2014年11月14日 19:00
まるで白い靴下を履いているようだから、私はそのメス猫を “ ソックス ” と呼んでいた。
ソックスは海岸近くの小さな公園で、野良猫の母から生まれた生粋の野良猫だ。
コロコロした体型とどんぐり眼だけでも愛嬌のある猫だったが、何よりもその人懐こい性格で多くの人を魅了していた。


この海岸猫に会うために県外から訪れる人もいる、という話も嘘ではなさそうだ。
ソックスはいきなりカメラを向けられても動じることなく、モデルの様にちゃんとポージングする。


だから私はそんな彼女を密かに『 海岸のアイドル 』とか『 野良猫界のフォトジェニック 』と称していたのだ。
ソックスには、体は一回り小さいが姿かたちのそっくりな母親がいた。



あまりに酷似していたので、知り合った当初は別個に会ったときなどによく見誤ったのを憶えている。

当時、母娘の識別は鼻先を見て判断していた。鼻先が白いのが母猫の “ タビ(足袋) ” である。
その小さな公園でひっそりと平穏に暮らしていた母娘だったのだが‥‥。
ある時を境にその状況は激変する。
最初に起こったのは、心無いニンゲンによる陰湿な “エサ場荒らし” だった。
私がその凶行を最初に知ったのは2010年10月のことだ。


エサ場を囲っていた傘の骨が折られ、食器類もすべて持ち去られていた。
このエリアの海岸猫の世話をしていたA夫妻がすぐに新たな傘と食器でもって復旧した。


ところが‥‥。
傘は鋭い刃物で切り裂かれ、そしてまた食器類はすべて無くなっていた。


海岸に棲むソックスたちはニンゲンに直接迷惑をかけていない。なのにどうしてこんな酷いことをするのか、私は怒りで我を忘れそうだった。
私は植込や草むらに遺棄されていた食器やプレートを回収し、エサ場を元の姿に近づけた。


A夫妻の手による悲痛な訴えが綴られたプレート。犯人はこの文言を読んで反省するどころか、遣り口を尖鋭化させた。
刃物を携帯しているこのニンゲン、明らかに危険で異常だ。
変わり果てた自分たちのエサ場を見つめるソックスの胸中に去来する思いはいったい何だろう?


驚きなのか悲しみなのか不安なのか、はたまた怒りなのか、残念だが私にはうかがい知ることができなかった。
それから数日後、エサ場はまた荒らされた。これで三度被害に遭ったことになる。


今度は簡単に復旧できないように、すべての傘の柄と骨が折られていた。私は改めて犯人の異常性を垣間見る思いがした。
それでもボランティアのA夫妻としては、エサ場を復旧せざるを得ない。海岸猫がいる限り給餌をやめる訳にはいかないからだ。

そして‥‥。
四度目のエサ場荒らしが起こった。手口から同一犯の仕業なのは明白だ。

執拗に犯行を繰り返す常軌を逸したこのニンゲン、紛うことなき偏執的な異常者だ。

A夫妻はエサ場の復旧を諦めた。
この異常者の矛先が海岸猫たちに向くのを恐れたのだろう、と私は推察している。

結局、A夫妻はエサ場を目立たないほかの場所へ移した。
しかし雨除けの傘を設置できないから、頻繁にエサ場へ通うことになり、夫妻の負担が増えることになった。
*
今回の記事を書くために私は過去ログを読み返した。すると当時の記憶がありありと蘇ってきた。
同時に、はらわたが煮えくり返るほどの怒りも喚び覚まされ、その度にキーボードを打つ手が止まって記事の制作が遅々として進まなかった。
エサ場荒らしをつづけた “ 偏執狂 ” に対しては今でも言いたいことが沢山ある。
しかし激情に駆られてこれ以上書き綴ると長文になるし、罵詈雑言を羅列してしまうだろうし、なによりブログの主旨から逸脱しそうなので、当時の心情を吐露した一節を再録するにとどめておく。
『 ソックスを野良猫という不遇な境遇に遭わせたのは我々ニンゲンだ。
彼女はただここで息を潜めて生きることしかできない。
そんなささやかな望みさえ、今脅かされている。
いったい誰にそんな権利があるのか!?
少しばかり脳ミソが大きいだけの傲慢な生き物に、そんな権利は与えられていない。絶対に!!
私の心は震えている‥‥怒りと‥‥それ以上の悲しみで 』
*
私は防砂林の中に足を踏み入れた。数メートル先に、場違いな鳥居が建っている。


