトラの眠りを妨げないよう、その場からそっと離れた。


午後になると、キジトラの姿は庭から消えていた。
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昼間だけこの家で過ごす‥‥。これも誰かの示唆があってのことだろうか?


翌朝もキジトラはほぼ同じ時刻に姿を現した。
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しかし、相変わらず警戒モードは解いていない。


前日と同様、周囲に外敵がいないか、鋭い眼で睥睨する。
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しばらくすると、慎重な足取りで食器に近づいていった。


が、よほど用心深い性格のようで、食べ物を目の前にしても気を緩めようとしない。
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いったい何に対してこれほど警戒しているのだろう?


このキジトラが警戒していた理由を、私は後日知ることになる。
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はじめに感じたようにキジトラには空腹を訴えている風がまるでない。


エサがあるなら食べてもいいよ、といった風情だ。
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ならば何故、数ある住居の中からこの家を選んだのだろう?


誰かの指示だろうが自主的だろうが、それには明確な何らかの理由があるはず。
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キジトラは朝食を食べると、前日とほぼ同じルートをたどって植込みのしたへ潜り込んだ。(まるで同じビデオを再生するように)


もしかしたらキジトラの訪問の目的は、食事より昼寝する場所を求めてのことかもしれない。
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適当な日陰があり適度に風が通るこの庭が気に入ったのか?


試しに簡単な寝床をつくり犬走りに置いてみた。
快適な寝心地は望めないが、土の上よりはマシな、そんな感じの寝床だ。

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本来のねぐらより具合がいいと、キジトラを惑わすことになる。
別宅が本宅より居心地がいいと、のちのち不都合が生じるのは猫とて同じだろう、と慮ってのことだ。



翌朝‥‥。
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果たして、キジトラは急ごしらえの寝床でくつろいでいた。
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好奇心が強く、狭いところを好む習性を持つ猫なら取りあえず寝心地を験すると思っていたから、予想どおりの結果だ。


しかし、私が近づくと険しい表情でシャアシャアと威嚇の声を発する。
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まあいい、昼間のひとときをこの庭で過ごしてくれるだけで、私は満足だ。
同じ命を持つ者が近くにいるだけで、私の傷心はずいぶんと癒やされるのだから。



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こうして実家に日参してくるようになったキジトラだが、エサの食べ方は日によってまちまちだった。


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私が与えたカリカリを完食する日があると思えば、形だけ口を付けるだけでほとんど残す日もある。
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そして遅くとも夕暮れには何処へともなく姿を消し、夜に姿を見せたことは一度もない。
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やはり食事を貰えてねぐらが用意された、しかるべき家があるのだろう。


ある日のことだった。
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この日は一度も姿を見せず、玄関先に置いたエサはついに食べられることなく夜を迎えた。


体が濡れるのを厭う猫だからか、雨の降る日に姿を見せることはない。
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ちなみに、私が東京にいたとき飼っていた元野良のオスの茶トラは、私が知るだけでも3軒の別宅を持っていた。


おそらく他にも別宅があり昼間はそれらの家を巡回していたと思われる。日が暮れると帰宅し、夜は家人の布団の上で眠っていたものだ。
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これこのようにキジトラの行動は、猫の習性そのままに自由気ままでまるで定まっていない。
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寄る辺ない身の上の野良なら、私もそれなりの心構えを持って遇するつもりでいたが、
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ねぐらを持ち食事を与えてもらえる境遇にいることがはっきりするにつけ、肩の力が抜けるのを自覚した。


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数ある別宅のひとつとしてこの家を訪れるのなら、気兼ねなく接すればいい。


それでもなお、どうしてこの時期にこの家を訪れたのか、その疑問は私のなかで小さくなるどころかますます大きく膨らんでいった。

やはり、私の与り知らないところで何かしらの密約が交わされたのだろうか‥‥。





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再録
『血まみれの毛皮』


日本では今、ファー(毛皮)が流行している、という。

ファーは上着のフードや襟や袖口、そして手袋、帽子、ブーツ、バッグ、アクセサリー、ケータイストラップと、実に様々なものに使われる。
そして、デパート、スーパー、専門店はもちろんのこと、今や100円ショップでも売られている。

ところで、これらの製品を作るために、多くの動物が生きたまま皮を剥がされている事実を、あなたは知っていますか?


「ここに、その事実を伝える映像がある」
ただし、かなりショッキングな映像なので、相応の覚悟をして観るように。
ちなみに私は、この映像を観たとき、あまりの衝撃に嗚咽と吐き気がしばらくとまらなかった。
そして‥‥、自分がニンゲンであることを心底嫌悪した。



最近では、フェイクファー(人工毛皮)より安価というだけでリアルファーが作られるそうだ。
それがため、アジアでは犬猫だけでも毎年200万匹が殺されている。

しかも、その毛皮のほとんどが日本へ輸出されるという。

あなたはこの事実を知っても、まだファー(毛皮)を身に付けますか?


