生きること・死ぬこと その参

2013年10月07日 08:30

『この地域ではペットが亡くなると、その亡骸を川原に埋葬する習わしがある』という。
が、私にとっては初耳である。



すると、動物の守り神が“水神様”だからだ、と周りの者が異口同音に教えてくれた。
つまり水神が統べる水の側に埋葬することが動物たちの供養になる、というのだ。

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その風習に倣い、サクラも川原に埋葬することにした。


サクラの弔いのため、従兄弟が、車で1時間あまりの道程を2人の叔母とともにやってきてくれた。時刻はすでに午後9時を回っていた。
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真っ暗な川原で懐中電灯の明かりを頼りに穴を掘るという行為には、背徳の匂いが漂い、スリリングな心持になる。

一つしかないスコップを交代で使い穴を掘っていく。
昼間の暑気が残っているので、夜にも拘らず5分もスコップを振るっていると、額から玉の汗が噴出してくる。

掘りはじめて3、40分経った頃だろうか、ようやくサクラが納まる穴になった。

その穴の底へバスタオルと冬場に使っていた敷物にくるんだサクラをゆっくりと横たえた。


それからサクラの周りに、日頃使っていた食器、外した首輪、常食だったドッグフード、大好きだったジャーキー、飲み水の入った容器を供えた。

さらに生きている時は口にしていない菓子類とパン類も袋から出し同じように穴の中へ。
そうして最後に花束をふたつ、サクラの身体の上にそっと供えた。


それから4人で手を使ってサクラの上に砂を被せていった。
「サクラちゃん、良いとこへお行きよ」と口々に呟きながら‥‥。



翌朝、日の出前に自転車で15分ほどのところにあるサクラの墓へ私は赴いた。
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食べ物を一緒に埋めたせいか、恐らく散歩中の犬の仕業だろう、サクラをくるんでいた敷物の一部が地面から掘り出されていた。


これではサクラもおちおち眠っていられないだろうと思い、大き目の石を運んできては周囲に配した。だが、それでも数日後に再び掘り返された跡を発見した。
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それから、親に先立って死んだ子供が賽の河原でケルンを作るように、毎朝墓参に行く度に石を積み上げていった。


そうやって2週間ほど通っているうちに、サクラが母の許へ旅立ったことを受け容れられるようになってきた。
残される者は悲しく寂しいが、母とサクラのことを思えば、こういう結果も致し方ないなと諦観したのだ。

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13、4年もお互い支え合いながら暮らした母とサクラ。なかんずく独居になってからの母にとってはサクラの存在は大きく、あの子がいるから安心していられる、とよく言っていた。サクラもまた、そんな母を慕いつづけた。


ふたり(敢えてこう表現する)の間柄は人間とペットとの結びつきを超えた親密で濃厚なものだったのだろうと思わずにはいられない。
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四十九日の中陰を終えあの世へ旅立つ母は、是非ともサクラが側にいてほしかったのだろう。そしてサクラも母を独り行かせることは出来なかったのだろう。


空を見上げた私の目には、母とサクラが仲良く並んで去ってゆく後ろ姿が見えるような気がした。
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「さよならおふくろ‥‥、さよならサクラ‥‥」私はちょっぴり嫉妬のこもった声音で呟いた。


ところで私は三度(みたび)、猫が係わる不思議な体験をした。

話が前後するが、それは、サクラが死んだことを叔母に報せ、皆で弔いに来てくれることとなった直後に起こった。

叔母たちに振舞う冷たい飲み物を買うため、私は近くのコンビニに自転車で向かっていた。


その途中、道路に居座っている見知らぬ猫2匹と遭遇したのだ。
黒シロの猫は道路の端に体を横たえ、茶シロの猫はその黒シロと向かい合って道路の真ん中に端座していた。

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この道は帰省する度に何十回と通っているが、未だかつて猫の姿を見たことなどなかった。
このときは気持ちが急いていたので、2匹の猫を横目にそのまま通り過ぎた。



数分後、帰りに同じ道を通ったが、さっきの2匹はすでに姿を消していた。
先程は私がすぐ脇を通り抜けても身じろぎしなかった猫たちだ、もし立ち止まっていたら先の茶シロやサバシロのように親しげに擦り寄ってきたのではないだろうか。

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“私が悲しみに打ち沈んでいるときに見知らぬ猫が姿を現す”
そんなことが3度つづけば、その出来事は偶然ではなく必然ではないか、と私は感じ始めていた。