水をつかさどる神が祀られている神域を知らしめるための鳥居だ。
*
ここもソックスお気に入りの場所だった。




エサ場を移してからは平穏に暮らしていたソックスだが、数ヵ月後に新たな苦難が訪れた。
ソックス親子の憩いの場であった公園が公共工事のために取り壊されたのだ。


その事実を知人から知らされた私はすぐさまソックスエリアに駆けつけた。知人の言うとおり公園は跡形もなく消滅していた。
工事の様子を凝視するソックスと母のタビ。


自分たちのエサ場がニンゲンの手によって壊される光景を見て何を感じているのだろう。
異常者によるエサ場荒らしが治まって安堵していた私も、この母娘の心情を忖度するとまたぞろ心が塞ぐ。


自覚するしないに関係なく、結局我々ニンゲンは野良猫たちを苦しめつづける存在でしかないのかもしれない。
*
鳥居の前で私がそんな感慨にふけっていると、防砂林から突然1匹のキジ白が出てきた。


私にとっては顔見知りの海岸猫で、会うのは1年半ぶりになる。
しかし私を警戒し、自ら近づいてくることなどなかったのだが‥‥。


キジ白はときおり小さな鳴き声を発しながら、さらに近づいてくる。
そしていきなり地面に体を横たえた。


私の目の前で、こんな仕草を見せたのは今回が初めてである。
この海岸猫は左の眼球を欠損している。


初見は2年ほど前だと記憶しているが、そのときすでに隻眼だった。
この子の出自は不明で、誰に訊いても知らないという。



最初はニンゲンの姿を見ると防砂林の奥へ逃げ込んでいたので、生まれながらの野良猫だろう、と思っていた。
だが地面に寝転がって甘える所作をこうして見せられると、そうとは言い切れない気がしてきた。


雌雄も判然としないが、容貌や身体つきから “ 女子 ” の可能性が高い。
何処で生まれどんな経緯で海岸に棲みつくことになったのか、いつもながら野良猫のバックストーリーには興味をかきたてられる。


我が家の元海岸猫も出自がまったく分からず、折に触れ「お前は何処から来たんだ?」と訊くのだが、彼女の言っている内容を解せなくて、いつも歯痒い思いをしている。
猫と長く係わっていたせいで、鳴き声やボディーランゲージでその時の気分は分かるようになったが、過去の話となると、難解な “ 猫語 ” の修得が必須である。


この隻眼のキジ白の行動を観察したところ、私に対する態度が以前と比べて随分と和らいでいるように感じる。
空白の1年半のあいだに、何か契機があったのだろうか。



私を見つめる眼差しに強い警戒色は見えず、穏やかな面持ちで私を観察している。
キジ白はやおら身体を起こすと、ゆっくりとした足取りで近づいてきた。



そして、私の後ろにある松の木に頭をゴシゴシと擦り付けはじめた。
「いったい、何をしているんだ?」私は訝った。
体を翻したキジ白は私に接近してきた。


だが、体は触れていない。私の脚とキジ白の間には数センチの距離があった。
こんな思わせぶりな真似をされたのは初めてだ。

体を反転させたキジ白は再び私に向かってきた。


が、やはり数センチの間隔を空けて私の脚を通りすぎる。
この行為、『 エア・スリスリ 』とでも呼べばいいのだろうか。
キジ白の複雑な心境がうかがえる。私と近しくなりたいけど、まだ躊躇っているのだろう。


残念だが私に “ アニマルコミュニケーション ” の能力は、無い。それでもキジ白の心中を私なりに推測してみた。
で、安直だが取り敢えずカリカリを与えることにした。


しかしあまり腹が減っていないのか、キジ白はカリカリを一粒一粒味わうよう食べる。
「それにしても‥‥」と私は怪訝に思った。


さっき見たら、以前あった植込の中のエサ場は撤去されていた。またA夫妻も海岸猫の世話をやめたと仄聞している。
ではこの子は誰の世話を受けているのだろう?
近隣のエサ場へ出張っているのか、それとも新たなエサ遣りさんに給餌して貰っているのだろうか。


1年半という期間は、海岸の状況を様変わりさせてしまうには十分であるらしい。
防砂林の奥へ歩を進めていたキジ白だったが、おもむろに踵を返すと、またこちらへ向かってくる。



