共生と共存 (後編)

2015年04月16日 12:00

共生 』に比べて『 共存 』の定義はずっと単純で明瞭だ。

二つ以上のものが競争、敵対、闘争しないで、一時的ないしは永続的に生存したり存在したりすること、これが『 共存 』の定義である。

さらに言うと、双方のあいだに “ 利害 ” が介在する余地はなく、独自性を保持する住み分けがされた状態だ。

『 共生 』と『 共存 』、この二つの言葉の意味が分かったところで私は考えた。

「我々ニンゲンはほかの生き物とどういう係わり方をすればいいのか?」と。



エカシさんのテントを離れ元のエサ場に行くと、サバ白が植込みからひょっこり姿を現した。
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しばらくすると、ただ一点を凝視しながらこちらに向かって歩を進め始めた。


サバ白が見つめていたもの、それは‥‥。


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さっきから私の足許で寛いでいる母のリンだ。
私が一所に留まっていると、彼女はよく側に寄ってきて身体を横たえる。あたかもそこが世界で一番安全で居心地のいい場所であるかのように。



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母に近づくにつれ、サバ白は若干歩度を速めた。


ところがリンまで3メートルほどの距離に達したとき、サバ白はおもむろに進路を右に曲げた。
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そしてそのまま灌木の中に入ると、注意深く辺りの様子を窺い始めた。その視線は私の背後に注がれている。ということは私を警戒しての行動ではないようだ。


安全が確認できたのか、サバ白はやがて慎重な足取りで灌木から出てきた。
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母子の触れ合いの邪魔をしたくないので、私はカメラを構えてゆっくりと後ずさりした。


だがサバ白はリンに近づかないで私の正面に座ると、何かを訴えるように数回鳴き声をあげる。
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どうやら私に伝えたいことがあるようだが、幼い子の猫語は理解するのが難しい。


するとサバ白は、傍にあった松の若木を使って爪研ぎを始めた。
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もしかしたらさっきは「ボクが爪を研ぐからよく見ていて」とでも言ったのだろうか。


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サバ白の所作は爪を研ぐというより、松の木をおもちゃにして遊んでいるように私には見える。
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サバ白は最後にカメラ目線を送ってきた。
これは先日コジローが見せた行為であり、かつてはミケがやはり爪研ぎの際に見せていた仕草である。



試しにそっと近づいたが、サバ白に警戒して身構えたり慌てて逃げる様子は見られない。
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かといって自ら近づいてくることもない。この子にとってニンゲンはまだ得体のしれない生き物なのだろう。


その時植込みの中からタクローがのっそりと出てきた。兄の姿を認めたサバ白が近づいていく。
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今まで植込みで眠っていたのだろうか、タクローは弟を一瞥しただけでそのままゆっくりとした足取りで歩いていく。


やがて鉄柱の側まで来ると、まるで酔漢のように突然どたりと倒れこんだ。
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そして仰向けになったタクローは、そのまま “ へそ天ローリング ” を始めた。
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だがそうしていながら、彼が意味ありげな視線をこちらへ注ぎ続けていることに、私は気付いていた。


タクローは身体を左右に捻っているが、瞳は私を捉えたままだ。
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その眼は私の一挙手一投足を一瞬足りとも見逃さないぞ、と告げている。


タクローの瞳にこめられた “ 意志 ” は、さっきサバ白が見せたカメラ目線とは明らかに趣を異にしていた。
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先日私に身体を触ることを許したが、以来そんな素振りは一切見せないどころか、却ってニンゲンを忌避するようになった印象を受ける。


世話をしているエカシさんにもいっこうに懐かないタクロー。
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この若い海岸猫に何があったのか知る由もないが、心にさらに強固な鎧をまとったようだ。


兄弟の前でもその鎧を脱がないのか、タクローは身体を寄せてきたサバ白を一顧だにせずその場を立ち去ってしまった。
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取りつく島もない兄の態度に落胆したサバ白は、とぼとぼとした足取りでこちらに向かってきた。


そうしてそのまま近くの松の木に近づくと、軽やかに跳躍してその木に飛び乗った
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ここで野良猫の母から生まれたサバ白にとっては、この防砂林が生活の場であり、テリトリーであり、そして世界の全てだ。
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だから国道の向こう側にどんな世界があるのかこの子は知らない。


多くの海岸猫と同様、今のところサバ白にとっての世界観は水平線までの海と砂浜と防砂林の一部で完結している。
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が、だからといって我々にこの子の世界観は狭隘だ、と見下す資格などありはしない。


なんとなれば日本人は16世紀後半まで『 地動説 』や『 地球球体説 』どころか、そもそも地球という概念すら持っていなかったのだから。
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ともあれサバ白がこのままここで暮らし続ければ、猫はニンゲンと同じ空間で暮らせるという事実を知ることもない。


愛らしい顔と人懐こく生気溌溂な性格を持つこの子は、いずれフォトジェニックな海岸猫として多くの人から人気を集めるだろう。
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だが私自身はこの子の将来がそんな状況になることを望んでいない。


