声 (前編)

2015年07月05日 14:00

私の “内なる耳” に、ときおりどこからか “声” が聞こえてくることがある。

その声は、遥かな海域で生まれ、長い旅をした果てに浜辺へ打ち寄せる波のように、私の心を揺り動かす。

すると私は返答に窮し、まるで海図も羅針盤も無くした航海士のように為す術がなくなり、ただただ周章狼狽するばかりだ。

そうしていかなる道しるべもない大海原で独り漂流するうちに、私はひとつの考えにとらわれてしまう。

「ではいったい私はこれからどうすればいいんだ‥‥」と。


湘南海岸、夕刻。







私は防砂林の中にいた。そして私の目の前には、ひとりの海岸猫がぽつねんと佇んでいる。



私の気配を察知しているはずなのに、振り返ろうともしない。



私は灌木をかきわけて海岸猫の後ろへ回りこんだ。





ランはじろりと冷淡な一瞥を私に投げかけてきた。


いつものランなら私が訪れると近寄ってくるのに、この日はなぜかにべない態度だ。

最近は滅多に会いに来ない不実な私に、嫌気が差したのだろうか。


かといって、ランに対して「実は体調が悪くて来られなかったんだよ」などと言っても理解してくれないだろう。

野で暮らす海岸猫らにしてみれば、体調が悪いからといって、そのたびに臥していたら生きていけないのだから、そんな言い訳が通用するはずもない。


防砂ネットに囲まれた防砂林は風があまり通らず、夏場は蒸し暑い。



ランの目の前には防砂ネットの裂け目がある。そこから風が吹き込んでいるのが、破損したネットの動きで分かる。


猫には、そのときどきでもっとも快適に過ごせる場所を探り当てる、という能力が具わっている。

寒いときは暖かい場所を、そして暑いときは涼しい場所を見つける。だから家猫であれば、その家の中でもっとも居心地のいいところに我が身を置いているはずだ。







ランはやがて五体を完全に弛緩させて動かなくなる。


私は足音を忍ばせてゆっくりとランに近づいていった。



ランは野良猫らしくない極めて無防備な格好で眠っている。
猫は1日に複数回の睡眠と覚醒を繰り返す。こういう睡眠のとり方を『 多相性睡眠 』という。


いつなんどき外敵に襲われるか分からない野生動物はもちろんのこと、哺乳動物の8割方がこの睡眠方法をとっている。

ちなみに睡眠障害を抱える私の睡眠パターンも多相性睡眠といえなくもない。

野良猫の睡眠時間は家猫のそれに比べると4割ほど少ない。
そこで私はランの貴重な眠りの邪魔をしないために、防砂林を出て再び海岸へ足を向けた。



この日は強い風が海から吹いて、言うところの “風波” が白い波頭を立てている。



海から陸に向けて吹く風をサーフィン用語で “オンショア” といい、サーフィンには適していない。


だから海にサーファーの姿はなく、その代わりにウインドサーファーたちが海上を独占している。



ウインドサーファーたちは、カラフルなセイルで目には見えない空気の流れを巧みにとらえて海面を滑走していく。


サーフィンに適している陸から海に向かって吹く風を “オフショア” という。しかしウインドサーファーは、帰艇にテクニックを必要とするオフショアのときには海へ入らない。