「私に言い残したことでもあるのか?」
キジ白は私の方を向いたまま地面に腹ばいになった。


私もその場にしゃがんだままでキジ白の次の行動を待つことにした。
トレイを挟んでキジ白と私は向き合った。第三者的な視点から眺めたら妙なシチュエーションだ。

私は再びキジ白の心中を推し測ることにした。
で、短絡に過ぎるが取り敢えずトレイに猫缶を盛ってみた。

ところが、私がトレイを置くために近づくと、キジ白は慌てて防砂林へ引っこんだ。

キジ白は猫缶を一顧だにせず、あらぬ方向を見つめはじめた。どうやら私の推測は外れたようだ。


樹上に動くものでも見つけたのか、キジ白は小さな鳴き声をあげた。
そろそろ海岸を去る時間が近づいてきた。
そこでエリアを離れるにあたり、ダメ元で猫缶の入ったトレイをキジ白の近くに置き直してみた。
すると、キジ白はやおらトレイに近づいてきて猫缶を食べはじめた。



「なんだ、さっきまでの無関心な態度はフェイクだったのか」
気まぐれで融通無碍な猫の行動を予測すること自体、無理なのだ、と私は改めて思い知った。


食べながらも警戒を怠らないキジ白。野良猫が生き抜くための悲しい習性である。



キジ白は再び隻眼を見開き前方を凝視する。その視線は私を通りこして鳥居の方に向けられている。
キジ白の視線をたどって後ろを振り返ってみたが、何を警戒しているのか私には分からなかった。


聴覚の優れた猫のこと、常ならぬ物音を聴きとったのかもしれない。
猫缶を食べ終えたキジ白は悠然と防砂林へ入っていく。


トレイの中を見ると、猫缶一缶分をほぼ完食している。腹は減っていたが、カリカリより猫缶が好みだったようだ。


満腹になれば馴染みのないニンゲンなど無用とばかりに、キジ白は安全な防砂林の奥へ腰をおろした。



「ここへは頻繁に来られないけど、今度会うときまで元気でいてくれよ」


防砂林の中のキジ白はいかにも小さく、そして儚げに見えた。




*
さて最後に、その後のソックスとタビのことに触れておきたい。



母猫のタビは工事が始まった直後の2012年の春に、海岸から姿を消してしまった。
独りぼっちになったソックスは、それでも傍目には屈託のない様子で暮らしていた。



しかし、そのソックスも2012年の暮を境に姿を見せなくなった。
砂浜にうずくまっているソックス。この後ろ姿がソックスを見る最後になろうとは、当時の私は想像もしていなかった。
*
おぼろげな記憶だが、ソックスは2012年の時点で5、6歳だった。
野良猫の平均寿命は4~6歳だから、ソックスは精一杯生き抜いたと言うべきかもしれない。
でも、私は信じている。今でも何処かで元気にしていると。
さらにいうと、少なくとも私の心の中には、愛くるしいどんぐり眼とコロコロした体型、そして人懐こい性格のまま生きつづける。いつまでも‥‥。
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『問わず語り』
ここ数ヵ月、体調が悪い。
がために海岸へもあまり足を運んでいない。
申し出のあった仔猫の保護の算段をしなければならないのに、体が言うことを聞いてくれないのだ。
『SSRI』の量を減らしてから総じて体調は芳しくなかったのだが、9月以降さらに下降の一途をたどっている。
その間、酷い抑うつ状態に陥って数日間床に臥したことも何度かあった。
『SSRI』を増量すれば精神は高揚するが、そうすると副作用もまた増大される。
私に表れる副作用は、ちょっとした事でイライラし、怒りぽっくなり、衝動的な行動を起こしやすくなる、というものだ。
実際に『SSRI』を多量に服用していた時期には周りの人と何度か衝突している。
加えて『SSRI』は私の心の隅でおとなしくしている希死念慮にも活力を与えてしまう。
だから逡巡している。薬を増やすことに。
ソックスは海岸近くの小さな公園で、野良猫の母から生まれた生粋の野良猫だ。
コロコロした体型とどんぐり眼だけでも愛嬌のある猫だったが、何よりもその人懐こい性格で多くの人を魅了していた。


この海岸猫に会うために県外から訪れる人もいる、という話も嘘ではなさそうだ。
ソックスはいきなりカメラを向けられても動じることなく、モデルの様にちゃんとポージングする。