多くは要らない、たったひとりだけでいい、この子に深い愛情を注いでくれる人が現れることを私は念じている。
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当ブログで過去に何度も述べているし、前回の後書きにも記したばかりなので、しつこいと謗りを受けるのを承知で敢えて繰り返す。

 野良猫は野生動物などではなく、一緒に暮らしていた家族ともいえる彼らを無慈悲に打ち捨てたニンゲンの所業のせいで存在しているのだ』。


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歴史をひもとけば、猫とニンゲンとの係わりは紀元前8世紀まで遡ることができる。

そして古代エジプトにおいてはファラオの守護者、家の守護者としてニンゲンを病気や悪霊から護る女神の化身として、猫は神格化されていた。


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日本に猫が渡来した年代については諸説あるが、家畜として定着したのは飛鳥時代から奈良時代だろうという説が有力だ。

当時中国から盛んに経典を輸入していたが、帰航の際ネズミによる被害、いわゆる “ 鼠害 ” を防ぐのに苦慮した結句、ネズミの天敵である猫も一緒に日本へ持ち込まれたと推測されている。

ただ私が意外に感じたのは、このように書物や穀物などを鼠害から護る益獣としての役目は限定的だったことだ。


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黒い子がサバ白とまったく同じ箇所の植込みから出て、まったく同じ経路を通って鉄柱まで進んできた。


ただサバ白と大きく違っていたのは、双眸からは不安を、そして全身からは警戒感を放っていることだ。
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腹を満たしたこの子が希求するものといえば、たったひとつしかない。


それは、母親の温もりだ。
いつもならリンの方から子供に近寄っていくのだが、今は束の間の眠りに就いている。

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察するに、日頃の子育てでリンは疲れているのだろう。


それでなくても危険で剣呑な防砂林で暮らす海岸猫が安逸に過ごせる時間はごく少ないはず。
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固体差はあるだろうが、野良猫の睡眠時間は平均8時間と、家猫の平均14時間に比べて6割ほどしかない。


しばらくその場に佇んでいた黒い子も、眠り続ける母の様子に諦めがついたようだ。
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黒い子はおもむろに踵を返し、そのまま植込みの中へと戻っていった。


ふと視線を移すと、サバ白が防砂林の端でぽつねんとしていた。
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私の視線を察知したのか、サバ白はやおらこちらを顧みた。


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その面持ちには先ほどとは打って変わり、張り詰めた感じが見受けられる。


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やがてサバ白は腰を上げるとためらいがちに足を踏み出した。


そして人目につく防砂林の切れ目に出たとたん、サバ白は否が応でも警戒心を強めなければならず、にわかに歩度を速めた。
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私はファインダー越しにサバ白の姿を追った。


サバ白の向かった先にいたのはタクローだった。身体を擦り付けてサバ白は親愛の情を表す。
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しかしタクローは、サバ白の想いに全くと言っていいほど反応を示さない。


兄のにべない態度に失望したのか、サバ白はタクローから離れると独りで遊び始めた。
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元気がないというべきか、覇気がないというべきか、この頃のタクローの様子はやはり変だ。


表情にも精彩がなく、態度にしても心ここにあらずといった風で生気が感じられない。
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「どうしたタクロー、嫌なことでもあったのか?」私が問いかけても、タクローは虚ろな眼で見つめ返すだけで応えようとしない。


私の記憶だと、タクローの態度の変化はエリアの移動とほぼ時を同じくしている。
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前のエリアで暮らしていた頃のタクローは警戒心も強かったが、それにも増して自己主張が強い饒舌で動きも活発な猫だった。


ところがこのエリアに移ってからは、寡黙な大人しい猫へと変わってしまった。
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ちなみにエリア移動を契機に、タクローは一つ下の兄弟たちと一緒に暮らすようになった。


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リンがなぜ住み慣れたエリアを捨ててここへ移ろうと決断したのか、私には分からない。


以前のエリアが単に住み難くなったからか、それともこのエリアの方があらゆる条件に照らし合わせて一家が住むに適していると評価したのか‥‥、リンは黙して何も語らない。
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ただエカシさんが言うには、雨が酷くなるとリンは子供たちを引き連れてテントに避難してくるそうだ。


エカシさんとリン一家との繋がりを雛型にすれば、普遍的なニンゲンと猫の関係性が見えてくるかもしれない。
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皆さんの中には、ホームレスのエカシさんと海岸猫の関係を、ごく稀で特殊なものと考えている方もいるだろう。


だが生態系という広義においては、不法に建てたテントに住む人も、豪奢な邸宅に住む人も同じ “ ニンゲン ” として一括りにできる。
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以前からエサ遣りさんとして世話をしていたエカシさんの側に居を移すのは、寄る辺ない境遇のリンにとっては理にかなった行動だと推察される。

そして動物好きのエカシさんにとって世話をする猫たちが自分の近くにいてくれるのは歓迎すべきことのはず。

また防砂林で独り暮らすエカシさんにとってリン一家の存在は癒しになっている様だし、リンたちにしてみればエサや避難所を提供してくれるエカシさんを庇護者と見なしている。