サーフィンとウインドサーフィン、同じマリンスポーツでありながら風への対応が真逆というのが、素人からすれば不思議に思える。







考えてみれば、風の性質は “水” によく似ている。

風も水も常に高いところから低いところへと流れていく。

それも課せられた使命を果たすように、迂回を拒み実直に最短距離を選んで流れていく。

そして‥‥。





『 人生もまた、水の流れに似ている 』


私がしばらくして防砂林の中へ戻ると、ランは既に目を覚ましていた。

ただすげない態度はそのままで、そばに行っても私に背を向けてこちらを見ようともしない。







浅い眠りだったのでまだ眠気が残っているのか、それとも覚醒をうながすためか、ランは大きな欠伸をする。


そしておもむろに後ろ脚をあげると、毛繕いを始めた。



私は猫が毛繕いしているところを見るのが好きだ。まるで神聖な儀式を行っているような一意専心な態度と驚くほどの柔軟な身体の動きに、つい見入ってしまう。


そうやって私が忘我の境に浸っているときだった。
その心の隙を待っていたかのように、“あの声” が聞こえてきたのは。


水底か地底から発せられたようにくぐもっているその声は、実際の鼓膜ではなく、直接心に振動を伝えてくる。

私はそんな声など聞こえていないとばかりに、素知らぬふりをして何も応えないように努める。





しかし声の主は私のその場しのぎの対応を見抜いていて、悠然とそして執拗に語りかけてくる。

〔 はははっ、これは笑止、聞こえないふりなどしても無駄なこと。おぬしもこの声から逃れられぬことは承知しているはず 〕

私はその声を懸命に排除しようとする。でもそれは声の主が言うように無駄な行為だと私にも分かっている。





〔 おぬしはいったい何をやっておる。そうやって野良猫の写真を撮っては、適当な文章を書き加えて世間にさらす。それが誰かのためになるのか、社会のためになるのか、え? 〕

「猫たちのために自分のできる範囲のことをやっているだけだ」私は仕方なく口を開いた。

〔 くくっ、その言い訳じみた台詞、おぬしのような半端なニンゲンの常套句だな 〕

〔 気まぐれに食事を与え、気まぐれに可愛がる、おぬしのそうした恣意的な行為で猫たちが幸せになれると、本気で思うておるのか? 〕

《 痛いところを突いてくる‥‥ 》いつものように私は答に窮してしまう。





〔 毎日世話をするボランティアもいるから、おぬしがいなくてもここで暮らす猫たちはこれからも生きていける 〕

「私はだから、海岸猫とそれを援助するボランティアの実情を、できるだけ多くの人に知ってもらおうと考えてブログを書いているんだ」私は少し語気を強める。

〔 ふっ、片腹痛いわ、いっぱしのジャーナリストにでもなったつもりか。なるほど以前は某創作界の末席を汚していたおぬしだが、いまやその業界からも落伍したいわば落ちこぼれではないか 〕

〔 そんなおぬしに何を期待しろと言うのだ。今のままならそのブログとやらも飽いたら途中で投げ出すのがオチだ 〕

私は再び反駁の言葉を飲み込んでしまう。





〔 おぬしが実際に猫のためにした善行は、茶シロの海岸猫を家族に迎えたことと、扁平上皮癌に苦しむミリオンに手術を受けさせるきっかけを作ったことくらいだ 〕

私は言葉を必死で捜す。「それじゃ、私が今までやってきたことはほとんど無意味で、もう海岸猫と関わらない方がいいと言うのか?」と自嘲気味に、そして少し投げ遣りな口調で言った。

〔 そこまでは言うておらぬ。どんな形態にしろ実際的に野良猫たちへ救いの手を差し延べるよう諭しておるのだ 〕

「だから何度も言っている、私にはこれ以上のことはできないと」私は食い下がる。

〔 おぬしがまだそう思うておるなら訳知り風に野良猫のことを語るのはやめることだ。ただの傍観者にその資格などないわ! 〕

私は開き直り、逆に問いただした。「そこまで言い切るあんたは何者なんだ?」

〔 ふん、この期に及んでまだとぼけるつもりなのか。おぬしには分かっているはずだ、この声の主が誰なのか 〕

そう、私は知っていた。声の主の正体を‥‥。



〈つづく〉



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コメント

  1. Miyu | URL | -

    おはようございます。

    考えさせられました。
    実は、同じ様なことをいつも思っています。
    家猫が居て、家に来るこたちに適当に餌をやっているのではないかと。
    家猫が中心なので、保護するにも慎重になります。
    外のこを触ることにもためらいがあります。(感染の心配)

    このこたちを皆家に連れ帰るわけには行きませんし。
    家族の意見とも対立いたします。
    避妊や去勢をするにしても費用がかかります。
    個人の思いだけでは、限界があります。
    口では、綺麗なことを言って現実は、何もできないのではないかと悩みます。
    まさに、自身との葛藤があります。

    wabi様の記事で、多くのことを知り、学びます。
    とても重要なことではないでしょうか。語彙力がない私には、無理ですから。
    やはり、ライターさんでしたか(*^_^*)想像通りですが。

    本を出版されたら、購入いたします。
    調子の悪い時は、寝ちゃってくださいね。

    このまとまりのない内容・・・。失礼いたしました。
    削除してくださってもOKです。

  2. wabi | URL | 0MXaS1o.

