声 (中編)

2015年07月18日 18:00

私の心にはまるで性質の違う “二人の自分” がそれぞれ確固とした地歩を占めている。

一方は粗野で放埒な無法者、そしてもう一方は厳格で愚直な審判者といった風で、常に己の領地を広げようとせめぎ合っている。

彼らの力関係は本来拮抗しているべきなのだが、私の場合は “審判者” が優位に立っている精神的に不健全な状態にある。

それがために優勢な “審判者” は、私の行動に対しても鹿爪らしい説諭をくどくどとたれて指図する。

私がそこでいくら反論しようが赦しを乞おうが、こいつは厳格な態度を露ほども変えず、さらに舌鋒鋭く攻め立ててくるのだ。


ランの毛繕いが終わった。そこで我に返った私は声の主である “厳格な審判者” を退けるために意識を集中させる。





私の目論見を察した “厳格な審判者” が喚き始めた。

〔 うぬ、この不届き者め、話はまだ終わっておらんぞ!おぬしは分が悪くなるといつもそうやってそれがしを消し去ろうと‥‥ 〕

やがて “厳格な審判者” は、私の無意識の淵へゆっくりと沈んでいった。








《 まったくうっとうしい奴だ 》死んだ親父に似て、頑固で融通のきかない審判者と私は以前から馬が合わない。

嫌な奴ではあるが私のいわば理性を司っている。だから当然言っていることは至極まっとうで、議論してもいつも私が一方的に言い負かされる。





ただ奴に繰りかえし言われなくても、野良猫たちに対する自分の態度が傍観者的なのは十分承知している。

そのことで私がどれほど悩み、幾度自責の念に駆られたことか‥‥。









ランは私を置き去りにして防砂林の奥へと踏み入っていく。


いったいどこへ行こうとしているのか‥‥、私はあわててランの後を追った。



《 これじゃまるでストーカーだな。さしずめ記事タイトルは “防砂林のストーカー” とか “海岸の追跡者” になるのかな‥‥ 》

《 ふっ、陳腐だ、なんて有りふれた発想なんだ。独創性のかけらもありゃしない。凡庸もここに極まれりだ 》

《 “厳格な審判者” の言うとおり、私はしょせん創作界の落伍者だ、落ちこぼれだ!》
奴の声を聞いたあと、私は決まって露悪的な気分におちいる。






ここ防砂林では爪研ぎの道具に困ることはない。


爪研ぎを終えたランは頭を上げて辺りを見まわす。



だがそうしたところで周りには、喬木と灌木がニンゲンの意図した場所に神妙に佇んでいる光景があるばかりだ。


ランはやがて意を決したように足を踏み出すと、さらに防砂林の奥へと進んでいく。



ランに何か特定の目的があるとは、これまでの行動から推して思えないのだが、 “防砂林のストーカー” としては後を追うしかない。


ランは数メートル進んだところで歩みを止めると、その場に座り込んだ。



そして身じろぎひとつせず、前方の虚空をじっと見つめ始める。


ランは何を凝視しているのだろう。
もしかしたら今このときではなく、時間を遡って過去の出来事に焦点を合わせているのかもしれない。


私も記憶の糸をたぐり寄せる。やがて過去にこの防砂林へ入ったことを思い出す。


それは2013年の夏、母の緊急入院の知らせを受ける直前だった‥‥。




その頃のランとアスカの母子は、遥か昔アジア系の騎馬民族に追われたゲルマン人のように、西へ西へと居住地を移動していた。


だけど私が見当をつけて防砂林に向かって母子の名を呼ぶと、大抵すぐにふたり揃って姿を現してくれた。


ただそれは私を慕ってのことではなく、当時は決まったエサ場を持たなかった母子が私の持っている食べ物を求めての行動であったと思われる。


そしてこの日、人目につかない場所でふたりに食事をさせようと、今まで入ったことのないエリアの防砂林に私は足を踏み入れた。


そこは以前母子が暮らしていた開放的なエリアと違い、防砂ネットにきっちり囲まれた閉塞的な場所だった。


ランは何故安定して食事を与えてもらえるエサ場を放棄してまでエリアを移動しつづけているのだろう。

考えられるのは、先述のゲルマン人のように何者かの脅威からの逃避行である。


この日のランは食事中もしきりと周りの様子を窺う素振りを見せていた。


しかしこの母子に脅威を与えうる存在について、私はいかなる情報も得ていない。


当時ランとアスカが暮らしていたエリアの東には、姉妹であるリンとその家族が、のちに火災で消失することになるホームレスのテント小屋にいるだけで、それから先2キロほどはひとりの海岸猫もいない。

それにリンは子供を産んだばかりだし、また10カ月前に生まれた4にんの子供の中で里子に出せなかったふたりの内のひとりも、ほぼ同時期に5にんの子供を産んでいた。

 