だから私はそんな彼女を密かに『 海岸のアイドル 』とか『 野良猫界のフォトジェニック 』と称していたのだ。
ソックスには、体は一回り小さいが姿かたちのそっくりな母親がいた。



あまりに酷似していたので、知り合った当初は別個に会ったときなどによく見誤ったのを憶えている。

当時、母娘の識別は鼻先を見て判断していた。鼻先が白いのが母猫の “ タビ(足袋) ” である。
その小さな公園でひっそりと平穏に暮らしていた母娘だったのだが‥‥。
ある時を境にその状況は激変する。
最初に起こったのは、心無いニンゲンによる陰湿な “エサ場荒らし” だった。
私がその凶行を最初に知ったのは2010年10月のことだ。


エサ場を囲っていた傘の骨が折られ、食器類もすべて持ち去られていた。
このエリアの海岸猫の世話をしていたA夫妻がすぐに新たな傘と食器でもって復旧した。


ところが‥‥。
傘は鋭い刃物で切り裂かれ、そしてまた食器類はすべて無くなっていた。


海岸に棲むソックスたちはニンゲンに直接迷惑をかけていない。なのにどうしてこんな酷いことをするのか、私は怒りで我を忘れそうだった。
私は植込や草むらに遺棄されていた食器やプレートを回収し、エサ場を元の姿に近づけた。


A夫妻の手による悲痛な訴えが綴られたプレート。犯人はこの文言を読んで反省するどころか、遣り口を尖鋭化させた。
刃物を携帯しているこのニンゲン、明らかに危険で異常だ。
変わり果てた自分たちのエサ場を見つめるソックスの胸中に去来する思いはいったい何だろう?


驚きなのか悲しみなのか不安なのか、はたまた怒りなのか、残念だが私にはうかがい知ることができなかった。
それから数日後、エサ場はまた荒らされた。これで三度被害に遭ったことになる。


今度は簡単に復旧できないように、すべての傘の柄と骨が折られていた。私は改めて犯人の異常性を垣間見る思いがした。
それでもボランティアのA夫妻としては、エサ場を復旧せざるを得ない。海岸猫がいる限り給餌をやめる訳にはいかないからだ。

そして‥‥。
四度目のエサ場荒らしが起こった。手口から同一犯の仕業なのは明白だ。

執拗に犯行を繰り返す常軌を逸したこのニンゲン、紛うことなき偏執的な異常者だ。

A夫妻はエサ場の復旧を諦めた。
この異常者の矛先が海岸猫たちに向くのを恐れたのだろう、と私は推察している。

結局、A夫妻はエサ場を目立たないほかの場所へ移した。
しかし雨除けの傘を設置できないから、頻繁にエサ場へ通うことになり、夫妻の負担が増えることになった。
今回の記事を書くために私は過去ログを読み返した。すると当時の記憶がありありと蘇ってきた。
同時に、はらわたが煮えくり返るほどの怒りも喚び覚まされ、その度にキーボードを打つ手が止まって記事の制作が遅々として進まなかった。
エサ場荒らしをつづけた “ 偏執狂 ” に対しては今でも言いたいことが沢山ある。
しかし激情に駆られてこれ以上書き綴ると長文になるし、罵詈雑言を羅列してしまうだろうし、なによりブログの主旨から逸脱しそうなので、当時の心情を吐露した一節を再録するにとどめておく。
『 ソックスを野良猫という不遇な境遇に遭わせたのは我々ニンゲンだ。
彼女はただここで息を潜めて生きることしかできない。
そんなささやかな望みさえ、今脅かされている。
いったい誰にそんな権利があるのか!?
少しばかり脳ミソが大きいだけの傲慢な生き物に、そんな権利は与えられていない。絶対に!!
私の心は震えている‥‥怒りと‥‥それ以上の悲しみで 』
私は防砂林の中に足を踏み入れた。数メートル先に、場違いな鳥居が建っている。


水をつかさどる神が祀られている神域を知らしめるための鳥居だ。
ここもソックスお気に入りの場所だった。




エサ場を移してからは平穏に暮らしていたソックスだが、数ヵ月後に新たな苦難が訪れた。
ソックス親子の憩いの場であった公園が公共工事のために取り壊されたのだ。


その事実を知人から知らされた私はすぐさまソックスエリアに駆けつけた。知人の言うとおり公園は跡形もなく消滅していた。
工事の様子を凝視するソックスと母のタビ。


自分たちのエサ場がニンゲンの手によって壊される光景を見て何を感じているのだろう。
異常者によるエサ場荒らしが治まって安堵していた私も、この母娘の心情を忖度するとまたぞろ心が塞ぐ。