つまりここではニンゲンと猫との『 共生 』が成立していると言える。
それも双方が利益を得る『 相利共生 』が。



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しかし『 相利共生 』は不安定なバランスの上に成り立っていて、時間の経過、環境の変化などによりそのバランスは簡単に損なわれてしまうことがある。

たいていの場合、弱者が一方的に被害を被る『 片害共生 』へと移行する。

猫とニンゲンの事例では、それまで相利共生の関係にあったのに、ニンゲンの都合で安易に遺棄したり、果ては殺処分させてその関係性を崩壊させてしまうことを指す。

歴史上、現代ほど猫を粗末に扱っている時代はないだろう。


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ということで、再び歴史に話を戻すと‥‥。

中世において、鼠害防止という本来の役目を解かれた猫は、貴重な愛玩動物として寵愛され、逃ないように紐に繋いで飼われていた、と言われている。

近世においても猫は希少価値の高い動物であり、殊に鼠害が直接死活にかかわっている養蚕農家にとっては守り神に近い存在だった。

それがため養蚕地方では猫が高値で取り引きされ、ネズミ捕りに秀でた猫には馬の5倍の値がつくこともあったという。

またネズミ除けのお守りとして猫の絵が売られたり、縁起物の『 招き猫 』が誕生したのもこの時代である。

このように猫とニンゲンは互いの利害に基づいて、長きにわたり相利共生の関係を維持してきたのだ。


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さて冒頭の「我々ニンゲンはほかの生き物とどういう係わり方をすればいいのか?」という問いかけだが、想定する動物や状況によって様々な答があるだろう。



我々ニンゲンはすべての動物と親密な関係を持てるわけではない。たとえば野生の熊や猪とは近しくなれないし、そもそもこれらの野生動物と近しくなるべきではない。

彼らとは一定の距離をおいた『 共存 』が、双方にとって最良の関係性であるのは自明の理だ。

しかしその自然律を無視し、多くの生物種を絶滅させてきたのは我々ニンゲンである。

ところがそれまで散々殺戮しておきながら、近年になって彼らを『 絶滅危惧種 』と称して保護しようと声高に訴え始めた。

まるでマッチポンプのごとき浅薄で姑息な所業と言わざるを得ない。

この事例が示すように我々はせっかく授かった優秀な脳みそを、間違ったことに使っている気がする。

なんとなれば自然とそこに息づくあまたの生命を顧みない現代の進歩発展の趨勢が、輝かしい人類の未来を作るとは到底思えないからだ。



動物との係わり方については、私にも私なりのより具体的な意見があるが、ここで直截にそれらを述べるのは止めておく。

その代わりに、マハトマ・ガンジーの言葉を紹介して今回の話を終わらせよう。

『 国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方でわかる 』。



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コメント

  1. おこちゃん | URL | -

    ご無沙汰しました。(=^ェ^=)
    ガンジーの言葉、その通りだと思いました。
    動物でも人間にでも、弱い者 命に対する優しい対応、思いやりを
    持てない所の国、人は 心が荒んでいて、
    自我ばかり通して、協調性、尊重などがないように思います。
    なんだか まとまらなくってスミマセン。

  2. wabi | URL | 0MXaS1o.

    おこちゃんさんへ

    こちらこそご無沙汰しています。

    ブログは訪問しているのですが、いつも読み逃げで
    申し訳ないと思っています。
    調子が芳しくなく、なかなかコメントが残せません。

    おこちゃんさんは一時の不調から復調したようで
    安心しました。

    「あれ、これってコメント返しになっていないなぁ」
    「まあ、いいか」

  3. Sabimama | URL | cbwYL0zY

    正にガンジー師の言う通りですが、
    インドのカーストあっての思想です。
    皮肉なものです。
    猫を大切に思わないで、害虫扱いする輩の育ちを考えると、
    その家族の影響もあるでしょう。
    一家で、地域でも動物として扱わない人が多いのですよね。
    その人たちが育って社会が良くなる訳がありません。

    いつぞやの「教師が仔猫を埋めて、処理した」が怖い事件でした。
    その教師には当り前の行為でした。?
    通報した子の親は絶句したと思います。
    親へ伝えた子は、先生よりマトモな人間でした。

    いつか、おかしくなる世の中です。
    今更絶滅とかね、人の身勝手が大きいですね。

  4. wabi | URL | 0MXaS1o.

    皮肉ですね

    Sabimamaさんへ

    ガンジーはカースト制度に肯定的でしたが、
    後に矛盾を感じその制度を否定する書籍を著しました。
    多くの国で人間の平等を謳っていても、この世界から差別はなくなりません。
    その観点から考えると、インドのカースト制度は事実を潔く受け容れた、
    とも言えます。
    なにはともあれ皮肉なことです。

    生命を軽んじる人類に未来の繁栄などあろうはずもなく、
    いずれ滅亡への道を辿るでしょうが、
    地球やほかの生物を巻き添えにするのだけはやめてほしいものです。

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