命の重さ (前編)

2015年05月30日 21:30

“ニンゲンの魂の重さは21グラム”

これは20世紀初頭にアメリカの医師が実際に人を使った実験で計測した結果で、医学雑誌『アメリカン・メディシン』に掲載された。

こちらはフィクションだが、『ダ・ヴィンチ・コード』の著者であるダン・ブラウンが著した『ロスト・シンボル』という作品にも同様な実験の様子が描かれている。

ちなみに21グラムは大さじ1杯の蜂蜜の重さと等しい。

果たして魂に重量があるというのは事実なのだろうか?


湘南海岸、早朝。











リン一家が暮らすエリアに到着してしばらく待っていると、タクローが姿を現した。



ところがタクローは地面に体を横たえると、そのまま動かなくなった。


タクローの手前には食器が置いてある。



その食器には、猫缶とカリカリを混ぜたエカシさん特製の朝食が盛ってあった。


エカシさんのテントの前ではリンが独りで水を飲んでいる。



エカシさんに訊くと、リンだけが食事を終えていると言う。


水を飲み終えたリンが踵を返して歩き始めると、それに呼応するようにタクローもやにわに体を起こしてこちらへ向かってきた。





タクローは母に向かって盛んに喋りかけている。しかしリンはそれに対して何も応えようとしない。





猫社会にヒエラルキーは存在しない。だが、なぜか食事の順番には厳然とした序列がある。



だからタクローは待っていたのだ。リンが食事を終えるのを。


タクローをそのままに、私は急いでリンの後を追った。





前に回りこんで撮影していると、リンはまっすぐ近づいてくる。


そして私の脚に体をすり寄せると‥‥、



そのまま私の足許の地面に腹ばいになった。


黒い子が姿を現し、リンと私の周りを慎重な足取りで歩き始めた。



が、私がほんの少し動いただけで、いきなり歩みを止め体をひるがえす。


この子のニンゲンに対する警戒心はことのほか強固で、3メートル以内には近づけない。



黒い子はふいに立ち止ると、目を見開いて視線を遠くに送る。


その視線を辿ると、植込みの下からふたりの兄弟が顔を覗かせていた。



リンの幼い子供たちはまだ朝の食事をしていない。



育ち盛りで食べ盛りの子供だから、この時間はすでに空腹のはずだが‥‥。


子供たちが姿を見せたことをエカシさんに報告すると、今朝はテントに来ないようだから近くにエサを持って行ってほしいと言う。


ところが朝食を終えたはずのリンが、そのエサをまっ先に食べ始めた。

「リン、お前はもう食べたんだろう、それは子供たちの分だぞ」
だが私がどう言っても、リンはまったくの馬耳東風で脇目も振らず食べつづける。



当然のことながら、食事の優先権は一家の長であるリンが最上位だ。

子供たちは空きっ腹であろうと、母の食事が終わるのを待つしかない。


と、そこへ長男のタクローがのっそりと姿を現した。



食事の順番はリンの次がタクローなのは分かっているが、この子もエカシさんに与えられたエサを食べたはず。


さっきの食事、一回分としては過不足ない量だと感じたが、タクローの腹はまだ満たされていないのだろうか。





リンより二回りほど大きな体躯をしたタクロー、当然膂力も母をとっくに凌駕している。



だが母の食事を力ずくで横取りするなど、猫社会では話のほかなのだろう。タクローはリンの視界に入らない後ろから、物欲しそうな面持ちをしてただ黙って見ているだけだ。


しばらくそうしていたタクローだったが、潔く諦めたようだ。





そこで私は食器をさらに子供たちの側に持っていった。

ところがリンは私の後を追って来ると、すぐさま食器に顔を突っ込んだ。
「やれやれ‥‥」私はリンの執念に根負けした。



一つではなく食器をいくつか用意すればいいと思うのだが、エカシさんには敢えてそうしたくない理由があるようだ。



ここは以前のエサ場のすぐ近くだ。


側には強い海風のせいで斜めに育った特徴的な幹を持つ松の木がある。



その根元、ちょうど砂が溜まっている辺り‥‥。


エカシさんの話によると、以前この場所に殺鼠剤様の毒物が混ぜられたカリカリが置かれていたそうだ。