自覚するしないに関係なく、結局我々ニンゲンは野良猫たちを苦しめつづける存在でしかないのかもしれない。
鳥居の前で私がそんな感慨にふけっていると、防砂林から突然1匹のキジ白が出てきた。


私にとっては顔見知りの海岸猫で、会うのは1年半ぶりになる。
しかし私を警戒し、自ら近づいてくることなどなかったのだが‥‥。


キジ白はときおり小さな鳴き声を発しながら、さらに近づいてくる。
そしていきなり地面に体を横たえた。


私の目の前で、こんな仕草を見せたのは今回が初めてである。
この海岸猫は左の眼球を欠損している。


初見は2年ほど前だと記憶しているが、そのときすでに隻眼だった。
この子の出自は不明で、誰に訊いても知らないという。



最初はニンゲンの姿を見ると防砂林の奥へ逃げ込んでいたので、生まれながらの野良猫だろう、と思っていた。
だが地面に寝転がって甘える所作をこうして見せられると、そうとは言い切れない気がしてきた。


雌雄も判然としないが、容貌や身体つきから “ 女子 ” の可能性が高い。
何処で生まれどんな経緯で海岸に棲みつくことになったのか、いつもながら野良猫のバックストーリーには興味をかきたてられる。


我が家の元海岸猫も出自がまったく分からず、折に触れ「お前は何処から来たんだ?」と訊くのだが、彼女の言っている内容を解せなくて、いつも歯痒い思いをしている。
猫と長く係わっていたせいで、鳴き声やボディーランゲージでその時の気分は分かるようになったが、過去の話となると、難解な “ 猫語 ” の修得が必須である。


この隻眼のキジ白の行動を観察したところ、私に対する態度が以前と比べて随分と和らいでいるように感じる。
空白の1年半のあいだに、何か契機があったのだろうか。



私を見つめる眼差しに強い警戒色は見えず、穏やかな面持ちで私を観察している。
キジ白はやおら身体を起こすと、ゆっくりとした足取りで近づいてきた。



そして、私の後ろにある松の木に頭をゴシゴシと擦り付けはじめた。
「いったい、何をしているんだ?」私は訝った。
体を翻したキジ白は私に接近してきた。


だが、体は触れていない。私の脚とキジ白の間には数センチの距離があった。
こんな思わせぶりな真似をされたのは初めてだ。

体を反転させたキジ白は再び私に向かってきた。


が、やはり数センチの間隔を空けて私の脚を通りすぎる。
この行為、『 エア・スリスリ 』とでも呼べばいいのだろうか。
キジ白の複雑な心境がうかがえる。私と近しくなりたいけど、まだ躊躇っているのだろう。


残念だが私に “ アニマルコミュニケーション ” の能力は、無い。それでもキジ白の心中を私なりに推測してみた。
で、安直だが取り敢えずカリカリを与えることにした。


しかしあまり腹が減っていないのか、キジ白はカリカリを一粒一粒味わうよう食べる。
「それにしても‥‥」と私は怪訝に思った。


さっき見たら、以前あった植込の中のエサ場は撤去されていた。またA夫妻も海岸猫の世話をやめたと仄聞している。
ではこの子は誰の世話を受けているのだろう?
近隣のエサ場へ出張っているのか、それとも新たなエサ遣りさんに給餌して貰っているのだろうか。


1年半という期間は、海岸の状況を様変わりさせてしまうには十分であるらしい。
防砂林の奥へ歩を進めていたキジ白だったが、おもむろに踵を返すと、またこちらへ向かってくる。



「私に言い残したことでもあるのか?」
キジ白は私の方を向いたまま地面に腹ばいになった。


私もその場にしゃがんだままでキジ白の次の行動を待つことにした。
トレイを挟んでキジ白と私は向き合った。第三者的な視点から眺めたら妙なシチュエーションだ。

私は再びキジ白の心中を推し測ることにした。
で、短絡に過ぎるが取り敢えずトレイに猫缶を盛ってみた。

ところが、私がトレイを置くために近づくと、キジ白は慌てて防砂林へ引っこんだ。

キジ白は猫缶を一顧だにせず、あらぬ方向を見つめはじめた。どうやら私の推測は外れたようだ。


樹上に動くものでも見つけたのか、キジ白は小さな鳴き声をあげた。
そろそろ海岸を去る時間が近づいてきた。
そこでエリアを離れるにあたり、ダメ元で猫缶の入ったトレイをキジ白の近くに置き直してみた。
すると、キジ白はやおらトレイに近づいてきて猫缶を食べはじめた。



