共生と共存 (前編)

2015年03月29日 18:00

私には以前から気になっている言葉がある。それは『 共生 』と『 共存 』だ。

辞書で調べなくても、意味は字面を見ただけで見当がつく。
『 共生 』は共に生きること、そして『 共存 』は共に存在することだと。

私自身が日頃使わないせいもあって、数年前までこの二つの字義に差異は殆んどなく、漠然と類義語くらいに思っていた。

が、それは私の知識不足であり、共生と共存は類義語どころか、狭義においては対義語にもなり得ることを知った。


湘南海岸。私は久し振りに早朝の海岸に赴いた。
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防砂林を覗くと、既にリンとタクローが姿を見せていた。
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タクローは私の姿を見ても、以前のように慌てて物陰へ隠れる真似はしなくなったが、それ以上警戒を緩めることもない。


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母親のリンは最初に私を一瞥しただけで、あとは瞑目してまるで気に留めていないようだ。


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この若い海岸猫はニンゲンがもっとも危険で残酷な生き物であることを、経験則として心にしっかり刻んでいるのだろう。


私はリンとタクローを横目にしてそのまま防砂林の奥へ入っていった。


このエリアで独りテント住まいをしているエカシさんに会うためだ。
エカシさんはリン一家の食事の世話をしている。

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人には話せない事情を抱えていると思われるエカシさん、今は防砂林に暮らしているが、ホームレスには珍しく “ まっとうな ” 仕事を持っている。だからリンたちへ毎日食事を与えられるのだ。


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私が仔猫たちの姿は見ていないと答えたら、エカシさんは「待っていろ、エサを用意すればじきにやって来るから」と言い、テントから10メートルほど離れたところに食器を置いた。


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ところが15分経っても、仔猫どころかリンもタクローも寄ってこない。


すると見兼ねたエカシさんは食器の数を増やし、置き場所もずっとテント寄りにした。


食器をテントに近づけたのは、私が撮影し易いようにとのエカシさんなりの配慮である。
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まず最初にやって来たのはやはり人馴れしたリンだった。


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食事を中断したリンはおもむろに背後を振り返った。どうやら誰かが近づいてきたようだ。


リンに促されるように植込みの中から出てきたのは、仔猫の中で一番好奇心の強いサバ白だ。
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この子は何事に対しても積極的で行動もきわめて活発だ。ちなみに性別は “ 男子 ” であることが判明した。


猫の先天的な気質は父猫の性格から大きな影響を受け、そして “ 大胆・社交的 ” と “ 臆病・非社交的 ” とに大別される。
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このサバ白の子は明らかに前者であり、あとの兄弟たちは後者だと思われる。そして仔猫らの兄であるタクローも後者に該当しているようだ。


そのタクローだが、腹が減っていないのかいっこうに近づいて来ない。
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残る仔猫たちもまた、どこかに潜んでいるようで、気配を感じ取ることさえできない。


エカシさんはリンとサバ白の食事風景を穏やかな表情でじっと見つめている。
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タクローのことをエカシさんに訊くと、「目の悪いあの猫は、エサをやっているのになかなか懐かない」と言って苦笑した。


リンもほかの子を気にしているようで、盛んに後ろを振り返る。
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てっきりリンは子供たちの様子を見にいくのだろうと思っていたら、食事を終えた彼女は私の方へ真っ直ぐ向かってきた。
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リンは脇目もふらず迷いのない足取りでぐんぐん近づいてくる。
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そのリンにピントを合わせようと、カメラのレンズ駆動モーターは微かな唸りを発しつづけている。


リンはそのままの勢いで頭突きをするように私の脚に体を擦り付けてきた。
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野良猫と係わっていると大抵は辛く悲しい経験をすることになる。
その度に私の病んだ精神は暗い深淵へ逃げ込もうとする。「もう野良猫たちと係わりたくない!」と強く思いながら。



そんな私を引き戻してくれるのは、いつだって野良猫たちが私に表すこのような純粋無垢な親愛の情である。
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そして彼ら彼女らの情愛になんとか応えたいと思い直し、私は再び海岸へやって来るのだ。