たぶんく犯人は小雨くらいならカリカリが濡れないこの場所を選んだのだろう。

狡猾ではあるが、「その頭をほかのことに使え!」と私は言ってやりたい。

そして‥‥。







子育て中の多胎動物の母親にはままあることだが、ある日リンが見知らぬ仔猫を連れてきた、とエカシさんは言う。

リンとタクロー、そして4ニンの子供たちは毒エサに口を付けなかった。

しかし無垢な仔猫はこの世にそんなモノがあることも知らなかったのだろう、カリカリと一緒に毒エサを食べてしまった。





エカシさんが発見した時、その仔猫は吐瀉物にまみれて既に死んでいた。

そのことがあってから、エカシさんはエサ場を自分の目の届くテント近くに移動した。

だからエカシさんは、この場所ではできるだけ食事を与えたくないと思っているのだろう。





明らかな殺意を持ってエサ場に毒を置いた犯人にとっては、野良猫の命の重さなど紙切れ一枚より軽いのかもしれない。

しかも自分の命は何物にも代え難い貴重なモノだと思っていることだろう。

私もまったくその通りだと思う。このニンゲンの魂は “21グラム” よりずっと重いはずだ。

ただ自分では気づいていないだろうが、その魂はひどい臭いを発している。





「なんとなれば、腐っているからだ!!」

腐乱した魂はいずれ肉体をも蝕み、早晩むごたらしい目に遭うだろう。

そしてその時になって、初めて思い知ることになる。

他の生き物の命を粗末に扱う者は、とどのつまりは自分の命も粗末に扱う羽目におちいることを。







その時だった。

私のカーゴパンツのポケットの中で静かにしていたケータイが、いきなり沈默を破ってかまびすしい着信音を発し始めたのは。

何かの際に必要だろうと一応ケータイを持っているが、通話に関してはかけることもかかってくることも稀で、無料通話の上限を常に保っている。

ディスプレイを確認すると次女の名前が表示されていた。

様々な事情が重なり、市内に居ながら次女とも別々に暮らしている。

ここ数年次女と会うのは年に一度あるかどうかで、さらに電話などついぞかかってきたことがない。

その次女から、それもこんな朝早くにかかってきた電話に、私は不吉な胸騒ぎしか感じられなかった。




〈つづく〉





* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


『カバー曲を贈ります』

最近の出来事です。

何を調べていたのか記憶は無いのですが、ネットを徘徊していた時にある動画に逢着しました。

カバー曲だから期待もしないで何気なくプレイボタンをクリックした私は、
やがて流れてきた透明感のある優しい歌声に驚いた。


ヴォーカリストの素性は分からないのですが、曲によっては本家を凌ぐほどの歌唱力に
私はすっかり魅了されました。
(若さを感じさせる声質には賛否があると思いますが)



ブロ友さんの中には私と同じ精神疾患に苦しんでいる人や、肉体的な疾病に
苦しんでいる人がいます。


閲覧者の中にも同様の思いをしている方がいるでしょう。

そういう方々すべてにこの曲を贈ります。




ここ1年余りのあいだに近親者を見送った人や、家族同然の愛犬や愛猫を
喪ったブロ友さんが幾人もいるのです。


そこで今度は愛する者を亡くした人たちへ、同じ女性ヴォーカリストの曲を贈ります。



望むらくは、空の上にもこの清涼な歌声が届いてほしいものです。



最後に、少し季節を逸しましたが、’70年代に青春時代を送った人たちへ贈ります。






* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



「ある犬のおはなし ~殺処分ゼロを願って~」


動物はニンゲンを裏切らない‥‥。裏切るのはいつだって、身勝手なニンゲンだ。




原作者:willpapaさんのブログです。
ゴールデンレトリバーWILLと一緒に…。





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夕暮れの情景 (後編)

