夕暮れの情景 (後編)

2015年05月17日 23:30

相変わらず体調不良がつづいていて、まるで倦怠感と抑うつ感の拘束衣を装着したまま生活しているようだ。

ここに至り私は、病気への姿勢というか、対処の仕方を少し考え直そうと思っている。

病と闘っても軽快に向かわないなら、そして堂々巡りの不毛な内省から抜け出せないなら、互いに妥協点を探り合って折り合いをつけるしかない。

まず偏向した思考を頭脳の奥深い領域へ押しやり、運命に逆らわずその流れに身をゆだねてしまう。

そしてネガティブ思考に陥らないように、自分の基準で判断しないであまねく事象をそのままのかたちで受け容れる。

つまりは喜びと悲しみも、苦痛と快楽も、愛と憎しみも、幸福と不幸も、夢とうつつも、創造論と進化論も、天使と悪魔も、そして生と死も先入観を持たずに受容し、自分の中で併存させるのだ。

ただし、ニンゲンだけは安易に受け容れない。
建前と本音を使い分け平然と虚言や詭弁を弄する、地球上で一番信用できない生き物だからだ。


この考え方によって自分が何処へ向かうのか、結果的に何者になるのか、そんなことは知りたくもないし、気にしても仕方がない。

なんとなれば “明日自分の身に何が起こるか” なんて誰にも分からないし、昨日の真実が明日には虚妄になることも珍しくない世の中なのだから。


ランの後を追って階段を降りる際、私は体がよろめいたはずみにたたらを踏んでしまい、最後の3、4段を頭を先にして落ちていった。





幸い倒れたのが砂地だったので、両肘をついてなんとか転倒の衝撃から体とカメラを護ることができた。
明らかに薬の副作用なのだが、このように私は時としていきなり平衡感覚を失ってしまう。






コンクリの階段がもう一段残っていたらどうなっていたか分からない。今思い出しても背筋に寒気を覚える出来事だ。

昼と夜が混在する黄昏時は異界との通路が開き魑魅魍魎が出没する『 逢魔が時 』とも呼ばれ、とかく昔から災いに遭い易いとされている。


ランも砂浜の先に胡乱な気配でも感じたのか、慌てて踵を返した。



そして波消しブロックの陰に身を潜めると、前方を凝視し始めた。


険悪な面持ちでいったい何を見つめているのだろうと思い背後を振り返ったが、私の眼に不審な影は映らない。



眼には見えない邪悪な気配を、猫が持つ鋭敏な聴覚で感知したのだろうか。


しばらくするとランの表情が不意に和らいだ。



ランの様子から、怪しい気配を放っていたモノが立ち去ったことが分かる。


ランはおもむろに腰をあげると、波消しブロックの上をゆっくりとした足取りで歩き始めた。





波消しブロックの数にして4基分進んだところでランは歩みを止めて再びうずくまった。



そうしてまたぞろ前方を見つめて身じろぎしなくなった。
写真より実際は暗いのだが、それでも数百メートル先までは見通せる私の視界に怪しげな影は認められない。



猫の視力はニンゲンの10分の1ほどで、細かな対象は識別できない。ただ動いているものを認識する能力は優れている。



ランの真剣な表情を見る限り、彼女は確かに何かの存在を感じ取っているのだ。それは獲物なのか、それとも警戒すべき悪意を持った敵なのか。


と、その時、ランはいきなり後ろを振り返った。



ランの視線の先には、波打ち際で戯れる子供とそれを見守る母親の姿があった。子供の笑い声が海風に乗って聞こえてくる。


するとランはその声から遠ざかるように、さらに波消しブロックを先に進んでいく。
ランにとって犬よりも苦手な相手がある。それは予測できない動きをする子供だ。


しかし前方にも怪しい気配を感じているはず。「ラン、どこへ行くつもりなんだ?」


だがランは私の問いかけに振り返りもせず、波消しブロックを小走りに登っていく。



「なるほど、ここなら安全だ。やっぱりお前は利口な子だ」

ランはそのまま波消しブロックと地面の間にある僅かな隙間の奥へ入っていった。


建物に明かりが灯り始めた。海岸は刻一刻、夜の様相を呈してくる。

ランも姿を隠してしまったし、私もそろそろ帰路につく頃合いだ。



そう思い踵を返すと、こちらへ向かってくるランと出くわした。





ランは周りに誰もいなくなった砂浜を、海に向かって悠然と歩いてくる。


そして波打ち際近くにうずくまると、そのまま黄昏の海を眺め始めた。
寄せては返す波を見つめているランの脳裏にはどんな情景が浮かんでいるのだろう。




私はニンゲンの心を読みとる能力など欲しくもないが、動物の心情を見通す術があるなら身につけたいと、切に思う。(ただし巷に溢れている『 アニマルコミュニケーター養成講座 』なるものは論外だ)