その時だった、か細く哀しげな声が聞こえてきたのは。


辺りを見回すと、テントの傍らに佇んでいる黒い仔猫と眼が合った。
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すると黒い子は切実な面持ちでさっきより大きな声をあげた。哀切のこもったその鳴き声は明らかに母を呼ぶ子供の声音だった。


リンは私から離れると、ゆっくりした歩調で黒猫の方へ近づいていく。
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ところが黒い子は母を待ちきれずに、どこかに身を隠してしまった。リンも耳をそばだてて我が子の居場所を探っている。
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やがてリンは身体をひるがえすと、鳴き声をあげながらテントに沿って歩きはじめた。


しかし仔猫からの応答はどこからも返ってこない。
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エカシさんの背後を通りテントの入口から中を窺うリン。どうやら彼女は私同様、黒い子を完全に見失ったようだ。


リンは私の脇を通りすぎると、テントとは反対側の防砂林に向かって声をあげる。
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何かの物音を感知したのか、リンはその方向へ鋭い視線を送った。私も釣られてリンの視線の行方を追ったが、そこに仔猫の姿はなかった。


リンは途方に暮れたようにその場へ座り込んだ。
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しかしそれも束の間、リンは意を決したように下草が繁茂する樹木の中へ分け入った。


ところがそれからしばらく経ったころだった、今までどこに隠れていたのか、黒い子が私の眼の前を左から右へ駆け抜けていった。
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そうしてエカシさんの側で立ちどまると、切ない声音で鳴いた。
どうやら黒い子もまた、防砂林の中に母の姿を探し求めていたようだ。



その声を聞き付けたのだろう、リンが樹木の奥から慌てた様子で戻ってきた。
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最初の鳴き声をあげてからおおよそ5分、こうして母子は出会うことができた。
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子供に安心感を与えるためなのか、リンは隣の食器に鼻先を突っ込んで再び食事をはじめた。


しかし黒い子は母が側にいるにも拘わらず、耳を左右に開き警戒と緊張を解こうとしない。
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ここまで育つと母猫がいなくてもなんとか生きていける。だが生まれたばかりの仔猫は母猫の庇護がないと二日と生きていられない。


母猫もまた、子孫を維持するという生得的な欲求をみたすために子を産み育てる。
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このように互いの “ 利害 ” に基づいて一緒に生活する現象、これを『 共生 』という。


そして共生現象は利害関係のあり方によって、相利共生、片利共生、片害共生、寄生に分けられる。

つまり共生においては、条件次第で双方が利益を得たり、片方だけが利益を得たり、片方だけが害を被ったり、また “ 寄生 ” のように片方だけが利益を得、相手が害を被るという一方的な状況もあり得るのだ。

これこのように『 共生 』という言葉は、きわめて不明瞭な定義付けがされている。


それを踏まえて見た場合、エカシさんとリン一家の関係はどの範疇に含まれるのか?
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その答は当事者しか分からないことであり、第三者が決めつけるべきではないのだろう。


リンと仔猫の関係すらも現状のままというわけにはいかず、いずれ子離れ、親離れを機にそのかたちは変わっていくはず。
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それがどのようなかたちに変化するのか、私には知る由もなく、そしてこればかりは当事者にも分からないだろうと思われる。


群れることを嫌う自立心の強い猫の性格からして、各々が独り立ちしていく可能性が高い。
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ただ私としては仔猫たちを防砂林から救い出したいと思い、このブログで里親募集をしている。


受け入れの申し出もあったのだが、如何せん去年の秋に症状が悪化して以降、私自身が動けない状況なのだ。
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ただ去年の暮れに増薬したせいで、症状自体はなんとか低位安定状態を保ったままだ。
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仔猫の保護と併行するかたちでリンに不妊手術を受けさせようと、私は目論んでいる。
しかしこれは2度失敗した。



ところで、睡眠障害に罹ってからの私は夢を殆んど見なくなった‥‥、というか、正しくは目覚めた瞬間に忘れてしまうようになった。
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だが稀に、起床しても見た夢をおぼろげながら憶えていることがある。


割と最近見た夢の中で、私は黒くて大きな正体不明の影に追われ、安部公房の小説に出てくる広大で薄暗い地下採石場のようなところを逃げ惑っていた。
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しかし夢は不条理なもので、追われている私自身も何かを懸命に追いかけているのだ。