そんな事象はたまさかで、胡乱な考えだと一笑に付す方も当然いるだろう。
だが猫がニンゲンの感情を察知するのは紛れもない事実だ。


私が悲嘆にくれているとき、一緒に暮らしている元海岸猫の風(フウ)がそっと近づいてきて、私の手や腕を優しくグルーミングしてくれたのは一度や二度ではない。


だから今回の猫たちも私の傷心を知って近づいて来てくれたのだと、私は思いたい。
というか、そう信じたい。

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架空の動物“獏”がニンゲンの悪夢を食べてくれるように、猫はニンゲンの悲しみを呑みこんでくれるのかもしれない。(この場面の写真は後日撮影した)


荒唐無稽な与太話だと嘲笑われても致し方ないが、私は猫にはそういう癒しの能力が具わっていると思っている。



さて、母の死去とサクラの予期せぬの死によって大きな傷を負った私の心を癒してくれたのは次女だ。
たまたまサクラが他界した翌日は次女の二十歳の誕生日であった。

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『二十歳の誕生日おめでとう』
悲嘆にくれていた私は、なんとも素っ気無い文面のお祝いメールを送った。



次女は幼いころから寡黙で、その傾向は長じてからも変わらず、私と喋ることは稀であった。

そんな次女から、私の簡略なメールへ対してすぐに返信が届いた。どうせにべ無い文言だろうと予想していた私はそのメールを見て驚いた。それは私にとって思いがけない内容だったからだ。


『ありがとう。ここまで見守ってくれてありがとう!!』

そして私が次女に対して、今現在何も出来ないことを詫びると、
『なにもしてくれなくていいよ。その方が一人前に成長できるしね。20年間ありがとう!ごめんなさいもいっぱいあるけど、でもありがとう』というメールが返ってきた。


次女のメールを読んで、私は思わず落涙した。
その涙は私自身の不甲斐無さへの慙愧の思いと、次女の優しさに触れた嬉しさが流させたものだった。


私は自らを鼓舞し絶望の淵から浮上しようと思い立った。いつまでも悲しみに沈んでいないで、次女のために生きよう、と。


母の四十九日の法事も無事終わり、季節は秋を迎えようとしていた。
だが、猛威をふるった今年の夏の勢いはいっかな衰えようとせず、9月に入っても厳しい残暑が続いていた。

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その残暑のなか、私は母の死去にともなう役所・銀行・石材店などの煩瑣な手続きを敢えてゆっくりとしたペースでこなしていた。


そんなある日の午前中、私が用事を終え実家の門をくぐったときだった。


母が起居していた部屋の軒下で体を横たえていた1匹の猫と目が合ったのは。
その猫は私の姿を認めると、俊敏な身のこなしでエアコンの室外機の後ろへ遠ざかった。

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しかし一散に逃げることなく、その場に留まって私の一挙一動を険しい目で凝視している。


私が門の近くまで後ずさると、そのキジトラは従容とした足取りで庭を横切っていき、
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そのまま庭の隅の植込みへ足を踏み入れた。


そして長くて真っ直ぐな尻尾をくねらせながら植込みの中へと姿を消した。
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正面に回り込んでみたが、自分の被毛が枯草や病葉の保護色であることを十分認識しているキジトラは、それらに見事に溶け込んで容易に見分けられない。


そこで私は道路に出て、塀越しに植込みの中を覗き込んだ。どうやらこのキジトラ、庭木が作る木陰で涼をとる腹積もりのようだ。
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カメラが立てた微かな音に反応してふり返ったキジトラは、目を瞠り驚いた表情を見せた。


でもそれも一瞬のことで、すぐに落ち着いた面持ちに戻ると、警戒心のこもった視線を私に投げかけてきた。
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首輪をしていないが、それだけで野良だと判断するのは早計である。この街で首輪を着けていない飼い猫に私自身何度も遭遇しているからだ。


しばらくして庭に戻り、私は先程の木陰を注視した。が、そこにキジトラの姿はすでに無かった。
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音も立てず気配も感じさせず、キジトラは忽然と姿を消してしまった。


私はたった今目撃した光景をにわかに信じられなかった。何故なら実家の周りでは、数年前に向かいの家の軒下で首輪をしたサバシロを一度見たっきりだからだ。
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母の死去以来度重なっている見知らぬ猫たちとの邂逅に対して、並々ならぬ因縁を感じている折に突然実家の庭に現れたキジトラは、いったい私を何処へ導こうとしているのだろう?