残るひとりの子を私は一度も目撃したことがなく性別も分からないが、生後10カ月の子がランの脅威になるとは考えられない。

ときどき姿を見せるユキムラはまだ去勢していないが、彼はランが向かっている方角から出張ってくる。

ではいったいランは何を忌避して移動を決断したのだろう。



野良猫の天敵の中で最強かつもっとも残忍非道な生き物といえば、ニンゲンということになる。

そこでまず思い浮かぶのが海岸に居住しているホームレスだが、彼らは境遇の似た野良猫を相身互いと庇護する場合の方が圧倒的に多い。

つまり前例を見るまでもなく、大抵の場合野良猫を虐待することで愉悦を覚えるいわゆる “サイコパス” は、本性を善人面で糊塗して街から海岸へやって来るのだ。


このときアスカは1歳を迎えたばかりのまだ幼い海岸猫だった。


一緒に生を享けたふたりの兄弟とは既に生き別れていて、母とふたり防砂林を彷徨していた。

もともと寄る辺なき野良猫の身だが、遊び盛りのアスカにしてみればやはり同じ年頃の仲間が欲しいはずだ。


しかし野良猫として生きる術をまだ身に付けていないアスカには、母に従う選択肢しか残されていない。

最後のカットを撮影したあとに「今度会うときまで元気でいてくれよ」と海岸猫との別れ際にいつも言う台詞を心の中で呟いて私は防砂林を後にした。

だがこれがアスカを収めた最後の写真になるとは、そのときの私は夢にも思わなかった。


病院のベッドの上で何度も言っていた「サクラが待つ家に早く帰りたい」という母の願いは叶うことなく、入院からちょうど1カ月目の払暁に母は息を引き取った。

母の死去にともなう仏事や諸々の手続き、そして誰もいなくなる実家の片付け、さらに突然現れたキジトラの処遇などで私は実家に足止めされ、再び海岸を訪れるまでに10カ月を要した。





そして私が不在だったあいだに、アスカは行方知れずになっていた。

別のボランティアの人に話を訊いたところ、夕方から関東地方に記録的な大雪が降り始めた2014年2月14日の朝にアスカを見たのが最後だと言う。

その人は「雪に埋もれてしまったのでは」と心配したそうだが、雪が溶けてもアスカは発見できなかった。





あんなに母を慕っていたアスカだから自ら姿を消したとは考えられないし、また去勢手術を受けているのでメスを求めて遠くへ行くこともあり得ない。

おそらくそこには何かしらの外的な力が働いたと推測される。

その力の正体は何なのか?

良き心を持った者なのか、それとも悪しき心を持った者なのか‥‥。

ひょっとしたら、あのときランが警戒していた正体不明の脅威が、アスカを連れ去ったのではないかと思った。





アスカが行方不明になった事実を知って以来、私は強い罪の意識に苛まされつづけている。

そのために負った心の傷は瘉えることがなく、未だに鮮血を流している。





私の犯した罪について説明するには、さらに数カ月過去に遡らなくてはならない。

避妊手術を受けさせるためにランを捕獲したあの日まで‥‥。






このときはランだけに手術を受けされるつもりだったのだが、生後5カ月のアスカは母との別れを察したのか悲しい泣き声をあげてキャリーバッグから離れようとしない。

その様子を見ているうちに、私の心は激しく揺れ動いた。









〔 ふははっ、ついに罪状をおぬし自らが白状しおったな。いかにも、おぬしは猫のためなどと言っておきながら逆に苦しめておったのだ 〕

「またあんたか、消えたんじゃないのか?」

〔 ほほっ、うつけ者のおぬしをたばかるなど赤子の手をひねるよりもたやすきこと。姿を消したと見せかけて先刻からおぬし頭の中をこっそりと覗いておったのよ 〕

私の虚を突いて、またぞろ “厳格な審判者” が舞い戻ってきた。



〈つづく〉




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


『 ねこ 』 澤田かおり

歌詞が猫の視点で書かれていて、猫の気持ちが “少しだけ” 分かる。




澤田かおり:井上陽水のバックコーラスなどを経て、今年1月に「幸せの種」でメジャーデビューを果たした。
ちなみに彼女の母親は女優の沢田亜矢子である。





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コメント

  1. おこちゃん | URL | -

    アスカはどこへ行ったのでしょう。。
    リンとはぐれる事はないでしょうから、
    誰かが 引き取ってくれたのだと思いたいですけど。

    今回は審判者が出て来て、wabiさんの葛藤が分かりやすかったです。。
    (=^ェ^=)💦💦

  2. wabi | URL | -

    アスカの行方

    おこちゃんさんへ

    私が不在の時でしたから、その後の詳細な事情は分からないのですが、
    大雪が降る中アスカ独りで遠くへ行くことは考えられず、
    仰るように誰かに保護された可能性もあります。

    ところで母猫の名は『リン』ではなく『ラン』です。
    おこちゃんさん、一緒に眼科へ行きましょう。(笑)

  3. おこちゃん | URL | -

    もう、一生懸命、系図を理解しようとしているのですが、
    ダメですね。。🐱混乱してしまいます。
    眼科より、頭の病院かもしれませんね。。😾
    ごめんなさいね。💦💦

  4. wabi | URL | 0MXaS1o.

    リンとラン

    おこちゃんさんへ

    まあ、『リン』と『ラン』って字面も響きも似ているので
    混同して当たり前です。
    なので頭の病院へは行く必要ないです。(笑)

  5. Miyu | URL | -

    こんばんは

    アスカちゃんは、きっとどなたかが保護したのではないでしょうか。
    アスカちゃんは、寂しかったのでしょうが良い方に巡り合えたのでしょう。
    ランママは、今でも元気にしているのですね。


    審判者こわいですね。「大丈夫です」とは、言ってくださらないのでしょうか(*^_^*)

  6. wabi | URL | 0MXaS1o.

    Re: こんばんは

    Miyuさんへ

    私もそう思いたいです。
    雪が降る中、寒さで震えているアスカを心優しい人が
    見るに見かねて保護したと。

    ランは元気でいると仄聞しています。

    審判者は融通が効かないから容易に許してくれません。
    まあ、それが奴の特性であり役目でもあるので致し方ないですが。

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