私が追っているもの、それは沢山の小さな生き物だった。だがあいにく舞台は暗い地下、生き物の形ははっきりしない。
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私を追っていた黒い影の実体は何となく想像できたが、ちょろちょろと素早く動き回る小さな生き物は何を形象化していたのだろうと、ときおり想いを巡らせる。


『 共生 』という曖昧で聞こえのいい言葉をやたらと使うニンゲンを私はあまり信用しない。

なかんずく政治家や役人が使う場合は、眉に唾をたっぷりと付けるようにしている。



前回の告知にあった京都市の野良猫などへの不適切な餌やりを禁止する、という “ 理不尽 ” な条例が3月20日に成立した。

何をもって理不尽かというと、この条例がカラスやアライグマなどの野生動物と愛玩動物である野良猫を一括りにしているからに他ならない。

当ブログで何度か述べているが、野良猫は決して野生動物などではなく、ニンゲン自らが彼らを野に遺棄して現今の状況に貶めたのだ。

それがために野良猫と野生動物とは画然たる区別をしなければならない、と私は思っている。

しかし上述したように京都市の条例は成立してしまった。

ただ全国からの反対の声に配慮してか、条例名を「動物による迷惑等の防止に関する条例」から、「動物との共生に向けたマナー等に関する条例」に変更した。

ほら、ここでも使われている。
どのようにも解釈できる玉虫色の言葉である『 共生 』が‥‥。



〈次回へつづく〉



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想いの行方 (後編)

2015年03月14日 07:00

束の間交錯したコジローとシロベエの想い。

そしてシロベエは再び秘めた想いを遂げるために、コジローに近づいていったのだが‥‥。


さっきはシロベエの接近を許したコジローだったが、今回は素早くその場から離れてしまった。
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コジローのつれない対応に落胆したのか、シロベエは呆然と佇んだままだ。


シロベエは身じろぎしないで、去りゆくコジローの後ろ姿をただ見送っている。
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シロベエの想いは結局のところ、コジローの心には届かなかった。


何事もなかったように、遺棄されたカーペットの上で毛繕いをするシロベエ。
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気散じな猫だから気持ちの切り替えも早いのだろう。


最後がいつだったか思い出せないほど、シロベエの “ へそ天ローリング ” を見るのは久し振りのことだ。
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2010年12月に行方不明になったシロベエは、2週間後に右後ろ脚を負傷して戻ってきた。どうして脚を負傷したのか分からなかったが、シロベエはそれを機にニンゲンを忌避するようになった。


だから私の目の前で腹を晒すことなど、その後はなかったはずだ。
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シロベエはおもむろに頭をもたげると何かに目を止めた。


その視線の先にいたのはコジローだった。コジローは少し離れたところからずっとシロベエの様子を観察していたようだ。
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コジローは嘲弄するように、シニカルな笑みをシロベエに投げかける。


シロベエがいきなり駆けだしてコジローから離れた。この行動の理由は分からない。
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もしかしたらコジローの冷笑にあって、いたたまれなくなったのかもしれない。


シロベエが駆けこんだ草むらに鋭い視線を送るコジロー。
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私にはこのコジローの対応もまた、理解できない。


シロベエを忌み嫌っているのなら、さっさと遠くへ離れればいいのにと、私などは思ってしまう。
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コジローの抱いているシロベエに対する想いは、単純な好悪だけでなくもう少し複雑なものではないかと私は感じている。


コジローが草むらの中に何かを発見して、手前に掻き出した。
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そしてほかの誰かに取られるのを恐れるように、両前脚でしっかりと抱え込んだ。


コジローが齧りついているのは、誰かの忘れていったまだ新しいソフトボールだった。
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前脚でボールをしっかりと掴み後ろ脚で猫キックを繰りだす、これは『 ベリーアップ 』と呼ばれる行動だ。


この行為は仔猫同士で、そして大抵の場合は同じ時期に生まれた兄弟同士で見られる社会的遊びの一種である。
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コジローも幼い頃はこうやって、兄弟のマサムネやクロベエやアイと遊んでいたはずだ。


こうした独り遊びの際に、コジローは行方知れずになったそれらの兄弟たちを思い出しているのかもしれない。
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そしていつの日にか兄弟たちに再会できると信じて、今を生きているのかもしれない。


