生きること・死ぬこと その七

2014年02月09日 10:00

前回のブログで述べたように、母の死去にともなう諸々の手続きはほぼ終わった。
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しかし、母の生活の跡が未だ色濃く残る実家を去りがたく、自らに敢えて課するように、家中や外の物置を片付けたり不用品を処分しながら、帰宅を遅らせていた。


それと‥‥。
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やはりこの子が気掛かりで、なかなか実家を去る決心がつかないのだ。


朝、窓から外を見ていたらキジトラが庭を横切り玄関に向かってきたので、扉を開けて待っていると、キジトラは神妙な面持ちで入ってきた。
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うずくまりしばらく逡巡していたキジトラだが、やがて慎重な足取りで食器に近づいてきた


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あまり腹は減っていないようで、カリカリを半分ほど残した。


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そして入ってきたときと同じように、ゆっくりと外へ出ていった。


キジトラを見送るとき、私は決まって同じ台詞で問いかけずにはいられない。
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「お前はどこからどういう理由でここへ来ることになったんだ?」
が、相変わらずキジトラは何も語ってはくれない。



ちなみに、屋内にエサを置くようにしたのは、蟻などの虫がすぐにたかるし、時折カラスもやって来るようになったからだ。
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それに、考え過ぎかもしれないが、もしこのキジトラの世話をしている人が玄関先でエサを食べているところを目撃し、「ああ、この家で飼われたんだ」と思われたら、私が去ったあとこの子が困るのでは、と慮ってのことだ。



早期覚醒型の睡眠障害をもつ私の夜の眠りは短く、平均すると3時間ほどだ。
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それがため入眠時間によってずれはあるが、午前3時4時には目覚める。


まだ夜も明けきらぬ時刻、言うところの未明のことだった‥‥、廊下を横切るとき何気に見たら玄関扉のガラスに小さな影が映っていた。
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もしやと思い扉を開けると、果たしてキジトラがいた。


こんな時刻にやって来るからにはさぞや腹が減っているのかと思いきや、非常識な時刻の訪問に気がとがめるのか、なかなか入ってこようとしない。
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そこで私はことさら優しい声で話しかけた。「遠慮しないでいいから入っておいで、お腹減ってるんじゃないのか」


だが、やはりまだ屋内に足を踏み入れることへの抵抗があるのか、それとも彼なりに分をわきまえているのか、やがてうずくまり動かなくなった。
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私は後ずさると廊下に座り、黙って様子を見ることにした。
猫とつき合おうと思ったら忍耐が必要で、彼らの気持ちを尊重し、決してこちらからパーソナルスペースへ踏み込んではいけない。



扉を開けてから20分近くが経とうとしていたときだった。
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キジトラはおもむろに上体を起こすと‥‥、


するりと玄関へ入ってきて、用意してあったカリカリを食べはじめた。
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食事を終えたキジトラはすぐに踵を返して、そそくさと外へ出ていった。


そしていつもの庭の隅にうずくまった。
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何故、こんな時刻に訪ねてきたのだろう。たまさかこの日だけならいいのだが‥‥。


この子の境遇に思いを巡らせると、我知らず心が揺れる。
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なんとなれば、母と飼犬のサクラが相次いで他界した直後に現れたこのキジトラには、因縁めいた巡り合わせを感じているからだ。


人と人との繋がりは多生の縁というが、人と動物の繋がりもまた、多生の縁だと私は信じて疑わない。
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もしかしたらこの猫は、運命が私に送ってくれたかもしれないのだ。
シベリアの『死の家』へ幽閉された徒刑囚に、シャーリックという名の一頭の犬を遣わしたように。



この子が遺棄されたばかりの寄る辺ない野良だったら、保護して神奈川に連れて帰ろうとまで私は考えていた。
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私の心はだから、常に揺れ動いている。あたかも振り子のごとく右に左に‥‥。



この日、雨が降っていないにもかかわらず、昼になってもキジトラは姿を見せなかった。
私は、よその家でたらふくエサを貰ったのだろうか、などと思っていた。ところが‥‥。

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正午過ぎにキジトラはいきなり姿を現した。
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玄関の扉を開けると、キジトラは素早く私の脇をすり抜け食器に顔を突っこみ、カリカリを勢いよく食べはじめた。


融通無碍というか、気まぐれというか、猫の行動は予測がつかず、大抵の場合ニンゲンは彼らに振りまわされる。
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ただし間違っても、彼らを自分に従わせようとは考えないことだ。自立心が強い猫はニンゲンに恭順の意を示さないし、媚びへつらうこともない。


そして、犬のように“お座り”や“お手”はしないし、投げたボールを咥えて持ってくることもない。
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猫とはそういう気質を持った生き物だし、猫好きはそのキャラクターに心惹かれるのだ。


ところで、犬が従順だとしても、ニンゲンが隷属的に扱っていいわけではない。
そもそもペットを飼うという意味を誤認識しているニンゲンが多すぎる、と私は思っている。

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ペットはニンゲンの奴隷でも下僕でもなく、ましてやニンゲンの所有物などではない。


ニンゲンとペットは家族であり、同じ生命を持つ同胞(はらから)なのだ。
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換言すれば、『ニンゲンの命と他の動物の命は基本的に等価』、ということ。
今回、母とサクラをほぼ同時に喪って、私はそのことがよく分かった。



だからその掛け替えのない家族を平然と遺棄したり、殺処分されるのを承知で保健所に持ちこむ行為が私には信じられないし、許せない。
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ペットを飼うとは、取りも直さずその命を預かり護るということであり、かかる責任は重く、彼らの最期を看取る自信と覚悟がないなら、ペットなど飼うべきでない。


かく言う私にしても、その自信と覚悟がしっかり持てないでいる‥‥まだ。
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だから、このキジトラは今までここで生きてきたし、これからもここで生きていけるだろう、と自分に言い聞かせながらもなお、私の心は揺れつづけているのだ。



これまで頑なに警戒心を解かなかったキジトラだったが‥‥。
その姿勢に変化が表れはじめた。





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