「なんだ、さっきまでの無関心な態度はフェイクだったのか」
気まぐれで融通無碍な猫の行動を予測すること自体、無理なのだ、と私は改めて思い知った。


食べながらも警戒を怠らないキジ白。野良猫が生き抜くための悲しい習性である。



キジ白は再び隻眼を見開き前方を凝視する。その視線は私を通りこして鳥居の方に向けられている。
キジ白の視線をたどって後ろを振り返ってみたが、何を警戒しているのか私には分からなかった。


聴覚の優れた猫のこと、常ならぬ物音を聴きとったのかもしれない。
猫缶を食べ終えたキジ白は悠然と防砂林へ入っていく。


トレイの中を見ると、猫缶一缶分をほぼ完食している。腹は減っていたが、カリカリより猫缶が好みだったようだ。


満腹になれば馴染みのないニンゲンなど無用とばかりに、キジ白は安全な防砂林の奥へ腰をおろした。



「ここへは頻繁に来られないけど、今度会うときまで元気でいてくれよ」


防砂林の中のキジ白はいかにも小さく、そして儚げに見えた。




さて最後に、その後のソックスとタビのことに触れておきたい。



母猫のタビは工事が始まった直後の2012年の春に、海岸から姿を消してしまった。
独りぼっちになったソックスは、それでも傍目には屈託のない様子で暮らしていた。



しかし、そのソックスも2012年の暮を境に姿を見せなくなった。
砂浜にうずくまっているソックス。この後ろ姿がソックスを見る最後になろうとは、当時の私は想像もしていなかった。
おぼろげな記憶だが、ソックスは2012年の時点で5、6歳だった。
野良猫の平均寿命は4~6歳だから、ソックスは精一杯生き抜いたと言うべきかもしれない。
でも、私は信じている。今でも何処かで元気にしていると。
さらにいうと、少なくとも私の心の中には、愛くるしいどんぐり眼とコロコロした体型、そして人懐こい性格のまま生きつづける。いつまでも‥‥。
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【 コメントに関して 】
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◆地名などの固有名詞を記したコメントはご遠慮ください。
ここ数ヵ月、体調が悪い。
がために海岸へもあまり足を運んでいない。
申し出のあった仔猫の保護の算段をしなければならないのに、体が言うことを聞いてくれないのだ。
『SSRI』の量を減らしてから総じて体調は芳しくなかったのだが、9月以降さらに下降の一途をたどっている。
その間、酷い抑うつ状態に陥って数日間床に臥したことも何度かあった。
『SSRI』を増量すれば精神は高揚するが、そうすると副作用もまた増大される。
私に表れる副作用は、ちょっとした事でイライラし、怒りぽっくなり、衝動的な行動を起こしやすくなる、というものだ。
実際に『SSRI』を多量に服用していた時期には周りの人と何度か衝突している。
加えて『SSRI』は私の心の隅でおとなしくしている希死念慮にも活力を与えてしまう。
だから逡巡している。薬を増やすことに。
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コメント
ケン | URL | -
wabiさん。
おはようございます。
ソックスですか。
なつかしいですね。
ソックスがいなくなってから、もうすぐ2年になるのですね。
海岸猫は、いつ何時、どうなるかわかりません。
誰かに持っていかれることもあるだろうし、病気でひっそりと亡くなることもあるでしょうから。。。
ところでビクはどうしました?
元気でいてくれればいいのですが。。。
( 2014年11月15日 05:32 )
めんまねえちゃん | URL | -
ソックス、どこかで元気にしてるといいですね. . .
私が避妊去勢をした二ケタの、多頭飼育の猫は、
やっぱり5年いてくれた猫はほとんどいませんでした。
(外猫ではなくて、飼育崩壊ではあるものの、外猫と同じような暮らしの猫たち)
どこかで、誰かにちゃっかり飼われていたらいいなと願わずにはいられませんでした。なくなっていないとはいいきれないものの。
それにしても、自分の庭とか、自分の家の前とか、そういうことで
被害があるのならともかく、ここまで執拗にひどいことをする
人間、戦慄してしまいます。
おっしゃるように刃物を持ってるわけですよね。