結局のところコジローの想いは今この時ではなく、過去の記憶に向けられたままなのか‥‥?
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ただ一般的に猫は時間の概念を持っていないと言われている。


確かに彼らは暦や時計を持ってはいないし、また必要ともしていない。
そして意識的に、昨日を顧みたり明日を憂慮したりもしていないようだ。


でもそれは猫たちがニンゲンと同じ時間の概念を持っていないだけであって、彼らにも彼らなりの “ 時間の感覚 ” はあるはずだ。

少なくとも過去の出来事を学習し記憶していることは明々白々である。


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その遣り方は我々とは違う手続きで、そしてより本能的な動機によってなされているのだろう。
そしてそれらの記憶は “今を生きる” ことに活かされる。

だから猫は(殊に野良猫は)剣呑な状況をすばやく察知し、危害を加えそうなニンゲンを忌避して生き延びていられるのだ。


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猫たちから学んだこの “今を生きる” 姿勢を規範にすることによって、私の心は暗渠のような場所から抜け出すことができた。

『 昨日下した決断はくつがえせないし、それによって明日何が起こるかを知る必要はないのだ 』と自分に言い聞かせて。

この考えは私なりのいわゆる『 認知療法 』であって、ほどほどの効果は確かにあったが、しかし私の心をより良い方向へは導いてくれなかった。


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私は漠然としたシンパシーをコジローに感じている。それはおそらく家族のすべてを喪うという同じ体験をしているからだろう。


それに被毛の柄が、一緒に暮らしている愛猫と似ていることも親しさを感じさせる。
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しかし実をいうと、コジローにシンパシーを覚える最大の要因は別のところにあった。


シャイでシニカルで頑な、そして斜に構えた態度で周りと一定の距離を置くというコジローの気質と習性は、そっくりそのまま私に当てはまるのだ。
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それがためにコジローと接している時、私は我知らず彼の中に自分の分身を感じ取っていたのだろう。


コジローが遠ざかったからか、シロベエが草むらから姿を現した。
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しかしそれでもなお、コジローのことが気になるのか、虚ろな面持ちで視線を送る。
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そうしてシロベエはまた、打ち捨てられたカーペットの上に身体を横たえた。


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同じ日に二度もシロベエの “ へそ天ローリング ” を見るなんて、間違いなく初めてことだ。


この光景は、稀有な出来事として私の記憶に残るだろう。
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「シロベエ、今回お前の想いはコジローに受け容れられなかったが、諦めるなよ。めげずに想いを伝え続ければ、コジローだっていつか分かってくれるさ」


私はそう心のなかで呟いたが、これは自分を鼓舞する言葉でもあると気付き思わず苦笑した。
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だから能動的、直截的に自分の想いを相手にぶつけられるシロベエが羨ましいと思ってしまう。


シロベエは身体を起こすとコジローがいる方向へ向きなおった。
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そして不自由な後ろ脚を引きずりながら、コジローのいる方へ歩み寄る。


コジローに近づき、また自らの想いを伝えようと考えているのだろうか。
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ところがシロベエは視線をついと右に逸らせた。


「いったい何をそんなに熱心に見つめているんだ」と私は訝った。
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なんとなればシロベエの視線の先を仔細に探ってみても、私には何も発見できなかったからだ。


と、シロベエはいきなり脱兎のごとく駆けだした。
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そして草むらの中へダイブするように身を隠してしまった。


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シロベエの行動を知ってか知らでか、コジローも倉庫前から移動して駐車中の車を仔細に点検していた。


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膨らませた尻尾を垂直に立てて小刻みにふるわせるコジロー。これは恐れや驚きなど、興奮した時に見せるボディランゲージだ。


さっきのシロベエの疾走もそうだが、とにかく猫の奇妙な行動は見ていて飽きることはない。
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今度はいったい何をしようとしているのか、私はファインダー越しにコジローを注視した。


コジローが向かっているのはさっきソフトボールを発見した空地だ。
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敢えて車の点検をするために遠回りをして空地に戻る‥‥、私には理解できないが、この行動にもコジローなりの理由があるのだろう。