    理想と現実

    Miyuさんへ

    理想と現実の乖離はいつの世も人の心を悩ませますね。
    時代が進むごとにその乖離が大きくなっているような気がします。

    Miyuさんの心の葛藤、よく分かります。
    いくら通ってくる外猫が不憫で可哀想でもすべの子を保護できる訳ではありません。
    そこにはどうしても画然とした線引が必要です。
    迎えた子のために今いる子たちが不幸になっては本末転倒ですから。
    最近でも家族の理解と協力、住居の事情、経済的な事情、といくつもの難問が立ち塞がり、
    外猫の保護を諦めた知り合いがいますが、苦渋の決断だったようです。

    今回の記事は自分の決断を促すために書いたもので、現在進行形です。
    なのでどういう結末になるのか私にも分かりません。(笑
    いつもは頭の中で大まかな構成をしてから記事を書くので、不安を感じています。

    さてMiyuさんの想像、残念ですが外れています。
    私はライターではありません。
    当時も今も文章を書くことが苦手で、私にはいわゆる文才というものがありませんから。
    創作活動と一口にいっても、メインカルチャーからサブカルチャーまで多岐にわたっているので
    想像で当てるのは無理だと思いますよ。(笑
    ただ職業としてはけっして胡散臭いものではなく、現在も確固たる地歩を築いています。
    秘匿するのは単に自分自身が納得できる結果を残せなかったからで、他意はありません。

  3. おこちゃん | URL | -

    おはよーございます。
    Miyuさんのコメントを 読ませて頂きました。
    私の現状と 同じですね!

    外猫さんの保護。。出来るものならしたい。
    でも、現実的な問題がありますよね。
    気持ちは沢山あっても、出来ない事のもどかしさ。。

    現状に満足はしてませんが、昔はもっと事情がありまして、猫は1匹しか飼う事が出来ませんでした。
    しかし、環境が少しずつ変化して 今は4匹になりました。
    今はもうかなり限界を 感じています。
    10匹も20匹も 際限なく飼うことは 普通の家庭では出来ないですよね。

    仕方ない事もありますね。
    でも、外猫さんを なんとか最低限守りたいと 思っています。
    この気持ち、動物好きの宿命かナー?

    記事に対してでなくて、コメントへのコメントになってしまってごめんなさい。m(__)m

  4. wabi | URL | 0MXaS1o.

    おはようございます

    おこちゃんさんへ

    おそらく似た状況で同じ葛藤を抱いている人は
    ほかにも沢山いると思います。
    猫にとって外で暮らすことがいかに危険で不安定なものか、
    それを知っている人たちが‥‥。
    それぞれ事情は違っても外猫たちを気遣う想いは一緒ですね。

    Miyuさんにも述べましたが、理想と現実の乖離があるかぎり
    悩みは付きまといます。
    いずれにしろニンゲンと動物が共生していける環境を一日も早く
    創らなければいけませんね。
    できれば我々の世代で。

    おこちゃんさんの場合は環境が変わったのではなく、おこちゃんさん自身が
    積極的に環境を変えたのです。
    そのたびに心の葛藤と闘ってきたのですから大変だったと推察します。
    それも私と同じ病を抱えていながら乗り越えていったのですから、精神的にも
    辛いことが多々あったと思います。
    でも、その病んだ心を癒してくれるのは家族として迎えた動物たちなんですよね。

    特定の記事へのコメントでなくても全然かまいません。
    内容が動物たちへの愛に溢れていれば‥‥。

  5. ケン | URL | -

    wabiさん。
    こんばんわ(*^_^*)

    さて、コジローが家猫になったということですが、良かった、良かった^^
    ところで、コジローにはボスとしてエリアを管理してほしかったのですが、これからシシマルエリアは誰がみることになるんでしょうかね?
    あ、シロベエがいましたね^^

    あと、気がかりな猫がいます。
    ビクです。
    ビクもかわいらしいので、それなりに人気があると思うのですが、飼いたい人っていないのでしょうか?
    可能ならば自分で飼いたいのですが、自分の家では、猫一匹で精一杯です。
    今の所は無理ですね(-_-;)

  6. wabi | URL | 0MXaS1o.

    シロベエとビク

    ケンさんへ

    そうですね、コジローがいなくなったので、順当にいけば
    跡目を継ぐのはシロベエでしょうね。
    古参のギンジ(茶トラ)はその器ではありませんから。

    ビクは可愛いですが、今年で11歳。
    私が知っているなかでは、他界したミケやミリオンに次いで
    高齢の海岸猫になりました。
    私としては家猫になれないのであれば、もっと長生きして
    長寿記録を塗り替えていってほしいですね。

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