まえのうちで、薔薇などが散るからと「咲く前に切れ」と言っていた
近所のじいさまが、やはり夜中に庭に入って植物をいろいろ切ったことがあります。
私が「切ってくれという事を口でおっしゃっていただければ対処するのに、勝手に切らないでください」というような貼り紙をしたら、
「俺が切った。近所の人たちはみんな(変な貼り紙に)笑ってる、ばかにしてる」と言いに来たんです。
刃物を持って敷地に入るのは不法侵入なので、
警察には訴えますかと聞かれましたがやめたんですけれど. . .
といったら黙って家に戻っていきました。
(警察には訴えてなかったんですが。)
そんなふうに、なにか破壊的なことをする、刃物を持った人物って、
逆に自分がいいことをしてるとすら思っていたりするわけですよね。
ほかの部分では普通に思える方だったけれど、孫が連れてきた老猫の
お腹を蹴り上げたり、植物を執拗に剪定したがったり、
なんか. . . 人間の心の闇は、深く恐ろしいときがあります。
公園が無くなるのも人の都合で、ほんとうにこの二匹には
大変なことばかりでしたね。
やっぱり、どこかで、できたら、元気でいてほしいです。
( 2014年11月16日 21:21 )
マーク | URL | -
エサ場を荒らしている人物の心とは真逆の、ソックスちゃんの穏やかな表情を見ていると、
彼女が平穏に生活できる環境にたどり着いたことを祈らずにはいられません。
( 2014年11月16日 22:09 )
おこちゃん | URL | -
最近、また立て続けに、ブリーダー崩壊のニュースをやってましたね、
お金に執着、命をもてあそぶ事に執着する者の、気がしれません。
タビ、ソックスはきっと、貰われて行っているのだとおもいます。
私は、減薬を先生に申し出たけど、まだ、その時期には早いと言われ、従来の量を飲んでますが、その日の夜でしたが、お見事に希死がでましたー。軽かったし、頓服でやや落ち着き翌日は治まっていましたが、あの湧き上がって来る感覚は、怖いです。自分の意識と別の感覚が襲って来ますからね、、、。
お薬の微調整も、副作用も大変ですよね。
wabiさんの 心が波立つ事が 無くなる様に、海岸猫達が平穏に暮らせるようになれるように
願う事しか出来ませんが、、。身体も重たいでしょうに、猫ちゃん達を 守って下さりありがとうございます。
( 2014年11月16日 22:49 )
直感馬券師 | URL | -
こんばんは!
はじめまして!
記事を読んで、
私の近所でも似たようなことがあるのですが、
世の中に「動物愛護」精神をもった優しい方と、
外道のような自分勝手な人…
つくづく色んな人間がいるんだなぁ~と思い知らされます。
外道が命の尊さに気付くよう祈るばかりです。
( 2014年11月20日 18:57 )
くまさつお母さま | URL | LFBiOYFc
ソックスのこの真ん丸目をみると切なくなります。
生きたいと思うのは人間も猫も同じなのに。
wabiさん、おカラダお大事にして下さいね。
( 2014年11月25日 18:09 [Edit] )
wabi | URL | -
ケンさんへ
その2年のうち私は1年近く海岸を離れていましたから、
記事を書きながら「もうそんなになるんだなぁ」と感慨深いものがありました。
きっと何処かで元気にしている、と信じるしかありません。
ビクのことはいずれ記事にするつもりですが、2ヵ月ほど前に訪ねた時は元気にしていました。
最近は私の体調が芳しくなくエリアに行っていませんが、復調したらまた様子を見に行ってきます。
( 2014年11月27日 05:56 )
wabi | URL | -
めんまねえちゃんさんへ
野良猫はある日突然姿を消してしまします。
健康を害していたなら、防砂林の隅でひっそりと息を引き取ったのではと思えますが、
大抵の場合、そういう兆候を見せずに行方知れずになるのです。
異常者はごく普通の顔をして社会に溶けこんでいます。
でもよく観察すると、目付きや雰囲気から残忍な匂いを感じます。
そして必要以上に周りの目を気にし、カメラを向けると身を隠すのです。
この犯人が今度何かをやらかすのを目撃したらその場で証拠写真を撮り、警察に突き出してやります。
( 2014年11月27日 06:10 )
wabi | URL | -
マークさんへ
マークさんもそう思いますか。
記事にも書きましたが、私も人懐こい子でしたから誰かに保護されている
可能性が高いと思っています。