2015年05月17日 23:30

相変わらず体調不良がつづいていて、まるで倦怠感と抑うつ感の拘束衣を装着したまま生活しているようだ。

ここに至り私は、病気への姿勢というか、対処の仕方を少し考え直そうと思っている。

病と闘っても軽快に向かわないなら、そして堂々巡りの不毛な内省から抜け出せないなら、互いに妥協点を探り合って折り合いをつけるしかない。

まず偏向した思考を頭脳の奥深い領域へ押しやり、運命に逆らわずその流れに身をゆだねてしまう。

そしてネガティブ思考に陥らないように、自分の基準で判断しないであまねく事象をそのままのかたちで受け容れる。

つまりは喜びと悲しみも、苦痛と快楽も、愛と憎しみも、幸福と不幸も、夢とうつつも、創造論と進化論も、天使と悪魔も、そして生と死も先入観を持たずに受容し、自分の中で併存させるのだ。

ただし、ニンゲンだけは安易に受け容れない。
建前と本音を使い分け平然と虚言や詭弁を弄する、地球上で一番信用できない生き物だからだ。


この考え方によって自分が何処へ向かうのか、結果的に何者になるのか、そんなことは知りたくもないし、気にしても仕方がない。

なんとなれば “明日自分の身に何が起こるか” なんて誰にも分からないし、昨日の真実が明日には虚妄になることも珍しくない世の中なのだから。


ランの後を追って階段を降りる際、私は体がよろめいたはずみにたたらを踏んでしまい、最後の3、4段を頭を先にして落ちていった。





幸い倒れたのが砂地だったので、両肘をついてなんとか転倒の衝撃から体とカメラを護ることができた。
明らかに薬の副作用なのだが、このように私は時としていきなり平衡感覚を失ってしまう。