「ラン、暗くなったからもう帰るよ。お前のねぐらがある防砂林まで一緒に行こう」
そう声をかけると、ランは私と並んで歩きだした。








ところが、まだ防砂林に帰りたくないのか、ランは私の眼の前でいきなり寝ころがった。





そしてそのまま “へそ天ローリング” を始めてしまった。


ランはいかにも気持ちよさそうな表情を浮かべている。



「ラン、そのポーズは反則だって前にも言っただろう‥‥」


結局、私は海岸を去るきっかけを失ってしまった。



海岸に人影は殆んどなくなり宵闇がますます濃くなってきた。そのせいか潮騒の音と風鳴りの音が大きくなった錯覚におちいる。





ランはといえば、さっきから砂浜で香箱を作り何やら仔細に眺めている。


夜目が効くというのも猫の眼の特性だ。猫は本来夜行性なので暗闇でも獲物を見つけられるような眼の構造になっている。



もう少し詳しく言うと、網膜の裏に特殊な細胞層があり、わずかな光でも反射して視神経に伝達するのだ。暗いところで猫の眼が光って見えるのは、この “タペタム層” が反射しているからである。


ランが見つめていたのは頭上の道路を歩く男女二人連れだ。



よく見ると、手前の女性のお腹が大きい。もうじき生まれてくる子供の名前をどうするか、夫婦で話し合っているのかもしれない。


《ラン、お前がどう思ってるか分からないが、大抵のニンゲンにとって子供を授かるというのは喜ばしいことなんだ》



《ところがお前たち野良猫が産んだ子は、“望まれない子供” とか “望まれない命” と呼ばれて駆除の対象となっている。おかしな話だよな》


《この世に唯一無二の命を “望まない” なんて誰が何の権利を以って言っているんだろう?》。

《それにいったいどういう基準で望まれる命と望まれない命を選別するんだろう?》

私が思うに、ニンゲンにとって都合のいい命の数があるからかもしれない。ある生き物が増えすぎて自分たちに害をもたらしたら害獣と称して殺しているし、反対に数が著しく減った生き物は絶滅危惧種と称して保護するからだ》

《だけど害獣の中にはニンゲンの環境破壊によって生息域を追われた動物や、ニンゲン自らが持ち込んだ外来生物もいると聞く。こういうのを自業自得と言う

《そして金儲けのためだけに害獣ではない無辜の動物を捕獲したり殺したりするニンゲンもいる》

さてラン、地球にとって最も悪質な害獣って何だか分かるか。その生き物は空も海も陸も汚染させて、なおかつその数を増やしつづけているんだ。まるで癌細胞のように



「そんなことよりラン、暗くってお前の姿もはっきり見えなくなったぞ」
写真だと胸の白い毛で居場所が分かるが、肉眼ではランの姿はすでに砂浜に溶けこんで判然としない。


夜の帳が海岸を覆いつくすのにあと5分とかからないだろう。そうなれば逢魔が時は終幕となり異界への通路も閉じられる。


私はふと想像した。
この海岸から忽然と姿を消したあまたの猫たちは、生きづらいこの世界に見切りをつけて異界へと入っていったのかもしれない、と。


もしそうだったら、私も異界へ行くことをためらわない。
皆に会えるなら、こちらにいる海岸猫たちと元海岸猫の愛猫と一緒にすすんで異界への通路をくぐるだろう。






やがてランは深くて暗い、夜の闇の底へ吸い込まれていった。





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コメント

  1. Miyu | URL | -

    おはようございます。

    ランちゃん可愛いポーズですね。
    それは、反則ですよね。

    転ばれたみたいですが、怪我がなくて良かったですね。
    wabi様と同じような経験もあります(^-^)

    命の重たさは、生きるもの全て同じと信じています。
    また、楽しい記事を楽しみにしています。

  2. wabi | URL | 0MXaS1o.

    反則です

    Miyuさんへ

    階段から落ちている時はまるでスローモーションのように
    時間がゆっくりと進みました。
    頭の回転がそのままなら別の対処の仕方もあったかもしれませんが、
    あいにく頭の回転もスローモーでした。(笑

    ランのへそ天は反則です。
    可愛くってしばらく帰れませんでしたから。

    反則といえばMiyuさんの誕生日のメイド姿、あれも反則ですよ。
    ランのへそ天とおっつかっつの可愛さでしたから。(笑

  3. Miyu | URL | -

    こんばんは

    動画をみて、悲しく、苦しいと思いました。
    こんなことがあっては、ならないと強く思います。
    命は、皆尊いのですから。

  4. wabi | URL | 0MXaS1o.

    Miyuさんへ

    (先に書いたコメント返しの内容が鹿爪らしかったので書き直します)(*^▽^*)

    ほのぼのと温かい描線で書かれた絵本ですが、
    その内容は悲しく、胸に突き刺さります。

    このようなことが一日でも早く無くなるように願うばかりです。

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