野良猫として生まれてから謂われのない迫害を受けつづけたのですから、
余生を幸せに暮らさないと帳尻が合いません。
( 2014年11月27日 06:22 )
wabi | URL | -
おこちゃんさんへ
掛け替えのない生命を金儲けの商品にすること自体が間違っています。
日本からそして世界からペットショップが無くなることを祈るばかりです。
薬の調整は難しいですね、副作用が深く関わってきますから。
新しい薬も何種類か試しましたが、酷い副作用に襲われて服用をやめました。
どんな薬が自分の症状に合っているのか、服用しないと分かりませんし、医師も試行錯誤しています。
本当は薬に頼らない認知治療などがいいのでしょうが、近くにそういう医療機関がありません。
電車に乗って遠くの病院へ通うことなどできませんから、今の自分には。
( 2014年11月27日 06:51 )
wabi | URL | -
直感馬券師さんへ
こちらこそ初めまして。
でも直感馬券師さんのブログはいつも拝見しているので、
初めてという感じがしません。
「動物愛護」と書くと何か特別なことの様に感じますが、
直感馬券師さんが仰るように「生命を尊く思う」というごく当たり前の考え方です。
この当たり前のことを理解できない輩が「外道・鬼畜」となり
慰みに動物を虐待して愉悦しています。
こういう輩は死ぬまで生命の尊さに気付くことはないでしょう。
地獄の業火に我が身を焼かれてようやく分かるのです。
( 2014年11月27日 07:09 )
wabi | URL | -
くまさつお母さまさんへ
ソックスはあのどんぐり眼で何を見て、何を感じていたのでしょう。
そしてニンゲンの存在をどう思っていたのでしょう。
訊きたいことが沢山あります。
私へのお気遣いありがとうございます。
( 2014年11月27日 07:14 )
まゆみ | URL | .GJ1GPaU
辛くって、愛おしくて
野良猫サイトを知り!泣きながら見ています。偽善者だと思われるでしょうか?
娘が、二匹、里親さんから譲り受けて。五年!捨てらていたとき、ビニールの袋に、三匹!一匹は、命を、落としていました!娘は、わたしが泣くから黙っていました。そんな、劣悪な状況なのだから、病気になるのは、必然だったのかもしれません
腎不全で、もうダメだと、言われ、泣かない娘から、泣きながら、電話をして来ました!24時間ドクターのいる病院を紹介され、3週間入院して、奇跡的に、生きています。毎日、薬と、自宅補液をしています。検査で、また15万かかると、自分の食費を削っています。
彼女は、諦める事を知りません!
私も親として、出来る事をしています。野良猫は、人間の、エゴだと思います。娘は、泣くんだから、見るなといいます。でも、それは、確かにあるのだから!
( 2014年11月29日 21:52 [Edit] )
wabi | URL | 0MXaS1o.
まゆみさんへ
まゆみさんへ
初めまして。
そしてコメントありがとうございます。
私見ですが、偽善者は野良猫ブログを見て独りで涙を流すことはありません。
偽善者は周囲の目を意識して偽りの感情を表す人だと、私は思っていますから。
一口に「野良猫ブログ」と言っても様々な観点から描かれています。
野良猫を被写体として美しい写真をテーマにしたものから、実際の保護活動を克明に記録し
啓蒙をテーマにしたものまで幅広いです。
ランキングサイトに参加しているブログだけでも450を超えています。
そんな多くのサイトの中から、まゆみさんがなぜ当ブログに巡り合ったのか分かりませんが、
私のブログは「見ると切なくなる」という感想を持つ人が多いのです。
それにしても娘さんは偉いですね。
病気の子を引き取り5年も看病するなんて、なかなかできる事ではありません。
仰るように「野良猫」は無慈悲なニンゲンのエゴが作り出した存在です。
なので当然、野良猫問題を解決する義務を負っているのは我々ニンゲンであり、
猫たちを救う責任をも負っています。
私はそのための一助になればと思い、ブログを書き続けてきましたが、
野良猫を取りまく環境は少しも改善されていません。
でもニンゲンと猫が共存できる日が来るのを信じて、これからも野良猫たちと
係わっていくつもりです。
( 2014年12月01日 03:51 [Edit] )
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