コンクリの階段がもう一段残っていたらどうなっていたか分からない。今思い出しても背筋に寒気を覚える出来事だ。

昼と夜が混在する黄昏時は異界との通路が開き魑魅魍魎が出没する『 逢魔が時 』とも呼ばれ、とかく昔から災いに遭い易いとされている。


ランも砂浜の先に胡乱な気配でも感じたのか、慌てて踵を返した。



そして波消しブロックの陰に身を潜めると、前方を凝視し始めた。


険悪な面持ちでいったい何を見つめているのだろうと思い背後を振り返ったが、私の眼に不審な影は映らない。



眼には見えない邪悪な気配を、猫が持つ鋭敏な聴覚で感知したのだろうか。


しばらくするとランの表情が不意に和らいだ。



ランの様子から、怪しい気配を放っていたモノが立ち去ったことが分かる。


ランはおもむろに腰をあげると、波消しブロックの上をゆっくりとした足取りで歩き始めた。





波消しブロックの数にして4基分進んだところでランは歩みを止めて再びうずくまった。



そうしてまたぞろ前方を見つめて身じろぎしなくなった。
写真より実際は暗いのだが、それでも数百メートル先までは見通せる私の視界に怪しげな影は認められない。



猫の視力はニンゲンの10分の1ほどで、細かな対象は識別できない。ただ動いているものを認識する能力は優れている。



ランの真剣な表情を見る限り、彼女は確かに何かの存在を感じ取っているのだ。それは獲物なのか、それとも警戒すべき悪意を持った敵なのか。


と、その時、ランはいきなり後ろを振り返った。



ランの視線の先には、波打ち際で戯れる子供とそれを見守る母親の姿があった。子供の笑い声が海風に乗って聞こえてくる。


するとランはその声から遠ざかるように、さらに波消しブロックを先に進んでいく。
ランにとって犬よりも苦手な相手がある。それは予測できない動きをする子供だ。


しかし前方にも怪しい気配を感じているはず。「ラン、どこへ行くつもりなんだ?」


だがランは私の問いかけに振り返りもせず、波消しブロックを小走りに登っていく。



「なるほど、ここなら安全だ。やっぱりお前は利口な子だ」

ランはそのまま波消しブロックと地面の間にある僅かな隙間の奥へ入っていった。


建物に明かりが灯り始めた。海岸は刻一刻、夜の様相を呈してくる。

ランも姿を隠してしまったし、私もそろそろ帰路につく頃合いだ。



そう思い踵を返すと、こちらへ向かってくるランと出くわした。





ランは周りに誰もいなくなった砂浜を、海に向かって悠然と歩いてくる。


そして波打ち際近くにうずくまると、そのまま黄昏の海を眺め始めた。
寄せては返す波を見つめているランの脳裏にはどんな情景が浮かんでいるのだろう。




私はニンゲンの心を読みとる能力など欲しくもないが、動物の心情を見通す術があるなら身につけたいと、切に思う。(ただし巷に溢れている『 アニマルコミュニケーター養成講座 』なるものは論外だ)


「ラン、暗くなったからもう帰るよ。お前のねぐらがある防砂林まで一緒に行こう」
そう声をかけると、ランは私と並んで歩きだした。








ところが、まだ防砂林に帰りたくないのか、ランは私の眼の前でいきなり寝ころがった。





そしてそのまま “へそ天ローリング” を始めてしまった。


ランはいかにも気持ちよさそうな表情を浮かべている。



「ラン、そのポーズは反則だって前にも言っただろう‥‥」


結局、私は海岸を去るきっかけを失ってしまった。



海岸に人影は殆んどなくなり宵闇がますます濃くなってきた。そのせいか潮騒の音と風鳴りの音が大きくなった錯覚におちいる。





ランはといえば、さっきから砂浜で香箱を作り何やら仔細に眺めている。


夜目が効くというのも猫の眼の特性だ。猫は本来夜行性なので暗闇でも獲物を見つけられるような眼の構造になっている。



もう少し詳しく言うと、網膜の裏に特殊な細胞層があり、わずかな光でも反射して視神経に伝達するのだ。暗いところで猫の眼が光って見えるのは、この “タペタム層” が反射しているからである。


ランが見つめていたのは頭上の道路を歩く男女二人連れだ。



よく見ると、手前の女性のお腹が大きい。もうじき生まれてくる子供の名前をどうするか、夫婦で話し合っているのかもしれない。


《ラン、お前がどう思ってるか分からないが、大抵のニンゲンにとって子供を授かるというのは喜ばしいことなんだ》



《ところがお前たち野良猫が産んだ子は、“望まれない子供” とか “望まれない命” と呼ばれて駆除の対象となっている。おかしな話だよな》


《この世に唯一無二の命を “望まない” なんて誰が何の権利を以って言っているんだろう?》。

《それにいったいどういう基準で望まれる命と望まれない命を選別するんだろう?》

私が思うに、ニンゲンにとって都合のいい命の数があるからかもしれない。ある生き物が増えすぎて自分たちに害をもたらしたら害獣と称して殺しているし、反対に数が著しく減った生き物は絶滅危惧種と称して保護するからだ》

《だけど害獣の中にはニンゲンの環境破壊によって生息域を追われた動物や、ニンゲン自らが持ち込んだ外来生物もいると聞く。こういうのを自業自得と言う

《そして金儲けのためだけに害獣ではない無辜の動物を捕獲したり殺したりするニンゲンもいる》

さてラン、地球にとって最も悪質な害獣って何だか分かるか。その生き物は空も海も陸も汚染させて、なおかつその数を増やしつづけているんだ。まるで癌細胞のように



「そんなことよりラン、暗くってお前の姿もはっきり見えなくなったぞ」
写真だと胸の白い毛で居場所が分かるが、肉眼ではランの姿はすでに砂浜に溶けこんで判然としない。


夜の帳が海岸を覆いつくすのにあと5分とかからないだろう。そうなれば逢魔が時は終幕となり異界への通路も閉じられる。


私はふと想像した。
この海岸から忽然と姿を消したあまたの猫たちは、生きづらいこの世界に見切りをつけて異界へと入っていったのかもしれない、と。


もしそうだったら、私も異界へ行くことをためらわない。
皆に会えるなら、こちらにいる海岸猫たちと元海岸猫の愛猫と一緒にすすんで異界への通路をくぐるだろう。






やがてランは深くて暗い、夜の闇の底へ吸い込まれていった。





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夕暮れの情景 (前編)

