生きること・死ぬこと その九

2014年04月08日 10:00

私との接触を頑強に拒んでいたキジトラは、にわかに心を開いてくれた。

しかし私は、実家を去る時期について早急な決断を迫られていた。



ところで、その後のキジトラは、というと‥‥。
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以前と同じように、日が暮れる前にはいずこかへ去っていくが、雨天の日を除いて、日に一度は必ず訪ねてくる。
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ところがキジトラは、それまでと違う行動をとるようになった。


玄関の扉が閉まっていると、遠慮がちな小さい鳴き声をあげて来訪を知らせるのだ。
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「なあ、おっさん、遊びに来てやったから開けてんか。ボクの口にはイマイチ合わんけど、小腹が空いとるからカリカリ食べさせてや」といった風に、ミャア、ミャアと鳴いて訴える。


これまでは、私が様子を見に玄関の扉を開けるまで、キジトラは静かに庭で待っていた。
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それが私への警戒心を解いたのをきっかけにして、欲求を直截的に訴えるようになった、ということは、つまり今までは空腹であっても我慢していた訳である。


思い返せば‥‥。
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初めて会ってこのかた、この子が発したのは「シャアアァァッ」という怒気のこもった声だけだった。
猫は心を許したニンゲンに対してしか柔和を鳴き声をあげない。とりわけ野良猫は。



キジトラは、私が側にいるにもかかわらず無防備なかっこうで毛繕いをしている。この間までは考えられなかった光景である。
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私が害意を持っていないニンゲンと認識して、やっと穏やかな心持でくつろいでいるようだ。


初めて会ったとき、キジトラは私のことを胡乱なヤツと警戒心を露わにした。
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「このニンゲンはボクのことをどないするつもりや」


「こんなチープなネグラをこれ見よがしに置いたんは、ボクを罠にハメるためちゃうか?」
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「それにこのおっさん、やったら親しげに話しかけてくるけど、ダマされへんど」


「せやけど、ボクが歯剥いてどやしつけても、猫パンチでシバいても、何で怒って追っ払わんのや」
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「‥‥よう見たら、おっさん寂しそうな目してるなぁ」


「このおっさんはいつも独りぼっちやから、ボクと仲良うなりたいんやろか‥‥」
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「う~ん、どないしょ‥‥」


「‥‥‥‥」
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アカンアカン、ニンゲンはいきなり態度を変えて簡単にボクらを裏切るから、やっぱり信用でけへんわ」

と、まあこれは私の勝手な想像というか妄想だが、こうやって以前の写真を遡ってみるとキジトラの表情が徐々に和らいでいるように感じるのは私だけだろうか。


私はこの子の行動を観察し、出自や置かれた境遇をあれこれ推察していたが、
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ニンゲンより本能が優れたキジトラは、もっと本質的で深層的な次元で私の真情を見極めようと葛藤していたのかもしれない。


ところで、猫、わけても外猫は、なぜ総じて用心深く、そしてニンゲンを忌避するのか?
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『 猫は生まれつきそういう性格の動物だからだ 』
違う、その答は断じて間違っている。



断言してもいい。生まれつきニンゲンを恐れ嫌う猫などいない、と。
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彼らがニンゲンを恐れ避けるのは、ただただ死にたくないからに他ならない。


なんとなれば、故意過失にかかわらず、多くの猫がニンゲンに傷つけられたり殺されてきた事実が厳然としてあるからだ。
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つまり猫の疑い深く怯懦な性格を形成させたのは、我々ニンゲンの無情で酷薄な行いのせいなのだ。


だから皆さんも、街中で憎悪のこもった眼で睨みつけて威嚇してくる猫に会ったら、「ああ、これまで辛い目に遭ってニンゲン不信になった子なんだ」と思ってあげてほしい。
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これは飽くまでも私の持論だが‥‥。
『他の生き物の命を粗末に扱う者は、とどのつまりは自分の命も粗末に扱うハメに陥る』




このキジトラにしても私の本心を知るために、数週間もの時間をかけて私の一挙手一投足を観察するという周到さをみせた。
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そうして、ようやくこのニンゲンはボクを傷つけるつもりはない、と判断を下したのだ。


おそらくこの子も生まれてこのかた、謂われ無い迫害や虐待を受けてきたのだろう。
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それも、ただ猫に生まれてきたという理由だけで、だ。まったく理不尽この上ない。


以前にも述べたが、生き物の命に軽重の差はなく、原則として “等価” である。
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諸説あるが、一般的に家猫の平均寿命は10~14歳、野良猫は4~6歳といわれている。


ニンゲンと比して格段に儚く短い命、だからなおさら尊び庇護しなければならない、と私は考えている。
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長らくマットでくつろいでいたキジトラだったが、何の前触れもなくいきなり起き上がると足早に外へ出ていった。
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気まぐれな行動が持ち前の猫のこと、驚くにはあたらない。
それでも何となく気になったので、私もキジトラの後を追って外へ出ていった。



するとキジトラは、さっき食べたカリカリを勢いよく吐き出していた。
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「なんて行儀のいい猫なんだ」私は心底驚き、また大いに感心した。


実際猫はよく嘔吐するが、大抵の場合、時と場所など選ばないものだ。
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今回は三和土を吐瀉物で汚しても褒められるべきなのに、外のそれも後始末のし易い庭の隅まで我慢するなんて、私は信じ難い光景を眼にし、ますますこの猫が好きになった。

がしかし‥‥、私とキジトラとの別れは間近に迫っていた。


私が早急に故郷を去らなければならない理由、それは “薬” である。

帰省して以来、私に代わって家人が病院へ行き処方箋を貰っていたのだが、「これ以上本人を診察しないで処方箋は出せません」と医師から告げられたのだ。
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そりゃそうだろうな、と私は思った。
医師法には『 医師は診察しないで処方箋を交付してはならない 』と記されている。
言うところの  “無診察処方” を禁止しているのだ。



ただ近年診療報酬が改定され、本人が来院できないときは家族が患者の容体を医師に伝えれば保険診療と認められ違法にはならないが、これは飽くまでもやむを得ない場合であって、その状況が長期に亘れば医師の容認限度を超えるのも当然だ。
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この町にも心療内科はあるにはある。しかし、初診におけるアンケート記入・問診・検査などを再度行なうと考えただけで気が重くなる。

だから、薬が切れて離脱症状が表れる前に主治医の診察を受けたいのだ。



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この子のお陰で多少和らいだが、実家で独り暮らすことで孤独感が日毎に増し、私は精神的な苦痛に苛まれていた。


此処が終の棲家になるかもしれないと述べたが、でもそれは “今” ではない。
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たとえ脆弱であっても、現在の私の生活基盤は神奈川にあるし、家族だっている。


それに母とサクラを相次ぎ喪ったことで受けた私の心の欠落感は、実家に留まっていても埋められないことが分かってきた。
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だがやはり、このキジトラのことが気掛かりで、私の心の振り子は常に揺れている。


この子には世話をする親がいて、私がいなくなっても飢えに苦しんだり寒さに凍えたりしないことは承知している。
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にもかかわらず、私の心の葛藤は治まらない‥‥。


キジトラの登場もあり予想以上に長くなった私の実家滞在だが、ついにそれを切り上げるときがやってきた。

ところが、このストーリーには意外な展開が待っていた。



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