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『血まみれの毛皮Part2』


今や死語となった感は否めないが、『鬼畜』という言葉がある。
仏教用語の『餓鬼・畜生』の略語だ。

『餓鬼』とは餓鬼道に墜ちた強欲な死者のことである。
『畜生』とは本能のままに生きていて仏の教えを得ることが出来ないニンゲン以外の生き物のこと。


ともあれ、鬼畜とは欲深く酷薄な生き物を指す、最大級の蔑称である。
(太平洋戦争中は敵国であるアメリカ、イギリスを『鬼畜米英』と呼んで蔑んでいた)

アジアでは犬猫も例外ではなく捕獲、飼育し、生きたまま皮を剥がしている。
そうやって作られた毛皮はほかの動物の名前に変えられ、その多くが日本に輸出されている。


以下の映像に写っているのはニンゲンと犬と猫だが、果たして鬼畜と呼ぶに相応しいのはどの生き物だろう?



誰が観ても、答は明らかだ。

防寒に毛皮が不可欠だった時代ならいざ知らず、金儲けのためにほかの動物を虐殺してその毛皮を剥いでいるニンゲン、そして虚栄心を満足させるために動物の死骸である毛皮を身に付けているニンゲンって‥‥、もはや鬼畜以下ではないのか

毛皮製品を買う行為は間接的にせよ、動物を殺すことに加担している。
いつまでも知らないでは済まされないだろう。


詳しい実情を知りたい方は下記のサイトへ。
あなたに出来ることもきっとあるはず。

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生きること・死ぬこと その四

2013年12月05日 18:00

母が闘病の末に他界し、さらにそれを追うようにサクラが逝ったことで、私にとって“死”はひどく身近なものとなった。
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生きることと死ぬことの境界線は曖昧模糊となり、どちらを選んでも大差ないのでは、とまで思うようになっていた。


ところが一方で、命あるものをいっそう愛しく思うようにもなっていた。
この世にかけがえのない唯一無二の命に畏敬すら感じ始めていたのだ。

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だから玄関の軒先に棲みついたヤモリの親子にも、ある種の感慨を受けていた。


同じ屋根の下に命を持つ者が暮らしていることで、凝り固まった心がほぐされていく感覚を覚えるのだ。
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しかし残念なことに、私の抱えている喪失感はヤモリ親子の存在で補填されるほどには小さくなかった。


そんな時だった‥‥。


1匹のキジトラが実家の庭に突如現れたのは。
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「それにしても‥‥」と私は独りごちた。


母が独居生活を始めて以来、私は実家に長期にわたって滞在しているが、これまでこの敷地内において猫の姿など、ただの一度も見たことがなかった。なのに何故、いまこのタイミングで私の前に出現したのか。
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「なあ君は家があるのか、それとも寄る辺ない身の上なのか?」


私がいくら問いかけても頑なに黙しているので、試しに少量のエサを与えてみた。
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その食べ方は悠揚迫らぬといった風で、飢えてる様子は感じられない。


栄養状態も良さそうな、健康体のオス猫である。
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だからといって、このキジトラを飼い猫だと決めつけつのはやはりまだ早く、もうしばらく様子を見る必要がある。


それにつけてもやはり気になるのは、どうしてこのタイミングで現れたか、ということである。
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玄関内につながれ散歩以外めったに外へ出ることはなかったとはいえ、猫が敵視する犬のサクラがいなくなったからか、と思った。が、それだとサクラがいなくなって1ヵ月以上も経って現れた説明がつかない。


私はふと思った。
このキジトラ、飼い主とともに最近引っ越してきたのかもしれない、と。



実家のある地区はいわゆる新興住宅地で、今も水田を宅地に替え、戸建てや集合住宅が増えつづけている。
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28年前に道路延伸の煽りを食い、立ち退きを余儀なくされた実家がこの地に移ってきたさいは田圃の中にただ一軒建っているだけだった。それが今や、少しの空き地を残して住居が建ち並んでいる。


そしてここ数年は土地活用を謳う建設会社が建てる賃貸住宅が雨後の筍のように増えた。
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その結果、かつてはこのあたりの風景の主役だった田圃は激減し、


今では住宅に四囲された脇役へと転落してしまった。
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これにより住民の流動化も一気に進んだと思われる。


この賃貸住宅、道なりに行くと150メートル程の距離にあるが、直線距離だと2、30メートル程で、実家の庭から建物が見通せる。
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これなら、よその庭も自由に行き来できる猫にとって、隣と言っても過言ではない。


さらに、実家から離れること約300メートル、やはり水田を潰して、今夏に分譲が終了したばかりの建売住宅の一画がある。
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壮健なオス猫にとって300メートルの距離もまた、テリトリーの領域だろう。