2015年05月02日 16:00

至極当たり前のことだが、ブログの更新頻度は私の体調と密接に関連している。

つまり更新の間隔があいているのは調子が落ちている証左である。

症状のなかでブログを更新する際に障害となるのは、まず何を主題にするのか判断がつかないこと、そして文章作成に集中できないこと、さらに集中できてもその状態が持続しないことだ。

『 SSRI 』は上限まで増薬されていて、薬物治療の効果はこれ以上望めない。

ブログの一時休止も念頭にあるが、いましばらく抗ってみたい。

それでも、もしなんの予告もなく更新が止まったら(当ブログの場合その判断は極めて難しい)、私の症状がさらに悪化したと推察してほしい。


湘南海岸。
太陽はすでに稜線の向こうに没し、残照が西の空を茜色に染めている。





シシマルエリアからの帰途、被写体となる風景を探していると、知らぬ間にランが背後に忍び寄っていた。



「ラン、元気だったのか」
いつものように私が自転車のスタンドを立てた音を聞き付けたのだろうか。



ランは毎日ボランティアの人から食事を与えられている。

だから私から食べ物を貰おうとして近づいてきたわけではない。


実際、ここへ移り住んでからのランは私が猫缶を与えても、申しわけ程度に口を付けるだけだ。

つまりランは純粋に私に会うために、安全な防砂林から出てきてくれたのだ。
ランの気持を思うと、眼球の奥がじわりと熱くなる。



私はランに会うたびに自責の念にかられる。なんとなれば不妊手術を受けさせるために一緒に捕獲した息子のアスカは、私が神奈川を離れているあいだに行方不明になったからだ。       (詳細はカテゴリ「不妊手術」を参照