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コメント

  1. おこちゃんちゃん | URL | -

    wabiさん、四十九日法要、さくらちゃんの事、、。
    更新もままならない事だったと思われます。
    そんな中でしょうが、久し振りにご様子が解り、また、娘さんのお誕生日のメールに、随分しっかりと成長されていらしゃる娘さんの様子が表れていて、不謹慎ながらもほっとさせて頂きました。
    私自身、20歳の時にその様な言葉は親に伝えられませんでしたよ。

    必然的に癒しに現れてくれた猫ちゃん達、、、。
    確かに、動物たちは、人間の心をキャッチする能力が備わっているのだとおもいます。

  2. マコ | URL | -

    ご無沙汰しています。

    動物精霊界があると聞きました。
    きっと、動物精霊界でwabiさんの事が伝えられて、
    次々に、猫ちゃんたちが、慰めと、癒しに来ているのだと思います。

    偶然は無いですものね・・・。

    次女の方が、黙っていてもwabiさんの優しさを感じていたのと同じで、
    真実は伝えられているのですね。

    お母様と一緒に、サクラちゃんも旅立った事。
    一人ぽっちじゃないから、大きな安心です。

    心からご冥福をお祈りします。

    wabiさんも、心身ともにご自愛下さい。




  3. 茶チャママ | URL | Wb6Olee.

    お母様とさくらちゃんお互い支え合ってきただけに
    離れることが出来なかったのでしょう
    身近で犬や猫に御夫婦も・・・
    さくらちゃんの御冥福をお祈りいたします
    さくらちゃんお母さんが迎に来てくれて嬉しかったんだよね
    eabさん娘さんの優しさが嬉しかったですね
    御無理のないように供養なさってください

  4. 猫 | URL | -

    はじめまして。
    深く考えさせられました。
    上手く言えませんが、感情が伝わりました。

  5. imagica | URL | -

    いつも読ませて頂いてます。

    お母様の事では、お辛かっただろう、まだまだ、落ち着かれないことと存じます。今日、思い立ち、台風一過の湘南海岸に行きましたら、ブログで拝見した、思い当たる看板や歩道橋があり、海岸では、キジ白3匹と黒猫1匹にオジサンが餌をあげていました。懐いていて抱かれていました。今日、その様子をブログに書かせて頂きました。

  6. imagica | URL | -

    ミケの末期その壱弐参に涙しました

    Wabi様、コメントありがとうございました。今日、ミケ編の2010年6月末まで、5月抜けてますが、読みました。(5月のブログは明日読みます。〉暫し、泣きました。それから、ミケの顔写真は、2010年4月17日掲載の、manatsuさんに向けた抱っこしてほしい顔だと気がつきました。湘南海岸にいく折には、ゼヒトモ連絡させて頂きます。近いうち、参ります。ありがとうございました。

  7. wabi | URL | -

    おこちゃんちゃんさんへ

    未だ母とサクラの残した欠落を埋められないまま日々を過ごしています。
    この欠落を補填するにはしばらく時間がかかりそうです。
    猫たちの力を借りながらゆっくりとその時を待つつもりです。

    猫に備わった不思議な力、私は信じています。

  8. wabi | URL | -

    マコさんへ

    マコさんが仰るように、猫たちは我々より至便で進んだコミュニケーション手段を
    持っているのかもしれませんね。

    母とサクラは一緒に逝ったのでしょう。
    二人はここ数年、相互扶助の関係にありました。
    互いに互いを必要とし、老いたる者同士助け合って暮らしていましたから。
    残された私は寂しいですが、二人の心情を思えばこれで良かったのかもしれません。

    お気遣いありがとうございます。

  9. wabi | URL | -

    茶チャママさんへ

    サクラは生きて老残の身を晒すより母と一緒に逝くことを選んだのでしょう。
    母の身に起こったことをサクラは察していたようです。
    そして母は二度と戻ってこないことも。

    今はまだ喪失感を埋められないままですが、時間が解決してくれるでしょう。
    その時が来るのを静かにじっと待つつもりです。

  10. wabi | URL | -

    猫さんへ

    こちらこそはじめまして。
    そして、コメントありがとうございました。

    拙い写真と拙い文章、そして更新も遅いブログですが、
    これからも宜しくお願い致します。

  11. wabi | URL | -

    imagicaさんへ

    仄聞したところ、私が不在の間に海岸猫の状況も変わったそうです。
    野に暮らす猫には何が起こるか予測不可能で、
    ボランティアの方もすべてのことに対応出来ません。
    猫はやはり人と一緒に暮らすべきなのです。
    そして人もまた、猫と一緒に暮らすべきなのだと、私は思っています。

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