果たしてこのキジトラ、私が推察したように最近この地区に移ってきた新参者なのだろうか。
そこで再び訊いてみた。「どうなの実際のところ、君は最近引っ越してきたの?」

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しかしそんな私の問いかけに、この地方の方言で「カリカリをご馳走になったくらいで心を許すとでも思とんのか、このおっさんは」と言ってる風情でキジトラはそっぽを向いた。


食器の中を確かめると、カリカリを残してあった。やはり腹はそれほど空いていなかったようだ。
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植込みが邪魔して私は容易に近づけないと分かっているのだろう、キジトラは私から2メートル足らずの距離で目を閉じた。


この子もまた、私の悲嘆を癒やしにやって来たのだろうか?
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今回母の死を境に私の目の前に次つぎと現れた猫たちと同じように、ある種の使命を帯びて‥‥。


しかしそれにしてはこのキジトラ、これまでの猫と違って冷淡な態度である。
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もしかすると、私が想像もできない別の使命を帯びて、私の許へやって来たのかもしれない。


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しばらくして植込みを覗いてみたら、キジトラの姿はすでに無かった。
「家へ帰ったのだろうか?」



翌朝‥‥。
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玄関先に食事の用意をしてキジトラの来訪を待った。
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飼い猫にしろ野良猫にしろ、エサは貰っているだろうから、私のもてなしに応じるかどうか分からなかったが。


しばらく待っていたら、私の視界を何かが音も立てずに横ぎった。
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慌てて構えたカメラのモニターに見覚えのある模様が映しだされた。
「キジトラだ、またやって来たんだ」



キジトラは玄関前に佇み、カメラを構える私の挙動を険しい眼で窺っている。
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ややあって、私に敵意がないことが分かったらしく、キジトラはゆっくりと食器に近づいていった。


それでもすぐには口を付けず、周囲の様子を注意深く見回している。
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そして私との距離を再確認するためか、見開いた眼でふり返った。


やがて、警戒を緩めたらしく、キジトラはゆっくりと食事を始めた。
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このキジトラの登場は、私が近い将来下さなければならない、ある決断に少なからず影響を与えるかもしれない‥‥。私はこれといった根拠もないまま、何となくそう思った。



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再録
『血まみれの毛皮』


日本では今、ファー(毛皮)が流行している、という。

ファーは上着のフードや襟や袖口、そして手袋、帽子、ブーツ、バッグ、アクセサリー、ケータイストラップと、実に様々なものに使われる。
そして、デパート、スーパー、専門店はもちろんのこと、今や100円ショップでも売られている。

ところで、これらの製品を作るために、多くの動物が生きたまま皮を剥がされている事実を、あなたは知っていますか?


「ここに、その事実を伝える映像がある」
ただし、かなりショッキングな映像なので、相応の覚悟をして観るように。
ちなみに私は、この映像を観たとき、あまりの衝撃に嗚咽と吐き気がしばらくとまらなかった。
そして‥‥、自分がニンゲンであることを心底嫌悪した。



最近では、フェイクファー(人工毛皮)より安価というだけでリアルファーが作られるそうだ。
それがため、アジアでは犬猫だけでも毎年200万匹が殺されている。

しかも、その毛皮のほとんどが日本へ輸出されるという。

あなたはこの事実を知っても、まだファー(毛皮)を身に付けますか?


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『血まみれの毛皮Part2』


今や死語となった感は否めないが、『鬼畜』という言葉がある。
仏教用語の『餓鬼・畜生』の略語だ。

『餓鬼』とは餓鬼道に墜ちた強欲な死者のことである。
『畜生』とは本能のままに生きていて仏の教えを得ることが出来ないニンゲン以外の生き物のこと。


ともあれ、鬼畜とは欲深く酷薄な生き物を指す、最大級の蔑称である。
(太平洋戦争中は敵国であるアメリカ、イギリスを『鬼畜米英』と呼んで蔑んでいた)

アジアでは犬猫も例外ではなく捕獲、飼育し、生きたまま皮を剥がしている。
そうやって作られた毛皮はほかの動物の名前に変えられ、その多くが日本に輸出されている。


以下の映像に写っているのはニンゲンと犬と猫だが、果たして鬼畜と呼ぶに相応しいのはどの生き物だろう?



誰が観ても、答は明らかだ。

防寒に毛皮が不可欠だった時代ならいざ知らず、金儲けのためにほかの動物を虐殺してその毛皮を剥いでいるニンゲン、そして虚栄心を満足させるために動物の死骸である毛皮を身に付けているニンゲンって‥‥、もはや鬼畜以下ではないのか

毛皮製品を買う行為は間接的にせよ、動物を殺すことに加担している。
いつまでも知らないでは済まされないだろう。


詳しい実情を知りたい方は下記のサイトへ。
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