「さーて、ニンゲンも少なくなったことだし、砂浜に降りてみようかしら」と言っているようにランは再び大きく伸びをした。


と、その時、ランが天敵と見做している犬が背後に現れた。



犬の方はランの存在などまるで気に留めていないが、ランは一瞬で警戒モードに入り身構える。


過去において、ランに犬を敵視させるどのような出来事があったのか私は知らない。





犬と猫だっていくつかの条件が揃っていれば、喧嘩などせず互いに寄り添って生きていける。

日本では仲が悪い喩えとして『 犬猿の仲 』という慣用句が使われるが、『 犬猫の仲 』という言葉はない。

しかし、そもそも『 犬猿の仲 』だって語源のはっきりしない、極めて信憑性の低い慣用句だ。



この動画を観れば分かるように、無垢な仔犬は尻尾を振って生まれたばかりの猿の赤ん坊に近づいている。仔猿も警戒する素振りすら見せないではないか。


「ニンゲンは自分たちが妬んだり恨んだりして仲が悪いものだから、ほかの動物にかこつけて揶揄するズルい生き物なんだ」

「お前だって生まれたばかりの仔犬を見たら、母性本能が目覚め世話をするはずだ」


私はランの緊張をほぐそうと思い背中をそっと撫でてみた。

飼い猫でも背後から触れられると驚くものだが、ランは耳を僅かに動かしただけで身動ぎしない。まるで私が触れるのを前もって知っていたかのように。



と、その時である。気配を感じたのでふと顔を上げると、我々に近づいてくる人影が私の視界に入ってきた。

ランも見知らぬニンゲンの接近を察知し、防砂林へ戻ろうと慌てて波消しブロックを登っていく。

よく見ると、その人は瞳を輝かし満面の笑みをたたえながら階段に佇んでいた。

そこで私はランに向かって声をかけた。「ラン、逃げなくてもいいよ、この人は大丈夫だから」

その人は私とランの様子から自分がどういう行動を取ったらいいのかすぐに了解したようで、笑みを浮かべたまま静かに歩み寄ってきた。











そしてランの傍らにしゃがみ込むと、ランの身体を優しく撫で始めた。しかし初対面のふたり、撫でるほうも撫でられるほうもいくらか動きがぎこちない。



ここに至って私は気が付いた。ブルーのランニングウェアに身を包んだこの女性、さっきテラスで海を眺めていた人だ。



ランもこの女性が害意を持っていないと分かったようで、気持ち良さそうに身を委ねている。


実はこのカットを撮る直前に私は一瞬迷ってしまった。何に迷ったかというと、ランと若く美しい女性のどちらにピントを合わせるべきか心が揺れたのだ。

で、結局どちらにピントを合わせたか、それは写真を見て判断してもらいたい。ただし広角での撮影だし、ブログ用に縮小加工してあるので分かり難いと思うが。



ランニングウェアの女性が立ち去ると、海岸はいよいよ人気がなくなり、夜の気配が漂い始めた。





また何者かが近づいてきたのか、ランは眼を見開き体勢を整えた。


ランの視線の動きで分かるが、その何者かは私の背後をかなりの速度で移動しているようだ。



視線を砂浜に移してからも、ランは対象物から目を離さない。


体勢を低くし波消しブロックの陰に身を隠すラン。



ランが身の危険を感じるほどの相手とは何者なのか‥‥?。


ここで初めて私はランの視線を辿った。想像していた通りランが凝視していたのは犬だった。
しかもノーリードの大型犬だ。それに周りに飼い主らしき人影も見えない。






私は他人ごとながらノーリードの犬を見るたびに思う。

ノーリードの飼い犬が人に危害を加えたら、自分が傷害罪に問われることを飼い主本人は知っているのだろうかと。

そして刑事罰に加え民事でも賠償責任を問われることを、さらに犬が殺処分された前例があることを知っているのだろうかとも。







もし知らなかったら余りにも愚昧だし、知っての上なら度しがたい痴れ者である。

無論咬傷事故において飼い犬に責任はなく、利己的なニンゲンの行為で犠牲になるのは決まって弱者である動物だ。

昨今、飼い犬による咬傷事故が全国で多発しているのも飼い主のマナー低下が原因としか思えない。





咬傷事故に備えて保険に加入しているから大丈夫と高をくくっている飼い主もいるかもしれないが、被害者が死亡したり後遺症を負ったら、まともな神経を持つニンゲンであれば罪の意識は一生消えないだろう。





さて勘違いしないでもらいたいのは、様々な経緯があって野良猫の実情をこうして発信しているが、私は愛犬家でもある。というか、実は飼ったのは犬のほうが先なのだ。

それというのも、父が猫嫌いで最初に飼ったペットは保護した捨て犬だったし、以来実家にはいつも犬がいたからだ。

今でも左の頬と唇の上に微かに傷跡が残っているが、私は5、6歳の頃に隣家の犬に顔を噛まれて大怪我をした。

私は数人の大人たちによって病院に担ぎ込まれ、そこでは誰かが「狂犬病の検査を」と大きな声で訴えていたのを憶えている。

そんな目に遭っても私は犬を嫌いにならず、それから数年後に私自身が捨て犬を拾うことになるのだ。


ランの表情は険悪で、大型犬を見つめていると思われる眼には警戒を怠らない決意が見受けられる。





その視線はさっきと反対に移動している。


そこで私は後ろを振り向いた。
すると階段を駆け登ってくる黒い大型犬の姿が目に入った。




どうやら飼い主は砂浜を見下ろす道路に留まり、飼い犬に取って来るように指図して、ボールを砂浜に放ったようだ。


そんな無謀なことをする愚物を私は敢えて見なかった。なんとなれば、顔を見れば苦言を呈したい情動にかられると思ったからだ。



ただランには「よくそのニンゲンを憶えておくんだ。そしてその姿を見かけたら、いち早く安全なところへ逃げるんだ」と忠告した。


黒い犬が遠ざかって安心したのだろう、ランは砂浜に向かって階段を駆け降りていく。



「ラン、待ってくれよ、置いてきぼりはとはつれないなぁ」
私もランの後を追って砂浜に降りていった。



〈つづく〉



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