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坂の途中で立ちどまったコジローは、前方を見据えている。


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と、次の瞬間、コジローの体は宙を舞った。


そして空地に立てられ円柱にしがみついた。猫の跳躍力には毎度のことながら驚かされる。
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コジローはまるで円柱を慈しむかのように、ゆったりとした動作で爪を研ぐ。
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そして爪研ぎを中断したコジローが、ちらりとこちらを振りかえった直後だった。


ファインダーからコジローの姿が忽然と消えてしまった。







コジローは2メートル余りあるその円柱の頂上まで一気に駆け登ったのだ。
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あまりに唐突な出来事に、シャッターに触れていた私の人差し指はぴくりとも反応しなかった。


外敵の攻撃を受け難く、危険をいち早く察知できる高所を好むのは猫の習性だが、コジローは特にその傾向が強い。
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用心深い性格がそうさせるのか、それとも他者との迎合をよしとせず孤高でいたいという信念のせいなのか‥‥。


一方シロベエはというと、草むらの中に身を潜めたままだ。
シロベエはこれからも、コジローに近づける好機を物陰から窺い続けるつもりなのだろうか。

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円柱のてっぺんに陣取るコジロー、草むらに沈潜しているシロベエ、対象的なふたりの姿に私の想いは複雑だった。


コジローは既に柱から降りて、西に大きく傾いた太陽をじっと見つめている。
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険しい表情のコジローの脳裏には何が浮かんでいるのだろう。今はもういない母や兄弟たちに想いを巡らせているのだろうか。


自分と多くの共通点を持つこの海岸猫の生き様を、私はこれからも見守っていきたいと思っている。
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そういう想いもあってコジローには長生きしてほしいと願っている。

ただし‥‥。


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その想いがコジローの心に届くかどうか、私には分からない。



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【告知】


先日、HN:公園猫ボラさんから以下の鍵コメが寄せられました。
公園猫ボラさんの悲痛な叫びが感じられる内容です。


* * * * * * * * * * * * * *

突然で大変失礼いたします。

京都市で野良猫への餌やりを制限、罰則付きの条例が議会にかけられています。
制定されてしまうと、全国に波及してしまうということで犬猫救済の輪さんが呼びかけをしています。 ご協力お願い申し上げます。


以下、犬猫救済の輪より引用します

京都市条例…自民党・田中明秀市議は私たちの声を聞いて下さい。条例から猫は除外してください!!

京都市猫餌やり禁止につながる条例・・・12日、13日の予算委員会(市長総括質疑)で、市長、副市長に対する質疑が行われ、3月20日が最終本会議です。

 この条例を担当している教育福祉委員会の委員長であらせられる田中明秀市議(自民党)はこの条例の提言者でもあります。

 田中委員長に、反対大多数のパブリックコメントを尊重して「条例から猫は除外する」という文言を条例に明記するようお願いしてください。 田中委員長こそ条例を阻止できるかどうかのカギを握っている キーパーーソンです。
 

 おひとりでも多く、田中議員にメール、ファックス、郵送などで「条例から猫を除外する」か「条例案を廃案にする」かをお願いしてください。お急ぎください!ほかの自民党市議にもお願いします

文例 「パブリックコメント大多数の反対意見を尊重して、条例から猫は除外してください」


田中明秀議員の公式ホームページ
http://www.tanaka-akihide.com/index.html
メールフォーム
http://www.tanaka-akihide.com/guide/contact.html


京都新聞ホームページ・関連記事
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20150309000128



* * * * * * * * * * * * * *


この問題は根が深く、また全国いたるところで起こっています。
いわゆる『 無責任なエサ遣りさん 』のせいで、ルールを守っているボランティアさんまでもが側杖を食って同じ目で見られるのです。


ともあれ野良猫という存在を生んだのは間違いなく我々ニンゲンの所業。
その野良猫たちの命を守るのはニンゲンの贖罪であり義務だと私は思っています。

京都市の条例の場合、無責任なエサ遣り行為とそうでない行為を誰がどのようにして峻別するつもりなのでしょう。
たとえトイレを設置してもすべての猫が従うとは思えません。


私としては猫を遺棄した罪に、その猫の命を断つような罪を重ねてほしくない、と願っています。


なお、鍵コメを公開することに迷いはあったのですが、京都市の条例について詳細に調べる時間的余裕が私にはなく、当事者である公園猫ボラさんの声をそのまま伝えるのが適切と判断しました。


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